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【エッセイ】弱者が弱者を叩く世界で

小学五年生の頃、一時的に、一部の同級生からのいじめに遭っていた。さらにそれだけではなく、一つ上の学年の者からも被害を受けていた。その中で最も加担してきたのは、一番下っ端の男子だった。今振り返ると、その男子は、誰よりもいじめに積極的に参加することで、勢力ある集団に自分が帰属していることを周りに示していたのだと思う。

弱い立場に置かれ排除される側の人間が、不条理な者に賛同し、誰よりも率先して行動に起こすといった事例は、世の中に転がっている。
例えば、物価は高騰し国民の所得は下がり続ける中、政府は、増税や軍事費を増大し続け、最近では女性国会議員が税金で「フランス旅行」に行ったことが明らかになっているが、そんな状況下でも、政府に対し無批判に同調的な人々がネット上に見受けられる。経済的に立場の弱い人間は、強い政府と同一化することで自己を保とうとする傾向があるからだ。事実に目を背けている彼らは、政府に批判的意見を述べる人を、主張の内容ではなく、話し方や態度・自己責任論で否定していることが多い。
また、「美しい日本」「誇り高き日本」などと謳い、「日本人」としてのアイデンティティを強調する人々が、弱者に冷淡なことが多いのは、弱者の中に本当の自分の存在を見出してしまうのが、許せないからだろう。
いじめや格差は、そういった人間の深層心理が周囲に影響し伝播していく。

 昨日、あるYoutubeの番組を見た。一般人や貧困層にいる若者が「投資家」などといった所謂「成功者」にプレゼンテーションをし、投資や融資を依頼するといった趣旨の番組だった。見ていて心が苦しくなり、思わずスマホを壁に投げつけていた。
「成功者」の複数人が、貧困で苦しむ依頼者側を「努力不足」だと指摘し、「それが金を借りる側としての態度か」と声を荒げる場面があったからだ。更に、もっと不気味だったのが、そのYoutube番組のコメント欄だった。「依頼者側」ではなく、「成功者」に賛同するコメントが半分以上を占めていた。
おそらく、Youtubeにコメントを残している人々の大半は「成功者」ではなく、「依頼者側」のような経済的弱者の立場に近いはずだ。それなのに、「弱者」が「弱者」を叩く…この構造は何だろう。
「弱者」が、「成功者」と共に「弱者」を非難する行為。それは、最も簡単に自分が「弱者」であるという現実から目を背けることが出来るだけではなく、「成功者」と同様の高揚感を得ることが出来る行為でもある。
依頼者側のこれまで生きてきた環境や「大衆の目に晒されてまでもお金を得なければ、夢を追うことや食べていくことすらままならない」といった背景を、彼らは本当は、痛いほど知っているというのに。何だか凄く、やりきれない。

人は追い込まれるほど、自分にない名声に自身を近づけることによって、自己を回復しようとするのだ。
息がしづらい現代だからこそ、あらゆる方向から世の中や自身の感情を見つめ、本来の「幸福」とは何かを、私達は熟考し続ける必要がある。

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