《女子大生×アーキビスト》

大学では図書館学を勉強しているのだが、司書になりたいわけではない。ではなぜ図書館学を?という原点回帰のような問いに今日は答えようと思う。

【図書館学と私】

図書館学を学ぶきっかけとなったのは、岡野裕行先生の講義を受けたのが始まりだった。最初の講義の印象は最悪。この講義を4年間も受けるのかと思うとぞっとした。何しろスライドの文字量と先生が口にする情報量が、私のキャパシティを2分で超えて、もうそこから先は覚えていない。これを4年間はしんどいぞ。どうにかしなければと思い、次の講義のときに先生が口に出すことを全てをノートに記した。そうしたらものすごく感動して講義中に泣きそうになった。なんだこの学問は、めちゃくちゃ面白いじゃないか。図書館はもっと内向的な性格を持っているのかと思っていたのに、全然違うじゃないか。全ての分野の本を網羅的に収集しているから、学問の窓口的な役割も持っているのか。なんて懐の深い学問なんだ。それに他館との連携力も強いだと。ふむ、図書館という空間を演出している人たちがいるのか。空間の演出なんて、まるでマジシャンじゃないか。図書館を作っている人たちはエンターテイナーなんだ。もしかすると図書館学とマジシャンは少し似ているのかもしれない。もっと話が聞きたい。頼む、講義終わらないでくれ。……と思いながらも、あっという間に90分の授業が終わってしまった。物足りなくて、岡野先生の研究室を訪ねた。


コン、コン。


「失礼します。あの、先生。図書館はどうすれば建てれますか。私、図書館(Magican's Library)を建てたいんです。」

これが図書館学を学ぶきっかけになった私の物語の序章だ。


その後、たくさん学んで、現在は3章に差しかかっている。1章と2章が気になる方はACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG)の719号(2018-11-12、4211部)に掲載されている「マジシャンでありライブラリアンのたまごでもある私」を読んでいただければと思う。

http://www.arg.ne.jp/node/9546

【博物館学と私】

さて。
3章は、博物館学と長谷川怜先生との出会いについて書く。
長谷川先生が何者かというと、私が通っている皇學館大学に今年の春から国史学科の助教授として就任された先生だ。学習院大学人文学科研究科史学専攻博士後期課程 博士課程 2019年03単位取得満期退学、2016年04月 - 2019年03月 千代田区地域振興部文化振興課 文化財係(日比谷図書文化館文化財事務室)学芸員をやっていた人らしい。(リサーチマップ調べ)
私が長谷川先生を知ったのは図書館だった。私は今年の4月から大学図書館でカウンター業務を中心にアルバイトをしている。そして長谷川先生はそこに来た。
「貸し出しお願いします。」
「はいー。」
私の大学の貸し出しは、学部生・専攻科生・科目等履修生は5冊以内14日間、大学院生・研究生特別研究生は10冊以内14日間、教職員20冊以内90日以内だ。持ってきたのが5冊だったし、迷わずに院生用のスタンプを押した。
「あ、あの……。すみません教員です。」
「え。あ、ごめんなさいっ!(初めて見る顔だった)」
「やっぱり院生に見えますかね、よく間違えられるんです、へへへ。」
「あ、いえ、でも、とてもお若く見えて。つい見た目で判断してしまいました。すみません、以後気をつけます。失礼しました。」
自分でも目が泳いでいるのがわかった。
一回りも違う大人に見苦しい言い訳をしてしまった。恥ずかしい。
教職員の顔はほとんど覚えていると思っていたのに。
「いえいえ、では、また。ありがとうございましたー。」と、立ち去って行った。
くぅ……、やられたー。教職員の名簿見直そう。
……あれ、もしかして長谷川先生って今図書館の2階で「昔の伊勢について」の展示している人なのでは。はぁ、あの綺麗な展示をした人だったのか。知らなかった。何でこんなに美しい展示の仕方を知っているんだろう。どういうノウハウがあるんだろう。知りたいな。というのが第一印象だった。

