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【ヒロシマの旅】原爆ドームの衝撃とアートリトリート

その建物を見た瞬間、自分の内側がドンと押された。
何かが、ズズズと突き上げてきた。

原爆ドームは、これまでの人生にない衝撃を
私に与えてくれた。

原爆ドーム。一生に一度、行きたかった場所。

小学生の時。社会の教科書に出てきたとき、
「いつか行かなければ」という想いを持ったのは忘れない。

遅すぎたかな、とも思ったけれど、あれほどの重圧を感じるなら、
この年まで成熟を重ねなければ、受け止めきれなかったとも思う。

思えば、広島市に足を踏み入れた時も、
これまで行った地域とは違う「何か」の気配があった。

今生きている人たちとは違う、
被爆者の方々、その家族の方々の存在を。

地方への一人旅は、やはりどこか寂しさを伴うものだけど、
不思議と寂しさを感じなかったのは、その影響だろうか。

「自分は生かされている」
生きている、というただシンプルことに、
こんなにフォーカスを充てられた時間は初めてだ。

続いてやってきた、資料館。
何組かの修学旅行生たちと一緒に巡った。

途中、被曝した建物の残骸がある場所で、
とても熱心にメモを取っている小学生の女の子。

受け取ったものを、無心で書かざるを得ない衝動の強さ。
ひたむきさ。やはり、子どもの存在は偉大。

たくさんの写真や史料があったけど、
とても自分のカメラには収められなかった。

自分の器の小ささに情けなくもなるけど、
ここはもう一度、何度でも、訪れる場所なのだと思う。

今これを書いていても、胸が締め付けられる。
どれだけの惨状だったかを言葉にすることもできるけど、
写真たちの衝撃にはかなわない。

今回広島を訪れたのは、これまで東京で主催してきた
「アートリトリート」を、東京以外でも開催するため。

場所は、広島市現代美術館。
企画展は、「アルフレド・ジャー展」

ヒロシマ賞の受賞者である彼の個展を体感するうえで、
原爆ドームは外せないと思っていた。

美術館に行く前に行って、本当に良かった。
あのインパクトが、アートリトリートを変えた。

広島市現代美術館は、広島駅から路面電車と徒歩で30分くらい。
小高い比治山の公園内にある、市内の繁華街と隔離された場所。

前日に下見に行ったとき、絶好の場所だと思った。
日常からちゃんと、切り離してくれる。

地方開催最初の場所が広島だったのは、
大切な友人たちがそこにいるからという理由だったが、

広島でやるとしたら、「ヒロシマ」にまつわるものをと想い、
選んだのが「アルフレド・ジャー展」だった。

ジャーナリスト兼アーティストのジャー。
各地の紛争や飢餓、災害と向き合ってきたジャーナリズムを
アートに昇華させている。

国境、言語。そんな制約を軽々と、しっかりと乗り越えて
世界の"今"を伝える彼の姿をみて、

今回のアートリトリートに
「制限を乗り越えてうたう」というテーマをつけた。

謳うのは、祈り。訴えるのは、叫び。
その両方を(むりやり)掛け合わせた感じ。

アートリトリート当日。
4人の参加者とともに、アートと接触した体験を対話した。

この時間、私は本当に揺さぶられた。

今回の参加者は、
幼いころから広島市に住んでいる人、
広島市に移住していた人、
同じ広島県の違う市から来た2人、
そして、同じ日本の違う県(東京都)から来た私、という構成。

自分が物理的にどこで生きてきたか、生きているかによって、
彼の作品の受け止め方は、全く違った。

対話の内容はその場限りなので細かくは書かないが、
簡単にいえば、広島市に住む人にとって彼の作品は
「大きく違和感を感じるもの」だった。

それが分かった瞬間、私が感じたのは、
この展示を選んだのは間違いだったのか?という焦りだった。

一瞬心の中がワタワタしたが、
それでも、その違和感を場に出してくれた感謝をグッと持って
対話を進めていった。

思えば、日本が唯一の被爆国であることを、
いままで生きてきた中で、ほんの何回かの瞬間しか、
噛み締めることはなかった。

平和教育や、平和への祈りが日常にある広島市。
その人たちからみた、遠い外国のアーティストが切り取った
「ヒロシマ」は、異物に見えても、怒りを覚えたって当然だ。

解像度の違い、という解釈で片付けてしまえばそれまでだが、
私は、「国民」「市民」という役割を果たしていない自分を恥じた。

普段、アートリトリートでは、普段背負っている「役割」から
離れてもらうことが多い。

どこかの「経営者/管理職/社員」。どこかの「構成員」。
だれかの「親」。だれかの「子ども」。

それはあまりにも、普段その役割に基づいた思考に浸かっていて
役割を剥がした「自分」が何を感じるか、気づいていないからだ。
「自分の時間がもててよかった」という感想も多い。

でも今回、「役割=外すべきもの」という私の固定観念は破壊された。

新たに背負うべき役割がある。
参加者とジャーの作品が、気づかせてくれた。

これまで何度もアートリトリートを「創って」きたが、
初めてアートリトリートに「参加」できた。嬉しかった。

来年の8/6。できるだけ、広島にいたい。

<次回は10/14・10/29@六本木にて開催>

<「アートリトリート」とは?>