小学1年生からのまっすぐな問いに、ハッとさせられた話。
もう随分と前の話なのだけれど、いつ思い返しても心が動くので記事にしておこうと思う。
簡易型電動車椅子にもすっかり慣れてきた頃、大阪のイベントにひとりで出向いた時のこと。いつものように近鉄電車に乗り、ドアの前で片方に車椅子を寄せて停止した。座席は埋まり、ちらほら立つ乗客がいる。途中の駅から、おそらくやや早めの下校と思しき小学1年生(会話から推測できた)が集団で乗り込んできた。
一気に賑やかになる車内。電車通学するような子たちだからお受験突破組なわけで、我々が小学校だった頃のようなガキンチョとは違うのでは…と思ったけどそんなことはなく、普通にかしましい子ども達だった。元気で何より。
その中から、ひとりの児童が、私に声をかけてきた。
「なんで車椅子に乗ってるん?」
周囲の空気が、ピンと張りつめたのを感じた。うん、そうですよね、なかなか大人は聞きませんからねそういうことは。そして電車内の会話は割とみんな聞こえてますよね。
車椅子に座る私は、子ども達とほぼ同じ目線だった。その子の顔を見ながら、隠さずに答えた。
「筋肉の病気で、力が弱くなって歩けなくなったから、車椅子に乗ってるんよ」
私が答えたからだろう、他の子達も興味津々になった様子だった。「コッセツしてるの?」と聞いてくる子もいて、筋肉の説明をしたような記憶があるけれど、何と話したのかは憶えてない。1年生に解るような説明ができていただろうか…。
「前は歩いてたん?」
「治らへんの?」
「みんなと同じくらいの頃は走ったりもしててんけどな、だんだん歩けなくなってきて、杖をついたりもして、それでも歩けなくなったんよ。今のところは治る病気ではないらしいわ」
子ども達は、私の状態を理解したようだった。私がまず感動したのは、ここで「かわいそう」と口にする子はひとりもいなかったこと。
「階段とかどうするん?」
「階段は上がられへんから、エレベーターを探すよ」
「お父さんに頼んだらええねん! 運んでもらったらいける!」
「私のお父さんはみんなのおじいさんと同じくらいの年やからなぁ、抱えて運ぶのは無理やと思うで」
ここはみんなピンときてない様子だった。そうだよね、みんなにとってのお父さんは頼れる男の人だよね。でもね、おばちゃんのお父さんはおじいちゃんなんやで。
「階段しかないところはどうするの?」
「そうやねぇ、階段だけやったら諦めるかな」
そう答えたあと、続けて問いかけられた言葉にハッとした。
「じゃあ、前は行けてた場所に行けないこともあるの?」
まるで走馬燈のように、車椅子になってから行くのを諦めた場所のことが脳裏を駆け巡った。
その子はさほど深く考えて尋ねたわけではなかったかもしれない。でも、第三者からの言葉でそう言われたその時、私は初めて口先だけではなく「諦めた」事実を噛みしめたのだった。
子どもだから投げかけられた問いだったと思う。大人は慮って、そういう聞き方はできないよね。でもその子が「前は行けていた、でも今は行けない」という可能性に気づいたことに、そのまっすぐな問いに、私はとても感動した。そして、ゆっくりと答えた。
「そうやね、そういうこともあるね」
私の答えを、その子がどう受け止めたかは解らない。けれど、記憶に残ってくれたらいいなと思う。
いま行ける場所に、いつか行けなくなることがある。そういう人もいるのだということを、憶えてくれていたらいいなと思う。
あれから年月が経って、あの子ども達はもう中学生になっているだろう。小学1年生だったある日の電車内で出会った車椅子のおばちゃんのことを、記憶のほんの片隅にでも憶えてくれていたら嬉しいけれど、コロナ禍だったり色んなことがあった年月だから、すっかり忘れているかもしれないな。
でも私は、あの日出会った小学1年生のみんなとの会話を、きっとこれからも忘れない。
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