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浮足立つ7月のはじまり

5月あたりからそうだったけど、祭囃子や自分の心拍をすこし上げてくる太鼓の音なんかが鳴っていないのに聞こえているような感覚がする。じっとしていられないような、じれったいような7月がすき。

若干の梅雨とかぶっていつも天の川は見られなくて、梅雨が明けたらあれよという間に真夏が来る。入道雲・蚊取り線香・かき氷・極寒冷房の中でくるまる毛布・ゾッとする怪談話、風物詩がたくさんあってすき。

小さいころ、今あるものはずっとこれからも続くと勝手に思っていたものがたくさんある。だけど年金制度はパンクするし、親友は苗字は変わっているし、イチローは引退するし、宮崎駿だっていつか死ぬし、大好きな連載は終わるし、あの人は描くことをやめてしまうかもしれない。

それでも年金は納めなきゃいけないし(現段階)、旧姓の親友との思い出は褪せないし、イチローは次世代ジュニアを育てるだろうし、宮崎駿の映画はどこかの今夜金曜ロードショウで特集を組まれているかもしれない。大好きな連載のスピンオフがまた連載されて、描くことをやめてしまったあの人が再び筆を手に取るかもしれない。

そういうのを意識した夏にしたい。

刹那的に楽しむその瞬間もまたいいけど、この点がどの点に結びついて線になるのか、楽しみに待ちながらその時を過ごしたいなと思った。一瞬一瞬に固執してしまうと、目先の快楽や利益ばっかりに目が向いて辛い。

夏のうだる暑さに任せて、がちがちに固まっているこの固定観念やつまらない風習や慣例・暗黙の了解みたいないらない遠慮が全部とけちゃったらいいなと思う。

そしたら全部水に流れて、また0からやり直そう。

そういうかんじ。


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