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10年前のこと Vol.2

2011年3月11日

地震発生前
兄2人は山田町のアパートで
引越しの荷造りをしていたそうです

そして地震発生

警察官の兄は召集がかかり
弟である大学生の兄に
連絡するまで動かないように
伝えて交番へ向かったそうです

アパートに残された大学生の兄は
数分経って外から何かが
焼けている匂いに気づき窓の
外を見ました

外では火事になっている家が
何軒かあり咄嗟にここにいたら
危ないと思ったそうでアパートを
出たそうです

土地勘のない兄は避難する
地域の人を追って避難所へ走りました

避難する道は崩れてしまった
家の屋根や塀が散らばっていて
どこが道かも分からなかったそうです

警察の兄は上司に堤防を見てくるよう
言われ堤防に向かいました

そこには一人の男性がいて
”津波は来ない、大丈夫だ”
と動かない男性の手を引き
一生懸命高台に向けて走ったそうです

しかし津波はもう足元まで来ていて
直ぐに腰ぐらい高さになり
その瞬間、波に体を持っていかれて
男性と繋いでいた手も離れてしまいました

兄は津波にのまれ意識を
失っていたようで目が冷めた時
神社の近くの高台にいました
奇跡的に高台に流されていたそうです

避難所へ向かい行方不明者の
捜査をしながらその夜、
弟である大学生の兄と再会しました

兄は弟に

「宮古の(母方の)祖母の家は山の方で
大丈夫だろうからそこに行って
俺は大丈夫だって母に伝えてくれ」

と言いました

山田町と宮古市は上下に位置している
隣の町ですが距離は遠いため
歩いて行ける距離ではありません

ましてや停電もしていて街灯もなく
土地勘のない兄には行く手段は
車しかありませんでした

兄はいるはずのないタクシーを
避難所の外で探したそうです

そんな兄にも奇跡が起こり
唯一、車ごと助かっている
タクシーを見つけました

持ち合わせてるお金で
宮古の行けるところまで行って欲しい
と運転手さんに告げました

この状況だから通り道になるけど
大丈夫かと問われましたが
運転手さんの優しさで
宮古駅まで乗せていってくれたそうです

そこから祖母の家まで歩き
兄はようやく祖母の家に着きました

祖母と叔母は山田にいた事を
知らなかったのでかなり
驚いたそうです

そこから兄と祖母と叔母は
停電で電話は使えなく
携帯も繋がらないため
3人で連絡できる日が来るのを
待ちました

ある日叔母が消防署の電話を
貸し出しているとゆう情報を
聞き、ふたりで消防署へ向かいました

消防署では連絡が取れない人達のために
電話を貸し出しており
兄もようやく母に連絡することが
出来ました

「僕とお兄ちゃんは大丈夫だよ
お兄ちゃんは捜査活動してるから
安心して」

この時の母の気持ちを思うと
本当にみんな生きてて良かったと感じます

私が警察官の兄と再会出来たのは
地震発生から1ヶ月~2ヶ月後でした

沿岸へ行く道路が通れるようになったので
母とふたりで車で山田町へ行きました

避難所拠点にで捜査活動していると
聞いていたのでふたりで兄の姿を探しました

母があれじゃない?と指さす後ろ姿は
筋肉質の兄とは違い痩せていて細かったので
違うよと母に言いましたが続けて
やっぱりそうだと言う母の言葉に
もう一度そちらに目を向けると
細い後ろ姿の振り返った顔は
確かに私の兄でした

良かったね、大丈夫?と
心配そうに話す母に対し
私は日頃から兄にツンケンした対応を
していたためその時も素直になれず
いつもと変わらない対応を
してしまいました

替えのシャツや
住民優先で食料が不足していた
警察官の皆さんへの差し入れを渡し
生きている兄の姿にほっとしました

別人のように痩せていて
誰のか分からない血や泥の付いた
シャツを着た兄を私は今でも
鮮明に覚えています

震災から約2年後

兄が内陸に異動になりました

ある日家にいる時
玄関にいる兄と母の話し声が
聞こえてきました

「俺もう嫌だ、辞めたい、辛いんだ」
「せっかく貰った命なんだから…」

私は初めて兄が弱音を
吐いてるのを聞きました

みんなの前で普通に振舞ってたけど
計り知れない辛い思いしてたんだと
その涙声の言葉で改めて知り
私は苦しくてその声が聞こえない所へ
逃げました

兄があの日手を引いて
一緒に逃げたおじさんは
その時に亡くなってしまったそうで
兄は今でもその事で
自分を責めてると思います

何年も辛い思いをしながら
現在も兄は警察官を続けています

大学生だった兄は去年結婚しました

10年経っても何年経っても
兄ふたりが経験したことは
忘れることは無いと思います

奇跡が重なって今ふたりが
生きていること毎年この日に
感謝しています

社会人になりなかなか家族みんなが
揃うことは難しくなっていますが
自然はいつどうなるかわかりません

突然居なくならないように
後悔しないように

1日1日、一言一言を
大切に過ごして

私の家族が体験したこの出来事を
忘れないように

私はこの地震を経験していないし
被災をした訳では無いけど
この震災を知らない人のためにも
兄の体験したことを書かせて頂きました

震災当時たくさん
寄付していただいた方・海外の皆さん
本当に感謝しています

私の大好きな沿岸はまだ
復興の途中ですが確実に
進んでいます

わたしも少しでも力になれるように
微力ではありますが
頑張っていこうと思います

長くなりましたが
ここまで読んで頂き
ありがとうございます

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