見出し画像

「疲れていないって、しあわせ」と思った日

おかーさんは疲れています

とよく家でつぶやき、へこたれています。
だって、疲れているから!

でも、この前の週末、
あれ…今日のわたし、疲れてないかも
と思いました。

その日のわたしの動きはというと…

5時:起床
7時半:学校に行く娘と一緒に家を出る
8時半:ピラティス
そのタイミングで娘から「提出物を家に忘れてきてしまったので学校まで届けてほしい」と連絡があったので…
10時:最寄り駅まで戻り、駅前のスーパーで1週間分の食材買い出しをしてから帰宅
10時半:食材をいったんしまったり、準備をしたりしつつ合間に少し休憩(座れる)
12時前:また家を出て娘の高校へ
13時半:高校から移動し最寄り駅着。駅前のカフェで娘を待ちながら15分くらい休憩(座れる)
14時:娘と一緒に帰宅
~17時半くらいまで:午前中に買った食材で作り置き(16品)
18時:洗い物まで終わる(3時間ぶりくらいに座れる)

という感じでした。

わたしにとっては、いつもの週末より移動が多く、さらにいろいろな用事をすませた1日。それなのに。なぜか疲れていないことに、びっくりしました。

疲れを知らない子どものように~♪

「シクラメンのかおり」布施明

ここで歌われている「子ども」、わたしは勝手に小学1年生男子をイメージしています。元気ハツラツです。

この歌詞のように、
「ずーっと動き回っていられる子どものように、疲れない体になりたい!」
と、特に娘を産んでからはずっと思っていました。


この日、わたしは心から「疲れていない、ってしあわせだなぁ」と思いました。

もうこれからは、
疲れている時間をできるだけ短くできるように努力しよう! 体力ももっとつけようっと」
とかなり本気で思ったくらい、しあわせだなと思いました。


ちなみに、わたしには「自分が今疲れているか」判断する目安にしていることがいくつかあります。

・仕事や家で何か頼まれごとをしたときに「チッ、めんどくさいな」と思うかどうか(「チッ」は心の中での舌打ちです…)
思わないときは、疲れておらず、メンタルもやさぐれていないときです。

この日でいうと、娘からの、
「一度(まあまあ最寄り駅から遠い)家に帰って提出物を持って(駅から適度に歩く)高校の前まで指定の時間に来てほしい(外で待つの寒い)」
という、正直めんどくさい上に2時間弱はつぶれてしまう頼まれごと。

これに対して「まあいいか、行ってあげるよ」という気持ちに自然になれたことがまず、「あれ、今日のわたし、体調がよい(疲れていない)ぞ」と思ったきっかけでした。

・家事や仕事を「イヤイヤ」やっていないかどうか
「やらなきゃ…ああ嫌だ」ではなく「さっさと終わらせてのんびりするかーー!」と思えるときは、疲れておらず、体調もいいときです。

「なんとなく」気分がいいかどうか
この「なんとなく」がポイントです。特に何かいいことがあったわけではなく、でも、嫌なことがあったわけでもない。
心が「凪」の状態にあるとき、わたしの心は一番元気です。


この日、なぜわたしが疲れずにいられたのかは…正直わかりません。
前日は飲みに行っていたので朝は少し2日酔いだったし、寝つきもよくなかったので寝不足気味。
さらに朝イチでハードなピラティスレッスンに参加してヘロヘロになり、午後は3時間くらいおかずを作り続けるという、むしろ「疲れる条件」がそろっていたのに…不思議です。

理由はわからなかったものの、「疲れていない」感覚を少し取り戻せたことが、とてもうれしかった日でした。