Cocktail: スクリュードライバー

Cocktailシリーズ番外編。
こちらのツイートに敬意を込めて。


神保町は本の町。その片隅の裏路地で、私はBARを営んでいる。あえて読書BARとは謳っていないが、この町の裏路地の店にやってくる客は、たいてい本が読める落ち着いた空間を求めていた。

今夜も常連の客が、カウンター席に一人とテーブル席に一人。それぞれいつもの酒を飲みながら、本の世界に没頭している。そして若い女の客が一人、テーブル席で文庫本をめくっていた。

『カランカラン』
カウベルが小気味良い音を立てて、ドアが開く。
「いらっしゃいませ」
白色のスーツに豹柄のシャツを着た、若い男が入ってきた。目をひく格好だがヤクザ者の雰囲気はなく、整った顔立ちに個性的な服装が似合っている。

カウンター席に座ると、その若い男は言った。
「シングルモルトウイスキー、ストレートで」
「かしこまりました」
男はさっそく、分厚い本を取り出してカウンターの上に広げた。本を読むのに、服装の制限などないのだ。ペンを片手に傍線を引いたり書き込んだりしながら、男は熱心にページをめくっていく。本好きの中には書き込みなど言語道断という人もあるが、本の読み方もまた、自由なのであった。

シングルのモルトウイスキーの瓶を棚から選び、ウイスキーグラスに注ぐ。
「お待たせしました」
男の前に差し出すと、ありがとう、というように頷いた。

しばらくしてから、私が常連客に追加の酒を出していると、若い男がふぅと深い息をはきペンを置いた。ウイスキーグラスを手に取り、琥珀色の液体を軽く回した後ゆっくりと味わう。そのとき
「すみません、お水ください」
と若い女の客に呼ばれた。
「はい」
私は返事をして、女のテーブルに向かう。ピッチャーから女のグラスに水を注ぎ、カウンターの方へと振り返ると、男がこちらをじっと見ていた。私が歩き出しても男の視線は動かない。口をうっすらと開けたまま、男は女の横顔を見つめている。
『カラン…』
グラスの中の氷が、小さく溶けて落ちる音がした。

私がカウンター内に戻ると、男は瞬きをしてやっと女から目を離した。そうしてカウンターに肘をつき、両手で顔を覆って考え込んでしまった。指と指のあいだから、男の眉間に寄った皺が覗いている。と思うと、眉間の皺がすっとなくなり、かわりに両目がきょろきょろと左右に動く。目を閉じて口角をかすかに上げたかと思うと、また眉間に深く皺が寄る。

そうやってしばらく百面相をしていたが、もう一度女の方を振り返ると、男は覚悟を決めたように真剣な顔で私に言った。
「すみません。スクリュードライバーひとつ、お願いします」
「かしこまりました」
私は男に向かって頷いた。

グラスに氷を入れ、ウォッカとオレンジジュースを注ぐ。スクリュードライバー、カクテル言葉は「あなたに心を奪われました」。男はそれを解っていて注文したのだろう。ロマンチックで素敵な男じゃないか。だが女はそれに気づくだろうか。余計な心配を胸に秘めつつ、マドラーでカクテルを軽く混ぜる。

「お待たせしました、スクリュードライバーでございます」
男は会釈をすると、ジャケットを整え背筋を伸ばして立ち上がった。グラスを手に、ゆっくりと女のテーブルに近づく。

「読書中、お邪魔します」
男が静かに声を掛けると、女は文庫本から目を浮かせた。
「貴女に。スクリュードライバーです」
男がグラスを差し出す。女はグラスを見、白色のスーツと豹柄のシャツをゆっくりと見上げ、それから男の顔を見て瞬きをした。男はスクリュードライバーをそっと女のテーブルに置く。女はまたグラスを見、そしてはっと息を呑む。私は小さく微笑んだ。どうやらカクテルの意味に気づいたようだ。

女がまた、男の顔を見上げる。
『カラン…』
グラスの中の氷が、小さく溶けて落ちる音がした。BARの片隅で誰かが恋に落ちるとき、いつもそんな音がするのかもしれない。

スクリュードライバー
〜あなたに心を奪われました〜

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