家族ってなに vol.6 〜ひたすら我慢のHSP幼稚園児〜
〜幼少期の話〜
そんな、こんなで家を出された私達家族。
それを、きっかけに幼少期からある意味多重生活、忙しい毎日を過ごしていた。
【平日朝〜昼】 幼稚園
【平日夕方〜夜】祖父母の家(火・金)or店の楽屋(月・水)※木曜日は昼までの営業だったので夜は家
【土日】終日祖父母の家
【長期休み】幼稚園の代わりに保育園に行かされる
ある意味多忙な幼少期
幼少期からHSP気質が強かった私はそれがどうも大きなストレスになっていた。
毎日毎日違う環境で違う人に会う。慣れるはずもなくずっと孤独な感じがした。
そして、毎日自分の立ち位置、周りの顔色を伺うばかりの毎日だった。
恐怖と共に親達はどう思うのかな?迷惑をかけないためには?保育園にも通ってるって幼稚園の子にバレたくない。そんな考えが幼いながらも毎日考えていた。
でも、子供わがままをいう時もあった。
「保育園に行きたくない」そんなわがまま
そんな時は母にこれでもかと怒られ泣かされときには叩かれた。
だから、我慢すればいい。寂しいのも我慢すればいい。
そう思った、お姉ちゃんと二人で行けばどこでも少しは怖くないかなと思えるように暗示をかけた。
我慢しておとなしくして夏休みの間だけ踏ん張ればいいそう思った。
この頃の私は本当に自分を殺して生きていた、寂しいという感情をすごく押し殺してきたと思う。
嫌なことがあってもそれをいう勇気も無くひたすら泣くしかできず。。
自分をどう表現していいのかわからずいつも泣いていた。
でも、泣いている理由を聞こうとしない両親。
それが、私には小さいながらも辛かった。
幼稚園の頃いじめられた。
私は幼稚園バスで特定の男の子にからかわれていた
その男の子は帰りのバスで寝て帰ると「〇〇バビー(赤ちゃんという意味)」でからかってきた。
私はその男の子が怖くて何にも言えず、泣きながらバスを降りる日々が多かった。
心の中は本当に悔しく悲しかった「赤ちゃんじゃないに、なんでそんなこというの?」
おしゃぶり癖が治ってなかったからかもしれないけど外ではしないようにしていたがそれが見つかり発端となってからかいが始まったのだろう。
先生も親に言わず、という期間が長かった。
ある日大号泣でバスを降りてきてそれを見た園長先生が問題視してその男の子に注意をした。母にもそのような一件があったと伝わりそれ以降〇〇バビーと言われることは無くなったがそれをきっかけに長い間男性恐怖症を患った。
私は母に心配をかけまいと言わなかった。
ばビーと言われている理由もなんと無く分かっていたからそれを言うのも恥ずかしく言えなかった。
泣いてバスを降りてくる子供に母はただ眠くて起こされて機嫌が悪いんだくらいにしか思ってなかったんもが何よりもショックだったのが今でも覚えている。
父は何にも知らない。
幼少期父と会話した記憶はほとんど残っていない。
自分で意見を言うこと、わがままを言うことが怖くなり何にも言わないでおとなしく静かに生きようと自然と思うようになった幼少期。