ちょうどその頃の私は、図書館学で書誌学を学んだので、それに習 倣い、アーカイブした手品道具の目録を作っている時期だった。が、全然上手くいっていなかった。タイトルやサブタイトル、出版年や発行所……。なんだ、全然わからない。そもそもこの道具はなんというタイトルなんだ。廃棄処分されてしまう道具だぞ。タイトルなんてない。そもそも出版されたものではないし、本ではない。おかしい、似ているのに何か違う。書誌学の物差しでは測れない。
もしかしてこれは博物館学の目録の取り方のほうが適しているのではないか。そう思ったので、図書館の069.5のところへ行った。たくさんの博物館学の資料。目録に関する本などを片っ端から集めて読んだ。なるほどこれは面白い。博物館に収集された素資料は学術的・芸術的・教育的・地域的価値などが調査・研究され博物館資料となるのか。美術品の場合はそのものに芸術的価値があるけれど、資料そのものと同時にその背後にある文化全体の情報に価値がある場合が多いのか。ふむ、そう考えると手品の道具も美術品の扱いに近いな。
実際、森清が1929年に日本十進分類法を作った時、手品を芸術に分類してくれてるし間違ってはいないはずだ、と思いながら読んでいた。図書館学から見る手品と博物館学から見る手品。今までにはない視点。そうだ、博物館学の先生に私のコレクションを見てもらおう。そして意見をもらおう。きっといい意見がもらえるはずだ。よし、研究室を訪ねよう。
しかし、他学科の先生にツテがないなぁ。突然訪ねるのも不自然だし。どうしよう・・・。と、2、3日悩んでいた。そんなある日、岡野先生と歩いていたらたまたま長谷川先生が前から歩いてきたのだ。なんという奇跡。「岡野先生すみません、長谷川先生のところへ行ってきます。聞きたいことがあって。」と述べた。
そうしたら笑いながら「熱心だねぇ。」と言い背中を押してくれた。

というわけで、また長谷川怜先生と接触したのだ。
長谷川先生は私のアーカイブ活動を面白がってくれたし、目録の取り方や、収集理念を決めた方が目録作りが進めやすいことや、道具の展示方法などを教えてくれた。思い切って一歩踏み出してみてよかった。新しい世界が開けた。色々お話を聞かせてもらえて、最後に「またいつでも研究室に遊びに来てくださいね。」と温かいお言葉をいただき、本当に嬉しかった。その後すぐに、2回も訪ねたりもした。これは最近分かったのだが、先生は私のことを図書館員さんだと思っていたらしい。

【手品を多角的な視点で】
マジシャンの視点から手品の保存について考えてみると肩身が狭いし、煙たがられることが多い。マジシャンからしたら、道具を保存されることはタネを明かされることと同義で、そんなことをされたら商売上がったりというわけだ。
しかし、界隈を変えて図書館学・博物館学・アーカイブ学の視点から手品の保存について考えてみると、全く真逆で、面白くて良いトピックスだね、と肯定的に捉えられることが多い。
先日の第21回図書館総合展の初日(11月12日)のスピーカーズコーナーBで、11時45分から12時30分まで「手品×図書館」をテーマとして「手品の保存」についてトークをした。ときどき手品を交えながら。そこで今まで図書館学しかやってこなかったけれど、博物館学を学んでみて双方の学問の違いとか、そこの面白さとかを話した。みんな、学生が喋るなんてと物珍しそうに、一体なにが始まるんだとこちらを見ていた。話していくうちに自分の思考が整理されていくのがわかった。私のやりたいこと。それはきっと「手品の保存」だ。それも現在進行形で行われている「手品の保存」。それが何の意味をなすのかなんてわからない。ただわかるのは、視点を変えるだけでこんなにも世界が広がるのだということ。

現在の「手品の保存」をしている友達はまだいないけれど、きっとこういうことを考えてる人はどこかにいる。この活動は手品を多角的に見るよい勉強だ。きっとマジシャン視点で保存について考えていたらすぐに行き詰まってしまっただろう。
図書館学も博物館学も勉強してよかった。貪欲な性格でよかった。


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そうそう、図書館総合展第交流会で面白い人たちからお知恵を貸していただいたのだ。この写真を見てほしい。私が自分で作った手品道具アーカイブの目録を見せつけて意見を求めている写真だ。
左から東京大学大学院情報学環特任准教授の福島幸宏さん、東京大学院人文社会研究系准教授で元CiNiiの中の人の大向一輝さん、東京国立博物館学芸研究部調査研究課長の田良島哲さんだ。撮影者は岡野先生。
「面白いことしてんねえ。」
「目録のとり方いいじゃん、あと、それが作られた背景とかそういうものを付け足したりしたらもっと価値が生まれるよ。」
「これがどうなっていくのか楽しみだねえ。」

研究者の方々からそんなお言葉をいただけるなんて。恐悦至極とは正にこのことだ。

この活動を続けることにより、私に成し遂げられることは何だろうか。

その結論はすぐには出ない。


岡村真衣



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