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何の博士ちゃんになりたいか

実は博士号を持っている。

結局のところアカデミックの道に進むことはなかったが、
学生の頃は研究に精を出していた。
あの時は充実した時間を過ごせていたと思う。

研究テーマを選んだ時はまだ研究室に配属されて数ヶ月。
指導教員から提示された複数のテーマの中から、
各学生がどれかを選ぶ形だった。

そんな段階では各テーマがどんな内容かわかっておらず、
正直なところ字面のカッコ良さで選んだようなものだった。

ただ、研究をしていくうちになんだか面白そう。
もっと進めていきたい。
と、思うようになった。

学部を卒業する段階で研究は全然進んでおらず、
このまま卒業して研究を終えるのも勿体ないと思い、
大学院の修士課程に進んだ。

修士課程を卒業する段階でも思うように進まず、
ここまできて途中で止めるのも癪だったので、
気がついたら博士課程まで進んでいた。

なんだかんだでその研究が好きだったようだ。

当時はなるべくストレートで博士号を取ろうとか、
少しでも早く卒業してやろう、
とかは思っていなかった。
単に好きな研究をしていたい一心だった。

研究なんて基本的には上手くいかないことばかり。
失敗し過ぎて、成功してもまずは疑う。
素直に成功に喜ぶことに慣れていないのだ。

でも試行錯誤が楽しかったし、
実際に成功した時と確信した時はそれはもう胸が高鳴った。

研究は何か社会貢献するために行うものだが、
自分にとってその意識は薄かった。

単に自分の知的好奇心を満たすため。
単に面白いから。

計6年間も研究を続けていられたのは、
楽しいという感情に尽きると思う。

あの6年間はこれまでの人生で最も充実していて、
最も自分らしかった。


特定のジャンルに没頭している子供達を、
博士ちゃんといって紹介しているテレビ番組がある。

よく見る番組だが、いつも感心する。

彼らからは到底今の自分にはないエネルギーを感じる。

何かを究めるってエネルギーが必要である。
でもそんな彼らは義務感で探求している訳ではないと思う。

そのジャンルが好きで好きでたまらないから。
その感情が原動力となっているのではなかろうか。

当時自分が研究していたときのように。
あの時自分は博士ちゃんだったのだ。

今ではただの社会人。
また何かの博士ちゃんに戻りたい。

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