前向きってなに

最近、心弱っているなと自覚する。
自分がつかめない感覚。
土台フラフラ。

私は、中学時代に過酷な運動部で練習とは別に毎日日誌を書いていたのだけれど、前向きなことを書かなければ先生の顔が曇ったので、素直な気持ち(練習しんどい、つかれた、眠りたい休みたい)などを押し殺していた。
他の部員は、中学生らしく愚痴をこぼしていたのだけれど、私は優等生気質というか、一緒になって愚痴を言うことができない人だった。
前向きな言葉たちと自分の本心は一致しているのだと心の底から思い込んでいた。悪く言えば、自分の本音に耳を傾けてやれなかった。自分より他人(先生や親)、特に大人の機嫌を優先していた。人に心配を掛けたくなかった。
あ、いま私、カラ元気を使っているなと我に帰るとき、この中学時代の自分を思い出す。

今も本音を話すのは人を見定めてからだし、しばらく本音言えてないかも。自分でも正直とめどなく流れていく思考に追いつかないしもう自分が分からない状態が恒常化している。

会社で上司に言われる。君はどうしたいの?
ああ、また春に面談で一年の目標をきかれる。
私は言いたくない。人に、自分の考えている達成したい事柄やビジョンを。
なぜか。プレッシャーだからか?
毎年、これ上司に言う意味あるのかなって思っている。
モノ売るならまだしも自分を売り込むってのが私は超苦手。
上司に言う前に相談する相手がいない。
上司は今年も私の仕事は見ずに、親会社の盛り上げ役として加勢させて満足するのだろう。


心の棚卸をしなければと思っても時間が人の何倍もかかっている気がする。
同年代よりも何週も心の発達が遅れてしまった気がする。
わかったつもりになって生きている。
適正解はぼんやり分かるし、善悪も判断できる。

文章や雑談にもいちいちオチを付けなければとか、起承転結がどうこうとか気にして上手く進まなかったりする。
でも気にし始めたら永遠で、もうきりがない。

今、昔読んだオードリー若林の本の言葉をなんとなく思い出した。
自分との対話をずっとしている限り変わらない。外を向け、みたいなかんじの。

外を向いてないかと言えば外面はいい方だし、初対面のコミュニケーションは円滑だと思う。
新しいコミュニティでは人に話しかける方だし、店員さんと話すのも好き。
なんか色々矛盾しているんだよ。苦手を克服しようと努力した成果なのかな。

深い話をできる友人、最近0だと気付いた。
これには参ったし焦っている。

人からのアドバイスも実は言葉の意味が分かっていない気がする。
先ほどの中学時代の日誌に「感謝しています」と書き連ねていたけれど、本当にありがたいと心が動いた実感がないまま高校生に上がってしまい、人とのやりとりで苦労した。今は「感謝」の気持ちはわかるけど、他の大きく欠落した感情がまだあるかも。
これはもはや本当に発達障害かもしれない。

父親が植物状態だからって言い訳にしたくない。
けどこんなに明るく振舞う必要あるのかな。
父の元気だったころを思い出して、シャワーに紛れて泣く日もある。

このあいだ、会社の昼休みに豚汁を飲んでいたら、ふと、お父さん豚汁作ってくれたっけなって急に苦しくなって涙が止まらなくなってしまった。
誰にも見られないように泣くのもプライド保っていたけど、でも誰か話きいてって本当は思っていた。

やることいっぱいある。
実家にいる母と弟だけじゃキャパオーバーだ。きっと。助けなきゃ。
確定申告とか、自動車の手続きとか、家の修理とか、
父のことは考えると眠れなくなる、他の選択が正解のような気がして来て自分の選択に自信がなくなってきて。
…なにひとつ手伝えていない。一体私はだれの役に立ったのか。私には難しいのか。

本当に馬鹿だから。
職場に行くたび思う。
まぐれで生きのびたんだ。

笑ってるのが仕事みたいな今の仕事がほんとうにいやだ。
ずっとこの狭い檻にいるのがいやだ。
でも今やめたら家族を養えなくなるし、ずっと耐えている分今更どうしても泣き寝入りはしたくない。

比較されるのももう嫌だ。
わたしは私らしく、人のためになるいい仕事をしたいだけ。
原因が私なのかなと考えた時、他人は変えられないから自分が自分らしさを殺さないとやっていけないのが社会人?とぐるぐる考えていたら、金曜日、本当に死にたくなってしまった。この先ずっとこのかんじ?って
会社で組織に貢献できていない自分を自覚し続けることの辛さ。
負けん気の強い職場の先輩と会話するストレス。
こんなに人に花持たせたのに、ただただ自分が損しているだけの容量の悪い自分への嫌悪感。

頭の中が忙しい。
ずっと頭いたい。
助けたい人がたくさんいるのに、私はまだ10年近くずっとおぼれている。

不快だったらごめんなさい、弱音を言ってしまって。