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【ショートショート】桜の木の下には

お題:春爛漫

ここに来るのは、10年ぶりだ。
季節はうるさいくらいに春めいて、桜の花を爛漫に光らせる。
桜の元に集う群衆はどれも、陽光に勝るとも劣らない笑顔をさんざめかせ、馬鹿騒ぎをしている。
10年前に見たときはこれほど人が集まるような場所ではなかったけれど、随分と出世したものだ。
ここは山の深いところで、道路も通っていなかったのだが、観光の目玉にしようと目をつけた行政が、道路を開拓し、公園を作り、駐車場を整備し、看板を立てた。
それからこの場所はこの刹那の季節だけ、賑わいを見せるようになった。

喧騒を尻目に、ちびちびと焼酎を齧る私の肩にぱしりと固い感触があった。
見ればとてつもない美人がそこにいた。
まだ高校生くらいに見える。

「そこのおとうさん、こんなところで何をしてるんです?」

それほど大きい声ではなかったが、喧騒を容易く貫いて言葉が耳朶を揺らす。
その嫋やかな声音は、枝垂れ桜を思わせた。

「見てのとおり、花見です」

「誰かと来てるんですか?」

「いや、一人です」

女性が傾げた白い首を舞い寄る花弁が彩った。

「毎年家族で来てたんです。ほら」

私はスマホを探り、1枚の写真を見せた。
妻と娘が写っている。
バックに桜の木。
私は撮影をしていたから写っていない。

「へぇ、楽しそうですね」

「そうでしょう。まあ5年前、離婚しちゃいましたけど」

「娘さん、この時何歳くらいですか?」

「12歳、だった」

「そうなんですね」

春に似つかわしくないほど涼やかな顔には、ひとつも汗が浮かんでいない。
なんだかここだけ、喧騒から切り離されているような不思議な感覚だった。

「ひとりっ子、だったんですか?」

春一番が吹いて、忽ち花弁が舞い踊った。
喧騒はすっかり消えてしまって、木がザワつく音しか聞こえない。

「10年前、子供ができて駆け落ちした男女がここを訪れたと聞きます。当時、この場所は道路なんかも通ってなくて、本来人が来るようなところではないはずなのに」

花弁が次々落ちて、足元を照らしているようだった。

「若い男女の駆け落ちは過酷なものだったことでしょう。子供を育てるのにもお金がかかります。一人でもキツイのにましてや、二人も」

続けられる言葉に答えることができない。
再び風が一陣吹いて、今度は足元で花弁が渦巻いた。

「生まれた子供が双子だったのは、不運な偶然で、誰も責められるものではない。しかしそれほど賢くない夫婦にも明白だったことでしょう。2人とも育てるのは不可能だと」

足元で渦巻いていた花弁は、桜の木の下に運ばれていく。

「このままでは一家で心中するしかなくなってしまう。そこで夫婦は思いました。片方を生まれてこなかったことにしようと」

首すじに冷ややかな汗の感触が伝う。
花弁がぺとりと張り付いた。

「夫婦は協力して、子供を山奥まで運び、とうとう埋めてしまいました。間違っても掘り起こされないように、1番大きな桜の下に」

舞い上がった花弁が彼女を包むように踊る。
白い肌が中心に映えていた。

「仮に生きていたならば、私くらいの年齢でしょうか」

微笑む表情に面影を見つけた。
膝が地面に落ちる。

「もう一度聞かせてください。おとうさん、こんなところで何をしてるんです?」

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