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柿谷曜一朗選手の移籍に思うこと

あぁ一時代が終わったのだな、と思った。
小学生の頃から、セレッソ大阪を応援してきて、20年が経った。

一番熱心に応援していた時代はとうに過ぎ、ここ数年は一年に数回、長居(ヤンマースタジアム長居)に足を運ぶ程度になっていた。

今年は感染症対策のこともあり、現地では1試合しか観ることができなかった。
現地では、と書いたが、Jリーグは地上波等で放送されることが少なく、テレビで観たのも1試合だけだ。

実家を出てスカパーも観られなくなり、さらにDAZN主流になってからは、テレビが古いため実家でも試合は観られなくなった。

やっぱり毎週試合を観ていないと、各選手の特徴やチームが今どんな戦術でどんなフォーメーションで戦っているのかも分からなくなる。

毎週観ていた頃は、交代選手が準備し始めると誰と交代で、フォーメーションはこう変わって、というのが即座にイメージできたのに、今や背番号と選手の名前の一致すら危うい。

そんな状況で知った柿谷曜一朗選手の移籍。
遅かれ早かれこうなるかもしれないとは思っていた。何度も移籍の噂はあったし、その度に残留の決意をしてくれたことに安堵したりもしていた。
けれど、心のどこかでいつかはこうなるのではないか、と思っていた。

私はセレッソ大阪の中で、特別に柿谷曜一朗選手が推し、というわけではない。でも背番号8をつける彼に、特別な思い入れがあったのも事実だ。

セレッソ大阪を応援する人や、サッカーフリークのみなさんならセレッソの背番号8の意味はご存じだと思う。
クラブもサポーターも、とてもとても大事にしている番号だ。
モリシが引退したあの日から、その意味はとても重いものになった。

その背番号8の選手が国内の他チームへ移籍。
これがもつ意味は大きい。

だからといって、私は柿谷選手を責めるつもりなんて全くない。プロなのだから試合で活躍してなんぼ。そのために必要としてくれる場所に行くこと。それは当たり前のことだ。

セレッソを一番応援していた学生時代なら、気持ちが先行して、裏切られたような気分になっていたかもしれない。
だが、そこから少し離れて、客観視できるようになった今はそう思える。私は少し大人になったのかもしれない。

もう私が本当の意味で知っている選手(名前だけじゃなくて、プレースタイルやそれぞれの特徴、走り方とか)は、セレッソからほとんどいなくなってしまった。
残っているのは、同い年のマル(丸橋祐介選手)、守護神のジンヒョン(キムジンヒョン選手)、それから日本代表でも活躍したキヨちゃん(清武弘嗣選手)ぐらい。

寂しい気持ちがないといえば嘘になる。

思えば、私の青春時代はずっとセレッソとともにあった。
小学生の頃から、毎週のようにサッカーダイジェストかサッカーマガジンを買い、試合が終われば雑誌の真似をしてサッカー記事を書いたりしていた。
週末の予定は、セレッソの試合時間で決定するし、試合を観に行く日が一番最初に決まっていた。

大好きだったモリシ(森島寛晃選手・現セレッソ大阪社長)、ヌノ(布部陽功選手)、フル(古橋達弥選手)、貴士(乾貴士選手)、シャケ(酒本憲幸選手)…今で言う「推し」の選手を挙げていけばキリがない。

前半20分で0-3で負けていたのに終わってみれば6-4で勝った浦和戦、勝ちきれず初優勝を逃したFC東京戦、試合後初めてのACL出場が決まったあの日…それらの日々にゴール裏で観た景色を私は一生忘れることはないだろう。

そう思うと同時に、もうあれほどに心を動かされることはないのかもしれないとも思う。

確実に、私の中でセレッソの一時代は、過去に一度終わっていた。

それなのに、移籍期間というのは、何度経験しても慣れない。
セレッソから少し離れてしまった私だから、もうその寂しさを感じることもなくなったと思っていたのだけれど、やっぱりこの切なさは慣れることができない。
「今度こそもう大丈夫だ」と思っていたのに、こうしてヨーイチローの移籍の知らせを聞いて、こんなにも衝撃を受けてしまっている。

これから全く応援しなくなるわけではないけれど、そろそろセレッソ関連にしているSNSのアイコンも替えどきかも、なんて思っている。
もう私はセレッソサポーターを名乗れるほど、セレッソのことを知らないから。

これからもたくさんの人がセレッソを応援して、喜んだり、ときには悲しんだり、そしてまた最高の瞬間を味わってほしいと願っている。

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