マガジン

  • 「彼女」と「私」

    155cmの「彼女」への、170cmの「私」の片想い短編集。時系列順不同。

  • Cocktails

    カクテル小説

最近の記事

四月

昼間にタイムスリップものの映画を観たからだろう。眠りの世界で私はタイムスリップしていた。 少し遠くにいる彼女の顔が、私の瞳いっぱいに映る。まだ少し野暮ったい顔。笑っている。輝いている。好きだ、と思う。真新しい制服の人の波の中で、彼女の姿だけがはっきりと認識できる。まるで自ら光を発しているように明るい姿が、こちらに近づいてくる。瞳がぶつかる。彼女がゆっくりと私に笑いかけるあいだ、私は艶やかに濡れたその瞳から目を離せない。 「初めまして」 高校一年生。彼女はまだ私を知らない

    • 炎上

      風が吹く、風が吹く。 ごうごう、ごうごう。びゅうー、びゅうー。 いろんなものが飛ばされる、ぶつかりながら飛ばされる。 がらんがらん、がしゃんがしゃん。 体に風を受ける、体全部に風を受ける。 髪がはためく、肌が押される。 立っていられない、体が傾く。 ああ、よろけてしまった。 地面に倒れ込む前に、風に掬われ舞い上がる。 あっちからもこっちからも風に押され、揉みくちゃにされながら、空高くに連れて行かれる。 助けてくれ!助けてくれ! 下ろしてくれ!下ろしてくれ! その言葉は、

      • Cocktail: スクリュードライバー

        神保町は本の町。その片隅の裏路地で、私はBARを営んでいる。あえて読書BARとは謳っていないが、この町の裏路地の店にやってくる客は、たいてい本が読める落ち着いた空間を求めていた。 今夜も常連の客が、カウンター席に一人とテーブル席に一人。それぞれいつもの酒を飲みながら、本の世界に没頭している。そして若い女の客が一人、テーブル席で文庫本をめくっていた。 『カランカラン』 カウベルが小気味良い音を立てて、ドアが開く。 「いらっしゃいませ」 白色のスーツに豹柄のシャツを着た、若い

        • 「愛は怖いんだよ」 小さな私が、心臓の暗い場所にうずくまって、 ずっとそうつぶやいている。 十七歳の私はRが大好きだった。 大切に、大切にしていた。 全てをかけて、Rを愛していた。 世間はそれを否定し、頭が心を罵り、 そして愛はこわれた。 二十歳の私はMが大好きだった。 大切に、大切にしていた。 全てをかけて、Mを愛していた。 悪い人間がそれを利用し、感情を搾取し、 そして愛はこわれた。 二十三歳の私はSを好きになった。 大切に、大切にしようとした。 全てをかけて、Sを

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        • 「彼女」と「私」
          3本
        • Cocktails
          8本

        記事

          灰色の世界

          途方もなく哀しい。私はときどき、そんな気持ちに襲われた。襲われる、と言う表現は正確ではない。身体の中が全て空っぽになって、そこに透明な哀しみだけが満ちる。そんな途方もない哀しさを感じる時があった。 読んでいた文庫本を閉じ、テーブルに置く。村上春樹『女のいない男たち』。カップの取っ手をつまんでソーサーから持ち上げ、コーヒーをひと口飲む。すると、温かいコーヒーが胸のあたりを降りていくのと同時に、それがやってきた。途方もない哀しさ。大切な物を失くしたとか、親しい人が亡くなったとか

          灰色の世界

          三月上旬のくせに、校門横の桜は満開だった。白い看板に『〇〇高校卒業式』の黒い文字。最後のホームルームで担任が 「君らのために今年は早く咲いてくれたんじゃないかな」 と嬉しそうに言っていた。 枝が全く見えないほど満開の桜を見あげる。花びら一つ一つが全部同じ色をしている。光に透けて薄くもならないし、重なり合っているのに濃くもならない。べったりとしたピンク色。背景にある雲一つない空は、のっぺりとした青色。私は心の中で呟く。 (きらいだなあ…) 「きれいだなあ」 斜め下から、彼女の

          珈琲ミル

          それはおじいちゃんの手の中にあった。おじいちゃんの家で、同い年のいとことブロックで遊んでいると、ごりごりと音がしはじめる。すると5歳の二人はテーブルまで駆けて行く。 「おじいちゃんやらせて!」「先にやらせて!」 あらそってそれを受けとる。力を込めてまわす。ぐるぐるとハンドルをまわす。 1、2、3、4、5、6、7、8、… 「できたかな?」 「まだまだだね」 とおじいちゃんが言う。 1、2、3、4、5、6、7、8、… ハンドルは重くて、だんだんと腕が疲れてくる。 「おしまい!あげ

          珈琲ミル

          その写真

          その写真は、彼女と、それを撮ってくれた友達のスマホの中に、まだ眠っているのかもしれない。 私は恋をしていなかった。皆がそう思っていた。私もそう言い続けていた。心の透きとおった人がその写真を見たら、きっと信じないだろう。 その写真に写る私の顔は、恋をしていた。橙色の夕陽を受けて、頬を桃色に染めて、蕩けた笑顔で写る私。隣に写る彼女に顔を寄せて、でもくすぐったくて寄せきれなくて、照れている私。 私の顔だけを切り取って、いろんな人に見せてまわったら、恋する乙女の笑顔と言うだろう

