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10年前のこと Vol.1

東日本大震災からもう10年が経ったんですね
そんなに経っている実感が
全くなく数年前のような気がしています

あまり話してこなかったですが
少しあの日のことを書いてみようと思います

私は生まれも育ちも岩手県(内陸部)の
現在27歳、当時高校2年生でした。

私には兄が二人いて
1番上の兄は当時26歳、警察官
2番目の兄は19歳、大学生でした

警察官の兄はその時、岩手県沿岸の
山田町とゆう町の海の目の前の
交番勤務でした
3月は転勤の時期とゆうこともあり兄も
内陸の警察署への異動が決まっていました

大学生の兄は春休みで実家に帰省しており
10日に引越しの手伝いに山田へ
行く予定でした
私たち兄妹は仲が良く、私も手伝いに
一緒に行きたかったけど海外への修学旅行が
あるため行けず私は少しいじけていました

2011年3月11日

この日の数日前から県内では
地震がよく起きてました

2日前には震度5位の地震もあり
私はちょっとした意地悪で

「日本にいた方が危ないかもねっ」

と、兄や両親に言いました
この言葉を私はすぐ後悔しました

3月10日
私はオーストラリアへ修学旅行へ
兄2人は山田町で引越し準備へ

私がオーストラリアに到着して
ホームステイ先のホストファミリーの
車で家へ向かっている時、
ホストマザーが急にラジオの音量上げ
英語混じりのカタコトで
TSUNAMI!TSUNAMI!と言いました
私は到着したばかりで英語が聞き取れず
何を言ってるのかその時は分かりませんでした

家へ到着し部屋へ案内されてすぐ
リビングへ呼ばれました

大きなテレビに映し出されていたのは
何時間前にいた岩手県の映像で
聞こえる音声も日本の報道

海を上空から撮っているような
状態でしたがその中に家の屋根や
車が見え、そこは沿岸の街なんだと
気が付きました

立ちすくむ私をホストマザーが
優しく肩を抱き寄せてくれていた中

“お兄ちゃん2人とも
死んでしまったかもしれない”

私は心臓が潰れそうでした

直ぐに担任から連絡があり
生徒全員の家族の安否確認を行っている
すぐには帰れないので修学旅行は続行
とゆう連絡でした

そこから1週間、修学旅行は
予定通り進みましたが
海外のため直接両親とも連絡が取れず
気持ちを押し殺して普段通り過ごしました

修学旅行の写真はオーストラリアの
綺麗な思い出ばかりだけど
今も思い出すのは苦しい思いの方です

帰国予定の日、その日に帰国することは
出来ませんでした

原発の件もあり航空会社が
日本へ飛行機を出すことが
出来ないとのことでした

先生たちは一生懸命動いてくれて
上海経由の飛行機で予定の1日遅れで
東京へ戻ることが出来ました

その移動中にも航空会社の方たちが
あっちは停電してて寒いからと
航空会社のブランケットを無償提供して
くださったり食料不足らしいからと
食料を持たせてくれたりと
かなり助けて頂きました

そして東京に着いてすぐ
私は泣きながら母に電話しました

「お母さん、お兄ちゃん達は?」

と聞くと
母は優しいホッとしたような声で

「大丈夫だよ、2人とも生きてる。」

私はそれを聞いてまた泣きました

東京から岩手へ戻るのもまた大変でした
高速道路が途中で通行止めで
通れないため下道で秋田経由で
更に1日かけて岩手へ戻りました

北へ進むにつれバスから見える景色は
1週間前とは全くちがうものでした

家で母の顔を見て
私はようやく安心しました
そしてその隣には大学生の兄の姿

父も兄と同じく警察官をしていたため
内陸の部署でしたが11日から毎日
釜石市へ通い遺体安置所の係を
していたそうです

母によると兄と連絡が取れたのは
2日目か3日目で父も毎日釜石へ
行くため電気のつかない家で1人、
兄2人の安否が分からずずっと
泣いていたそうです

今でもあの時は生きた心地が
しなかったと言っています

実家は内陸で津波はありませんでしたが
停電が1週間くらい続いてたそうです
更に私の家の地域ではほとんどの家の
給湯がダメになりお湯も出なくなっていました

お風呂に入るために
兄と2人でキッチンの大鍋で
お湯を沸かしお風呂へ持っていく
これを何回も繰り返し水で丁度いい
温度に調節し、お湯の節約のため
母と兄と私の3人で入る
これがあの当時の日課でした

スーパーからも食料が消えていました
近所のスーパーは全滅だからと
大学生の兄とふたりで
父方の祖母がいる2つ隣の町の
スーパーにおつかいを頼まれました

2人でバスに乗りスーパーへ
行きましたがどの棚も
空っぽの状態で頼まれていた
おかずになるようなものはなく
唯一あったカップラーメンと
ポテトチップスを買いました

この状態がどのくらい続いたか
覚えていませんが
空っぽの棚が慣れてしまうくらい
長かったと思います

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