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【エッセイ】感情が渦巻くような思春期を過ごして学んだ事

中学時代の同級生にMさんがいる。当時、私は友人が少なかったが、Mさんとは打ち解けて話せることが多かった。
Mさんはクラスの人気者だったので、初めは、消極的な自分とはおそらく気が合わないだろうと思っていたが、話してみると、すぐに彼女の魅力がわかった。Mさんの、自然体で、誰に対しても分け隔てなく接する人柄の良さと、独特なユーモアセンスを好きになった。彼女には、こちらも気を遣わずに話せた。

Mさんの正義感があるところも好きだった。
私は当時、ある特定の男子に、
「ももえって、モジャモジャなんでしょ」
「ボーボー」
と身体の一部のことをしつこく揶揄され、傷つくことがあった。
Mさんはそんな私の姿を見兼ねて
「私の方がモジャモジャだから。ワッシャワシャだから。ほれ、見てみろ」
と、彼女らしい方法で、その男子を一蹴してくれたのだ。

Mさんとは、気付いた時にはかなり仲が良くなっていた。今振り返れば、きっかけは席替えで席が隣になったことだと思う。授業中に先生の目を盗み、互いの机の上やノートの隅にうんこの落書きをし、スリルを楽しむという遊びをするほどに、仲良くなった。そのせいで、私は一時的に成績が落ちた。しばらくすると、それだけでは飽きてしまい「うんこ日記」というものを交換するようになった。
「うんこ日記」とは、そのまま、うんこを書く日記のことである。
うんこであればなんでも良い。絵でも良ければ、漫画でも良し、オリジナルのキャラクターでも良し。それを互いに描いては見せ合う。
私はよく、擬人化させたイケメンうんこに告白をさせていた。イケメンうんこの告白相手はMさんという設定で。
Mさんはというと、「スタイリッシュなトイレの行き方」「将来は外資系企業に携わりたい意識高い系うんこ」などを描き、やはり私の斜め上をいっていて、センスが良かった。
一つ困ったのは、人気者のMさんが絵を描くと、周りのクラスメイトが寄って来るので、必然的に私の絵まで見られてしまうことだったが、
「何これ、ももちゃん。こんなの描くの?ウケるんだけど〜」
と皆、笑ってくれたので、悪い気持ちはしなかった。いつしか、学校の中で公然とうんこの絵を描くことが平気になった。
勉強やクラブ活動、将来への不安、人間関係、自分のネガティヴな性質。色々なことを思い悩み、苦しい思春期だったけれど、それでも、あの頃は学校に楽しみを見出すことが出来ていたように思う。Mさんとくだらないことで笑いあっている時間は凄く楽しかった。
ひょっとして、私の思春期は、Mさんとうんこに救われたと言っても過言では無いのかもしれない。

中学校を卒業して八年が経つが、現在も、Mさんと関係は続いている。
会える頻度はかなり減ってしまったが、だからこそたまに会える時は本当に嬉しく、楽しさも倍増する。それに、くだらない話だけではなく、互いの悩みや社会情勢のことなど、真面目な話もするようになった今の方が、更に良い関係を築けているようにも思う。どんな話をし合おうと、相変わらずMさんの飾らない優しさと面白さは健在なままで、それも凄く嬉しい。

最近、驚いたことがある。
それはMさんと長電話をし、中学時代を振り返った時のことだった。
彼女の方から「あの頃、ももちゃんには助けられたよ」と言う言葉をかけてくれたのだ。
Mさんには、昔から今の今まで頭が上がらないと感じていたので、最初は彼女の発言の意味がわからなかった。少し考えた後も「そんなわけがない」としか思えなかった。しかし、彼女は続けてこう言った。

「中学二年生の時、部活が本当に大変で顧問の先生とも、全く合わなくて辛かった。勉強との両立も正直キツかった。順位がつけられたり誰かと争ったり…競争意識を持って何かをすることにも、向いていなかった。とにかく色んなものに押しつぶされそうだった。だけど、ももちゃんとくだらない事で笑っている時間は楽しかった。もしあのまま、一直線に頑張りつづけていて、学校に楽しみを見つけられなかったら、自分を見失っていた。くだらないことだったけど、寄り道する大切さをあの時学ぶことが出来た。色々な経験をして、自分の物差しで、自分がどう生きたいかを考えることが大切だと思えた」と。

彼女がそんな風に感じてくれていたこと、それを言葉で直接伝えてくれたことに、私はまた一つ、救われる思いになった。
苦しみ、思い悩んだ学校生活の中でも、楽しみを見出しながら踏ん張っていたのは、私だけではなかったのだ。

振り返れば、確かにMさんはとても頑張り屋さんだった。勉強も部活動も一生懸命だった。Mさんほどではないかもしれないが、私もそういうタイプだった。未来の幸せのために努力をしていた。
だけど、大人から前に進むことばかり教わってきた
私達は、自分の本当の位置がわからなくなって苦しんだのかもしれない。

当時の大人が教えてくれた「頑張る」ということ。
それは当時の私にとって、時間や社会のスピードと共に前に進み続けなければならないことを示しているように思えたし、そうでなければならないと思っていた。だけど、それはとても苦しかった。時計の針とは違って、人の心は過去と未来と現在を行ったり来たりする。前進と後退を繰り返しながら、生きてゆくのは、何もおかしくなかったのに。進んでゆく時間の流れだけに心を委ねようとして自分を見失いそうになる、そんな思春期だった。

だけど、そんな葛藤の中で、自分の足元を照らしてくれる、そういう存在は必ずある。それが、Mさんのいう「寄り道」なのだと思う。
寄り道をして町全体を知るような経験が無ければ、現在地が町のどんな位置にあり、どんな特徴を持つのかを私達は知ることは出来ない。それと同じように、人生に「寄り道」が無ければ、私達は本来の自分の姿がわからず、自分にとっての幸せを見つけることが出来ないのだと思う。
Mちゃんも私も、少し真面目なところがあるから、まだまだ肩の力は張ったままだけど、焦らずに色々なことを経験して、少しずつ、生きやすくなれたらいいなと思う。

回りくどいことをゴタゴタと書いてしまった。
どんなに真面目な事を書いているつもりでも、この文章が誕生したきっかけは「うんこ」なのに。Mさんと仲良くなったのも、私とMさんが学校に拠り所を見つけられたのも、「うんこ」が出発なのに。
都合の悪い事実は水に流して、カッコのつくところだけを書けばよかったかもしれない。

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