          その写真

          Cocktail: ハネムーン

          「いらっしゃいませ。あ、こんばんは。奥の席取ってありますのでどうぞ」 仲良しのマスターが笑顔で二人を迎えてくれる。私は彼に腕を絡めたままバーカウンターの横を通り抜け、奥の二人席に座る。 「一年記念日おめでとうございます。まずはいつものでよろしいですか?」 マスターの問いかけに 「ありがとう、俺はいつもので」 と答え、彼がこちらを見る。 「私もいつものでお願いします」 「かしこまりました」 そう言うとマスターはカウンター内へと去っていった。 「あの衝撃の日からもう一年経つのか

          Cocktail: ハネムーン

          Cocktail: ベルベットハンマー

          『今宵もあなたを想う』 その言葉を見て、私はSNSをスクロールする指を止めた。彼はいま何をしているだろうか。会いたいな、と言いそうになって声を飲み込む。 2ヶ月前、付き合って5年になる彼が仕事の都合でヨーロッパに行ってしまった。早ければ3ヶ月で帰ってくると言われたが、まだいつ帰国できるかは分からないらしい。毎日数回のメッセージと、週末は時差を計算してビデオ通話もしている。それでも、会いたい気持ちは波のようにやってくる。 その言葉は、カクテル言葉を紹介する投稿に載っていた。

          Cocktail: ベルベットハンマー

          Cocktail: ダイキリ

          午後八時。バイトからアパートに帰った私は、疲れ切っていた。途中のコンビニで買った弁当を電子レンジで温めるが、食欲がない。二口つまんで食べるのを諦めた。 薄暗いワンルームで独り、冷めていく弁当を眺めながら思う。もうダメかもしれない。何がダメなのかは分からない。でも、もうダメかもしれない、という考えばかりが頭を巡る。最近夜は毎日こうだ。 部屋にじっと座っているのが居たたまれなくなって、勢いで靴をはき外に出る。気が済むまで歩こう。 薄明かりの灯る住宅街を、頬に夜風を受けながら

          Cocktail: ダイキリ

          Cocktail: シャディ・グローブ

          ふぅ。小説の第一章を読み切った私は、文庫本を閉じて息をついた。休日の午後、窓から差し込む明るい日差しが少し傾いてくる時間。私はリビングのソファに寝転がっていた。ぱらっ。頭の上の方で、ページをめくる音がする。ソファの端に深く腰掛けた彼が、膝の上に広げたハードカバーの本を読み耽っている。 彼は眉間に軽くしわを寄せ、大きな手を口元にあてて、小説の世界に集中していた。文字を追って、二つの瞳が左右に動く。アーモンド色の三白眼。白いページに反射した日差しを受けて、時々きらりと光る。どれ

          Cocktail: シャディ・グローブ

          Cocktail: マイアミ

          「あちらのお客様からです」 私はスマホの画面から顔を上げた。目の前に、半透明のベールのようなお酒が注がれた華奢なカクテルグラスが差し出されている。さらに顔を上げると、バーテンダーが誰かを指し示していた。その手の先に目線を移すと、黒いスキニーパンツにお洒落な柄のシャツを着て、髪にふわりとパーマをかけたイケメンが座っている。………あれ? 「先輩、おひさしぶりです」 イケメンが言った。その声と、優しそうな糸目の笑顔。大学時代のサークルの、一つ年下の後輩だった。 「びっくりしたあ。

          Cocktail: マイアミ

          Cocktail: ナップ・フラッペ

          フォンダンショコラが口の中で溶けていくのを味わう。完全になくなってしまってから、ホットワインを一口飲む。チョコと赤ワインの相性はどうしてこんなにも良いのだろうか。 港町の繁華街。雑居ビルの四階にあるスイーツバーに、私は一人でいた。メッセージアプリのトーク画面には、私の 『先に入って待ってるね』 というメッセージと、一緒に来るはずだった友達の 『ごめん!どうしても行けなくなった…』 という返信。 最後の一口を食べてしまってから、 「あーあ」 というため息がもれた。 「この後

          Cocktail: ナップ・フラッペ

          Cocktail: フレンチ・コネクション

          「ヌナ知ってますか?牡蠣100グラムには、リポビタンD一本分と同じ1000ミリグラムのタウリンが含まれてるんですよ!タウリンって身体に良いって聞いたんですが、牡蠣フライの追加頼むべきですかね?」 向かいの席に座った部下が、口いっぱいに牡蠣フライを頬張りながら言う。韓国人の彼は、教育係でペアになってしばらく経った頃から、私のことを“ヌナ”と呼び始めた。彼の説明によると、韓国語で年上女性に対する呼び名らしい。 「それなら、食べ終わってからリポビタンD飲んだ方が早いんじゃない?揚げ

          Cocktail: フレンチ・コネクション

          助けて!

          助けて! 私は叫んだ。 十数キロ先まで届くほど叫んだ。 自分の声で自分の鼓膜が破れた。 助けて! 私は叫んだ。 しかし唇は閉じたままであった。 音が空気を振動させることはなかった。 助けて! 私は叫んだ。 誰にもその声が届くことはなかった。 身体の奥深く、真っ暗な心臓の中で 何回も何回も響き続けるだけであった。 助けて! 私はナイフを掴み、心臓を縦に切り裂いた。 助けて!助けて!助けて!助けて! 叫び声が溢れ出し、津波のように 十数キロ先までを覆った。 私の手

          助けて!