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#2 不登校からの初めの一歩

前記事で、息子が突然不登校になったことを書きました。

突然。
そう、親からしたら、それは突然に思われましたが、息子にしてみたら、突然ではなくって、我慢を重ねてきた結果であったはずです。

なんでも話せる親子関係だと思っていたけれど、息子なりに親に心配をかけたくなかったでしょうし、勇気を振り絞っての行動だったでしょう。

新学期は関係ない

中2の新学期を迎え、クラスが変われば、これを機に、といった淡い期待も、やはり叶いませんでした。

私としては、学校が悪いとも思いませんでしたし、担任の先生はよく訪問にも来てくださって、強引に来いというようなこともなく、関係を保ってくれていました。

この頃には、私も、息子には中学校という制度なのか雰囲気なのか、とにかくそういうものが合わないんだなと、納得しているところがありました。

なので、もはや新学期だろうが、彼には関係なかったのですね。逆にプレッシャーだったことでしょう。

自分自身が中学生の時も、すごーく無理をして周りに合わせていて、そんな自分がすごく嫌だった覚えがあります。

中学校は嫌いだったなー

だから、そんな息子の気持ちはよく分かりました。

でも、学校は行かなくても良いけれど、社会との接点はもっていてほしいという気持ちは、ずっとありました。

人と出会う

有難いことに、小学生時代の友達2,3人が家によく遊びに来てくれていて、それは本当に親としても嬉しかったです。

でも、何か次につながるような一歩を、と思って、中2の秋頃から、フリースクールや支援教室などをボチボチ見学しに行ったりし始めました。

積極的ではないにしろ、息子もよくついてきてくれたなと思うのですが、彼なりに、何か状況を打破したい気持ちはあったのでしょう。

そんな中で、自治体の支援教室に、少しずつつながれるようになっていきました。

週に1度くらいずつ教室へ行って、先生と面談したり、遊んだり。

支援教室のスタンスも、ゆっくりじっくり関わっていきましょうという感じで、無理なく関係を深めることができたようです。

その教室は正規の先生が2人くらいと非常勤的な先生が3人ほどで運営されていたと思います。

その中に、お兄さん的な先生がいて、息子はとても慕うようになりました。

先生という感じはしない、中学校の先生とは全然違う、と言うように、好きなアニメやゲームの話が合うと喜んでいました。

鬼滅の刃が流行る前に、面白いと教えてもらってジャンプを読み始めたのもその先生からでしたね。

友達と出会う

支援教室には週に3日くらい、調子が良い時は毎日通えるようになりました。

支援教室のメンバーは常時5人くらい、全員集まっても10人弱くらいだったと思います。

一日のうち勉強するのは1、2時間くらいで、多くの時間は、イベントの話し合いやカードゲーム、ソーシャルスキルプログラムなどだったようです。

文化祭の時期には、自分たちでカフェを開催し、中学校の先生や保護者、市長などを招待したりもしていました。

そんなふうに居心地のよい場所ができ、友達もできて、少しずつ一歩を踏み出し始めました。

朝、行ったふりをして帰ってきてたーみたいな日も珍しくはなかったですが笑、その教室との出会いには本当に感謝しています。

中学校そのものが、こんな場所だったらなあ。初めから、こんな選択肢ができたら、苦しまずに済む子もいっぱいいるだろうと思います。

そして、中学3年生になり、進路について考え始めるようになります。

また次回に。

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