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自己紹介

自分はいったい何ものであるか。
インターネットにおける自分に限定していえば、詩の投稿がその大半を占めてきた人間である。

家にはじめてデスクトップのパソコンが来たとき、画面はまだブラウン管のような箱型のものだった。
最初に詩を投稿したのは、「恍惚の宿木」という掲示板だった。ありがちな名前で投稿したため、投稿してから似た名前の先人がいることに気づいた。自分がパクリの偽物のような気がして、読む人に混乱を招いたような気もして、いそいそと退散した。
 それで、別の名前で別のところで書こうと思った。次に行き着いたのが「脳ミソ気球団」というサイトだった。自分が書いた詩にすぐ反応がくるのがうれしかった。
 あの頃はまだ十代で多感な時期でもあった。うまくいかない日々の中に、現実を忘れることができる一つの手段として、とても救いになった記憶がある。暗いものを書いてみたり、短いフィクションのようなものを書いてみたり、ただ描写に終始するものを書いてみたり、詩よりポエムと呼ばれるような観念的なものも多かったように思う。

 残念ながら「脳ミソ気球団」が2008年に閉鎖してしまう。その気配を察してだったか、2007年ごろに現代詩フォーラムにも投稿を始める。そこでは「脳ミソ」で見かけた名前もあって、居心地がよかった。
 しばらくしてpoeniqueというサイトの「即興ゴルコンダ」というところにも、お邪魔して詩を書くようになった。決められたお題で詩を書いて、期日が来たら投票し、一番票が多かった人が次のお題を出すという。この即ゴルで書いた詩を現フォにも投稿するということも増えた。同じ題でもさまざまな詩が生まれるのもおもしろかったし、電車に揺られ学校まで歩く道にあれこれ考えるのが楽しかった。
 残念ながらpoeniqueごと「即興ゴルコンダ」もなくなってしまう。その後、有志が新しい掲示板を作ってくれている。

 並行してTwitterを始める。これが2010年。時の流れは早い。
始めた当時は詩を書くことも、Twitterもこんなに続けているとは思わなかった。
 mixiはサービスとしては今もあるけど、全くログインしなくなっているわけだし。(ちなみにmixiにも脳ミソ気球団のコミュニティがあったのだけど、詩を書いていることは誰にも言っていなかったので、リアルな友達が見る可能性のあるコミュニティ欄に表示されるので、そこには入らなかった。)Instagramもしていたが、投稿する写真があまりないので不向きだった。ブクログは、読むのが遅いのでのんびりと気分の向いたときに、備忘録がてら投稿していたが、最近もととなる読書の方が滞りがちである。

 今ではnoteにも、詩や文章を投稿するようになった。いろんなサイトを転々としているが、ずっと低空飛行していることだけは変わらずで、ランキングの上位に入るようなことも、大量にポイントが入るようなことも一度もなかった。
 ただ頭の中にあるものを、それが嘘なのか現実なのかを気にせずとも言語化することができる詩という短い形式のツールが、平凡で夢見がちな自分との相性が良かったのだろう。
 投稿を続けていく中で、名前も作品もすべて抹消してしまう人がいたり、ぱったり更新がなくなってしまったりする人も多いけれど、たぶん自分はこのまま細々と書き続けていくのだと思う。

【おまけ】
 いつぞやの「自分語り」

こっちの方が、熱量が高め。

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