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27年間酒を嫌ってきた僕が酒乱の父親に酒でささやかな復讐をした話

※プライバシーのため、内容には一部フィクションを含みます。

 父は酒乱だった。

 こういう言い方をすると世の酒乱の親を抱えた人々は怒るかもしれない。実際、はたから見れば僕の父はそこまで悪い親ではなかったのではないかと思う。夏は少ない休みを使って旅行に連れて行ってくれたし、人並みの人生ではあるものの特別お金に困ることもなく、僕を奨学金なしで大学院まで通わせてくれた。しかし、少なくとも僕の父との思い出と酒とは切っても切れない関係があるのは事実だ。

 仕事から帰った後、父の側にはいつもビールと発泡酒の缶が並んでいた。早く帰ったときは野球中継を見ながら、遅くなったときは今日の野球のダイジェスト放送をニュースで見ながら缶を開けるのが父の日課だった。たいてい、一日に5,6本は開けていたように記憶している。

 別にそれについては大きく僕に影響を及ぼすことはなかった。ひとしきり飲んだ後は布団に入って寝るだけだからだ。座り込んだまま様々に飲み物を要求する父にせっせと対応していた母は大変そうであったが、食後は大抵自室に籠もるか、PCの前にかじりついていた僕は我関せずという態度を貫いていた。

 ひどかったのは、外で飲んできたときだった。特に正月の三ヶ日明けは、会社の仲のいい人々と神社に出かけ、昼から飲んで帰るのが父の年明けのルーティーンだった。何件もはしごをした父は誰が見てもわかるほどに酔っぱらい、家族に迷惑をかけるのが季節の行事と化していた。

 このときの父との思い出にはろくなものがない。家に帰った途端失禁していたなんていうことは日常茶飯事で、ある時には食器棚のガラス戸が父のパンチで割られ、即席の布カーテンが取り付けられた。口喧嘩の末、部屋に鍵をかけてひきこもった姉に激昂し、鍵を破壊した後の扉はいつまでも空いたままになった。和室で寝ていた僕の下に障子を破壊しながら倒れ込まれ、障子ごと押しつぶされ窒息しそうになったこともあった。

 外で酔った父との最後の思い出は、そろそろ大学院を卒業しようかという時のことだ。突然、見知らぬ女の人がうちの家のインターホンを鳴らした。何事かと聞くと、あなたの家のお父さんがマンションの玄関で倒れ込んでいるという。慌てて玄関に出ると、父はマンションに向かう階段で倒れ込んでいた。コケたときに唇をぶつけたのか、口からはだらだら血が流れていたが、本人は気にする様子もなく、「お~やっときたか~」と家族が来ることを待ちわびていたようだった。おそらく、倒れた後に様子を心配して見に来た人に、部屋番号を伝えて僕らを迎えにこさせたのだろう。やっとの思いで父を起こし、肩を支えながら歩いた。口から血を出しながらへらへらと笑っている父の姿はなんとも惨めで、僕はこうはなるまいと心に誓った。

 そして、僕は地元を離れ東京に上京した。上記のような父を持ったこともあり、僕は酒に対してかなりの嫌悪感を示していた。同期との飲み会では酒を楽しむ皆を横目にろくにお酒を飲まなかったし、そもそもビールは僕の舌には苦くてあまり好みではなかった。酔っ払ってオイタをしたり、研修に遅刻する同期を見ては、「これだから酒飲みは」と心の中で愚痴をこぼしていた。

 しかし、いつの頃からだろう、気づいたら僕はスーパーに行く度、アルコール飲料の缶を手にとるようになっていた。飲むものはほろよいなどの低度数の飲料が主だったが、時にはストロングゼロ等のストロング系チューハイに手を出すこともあった。流石にストロングゼロはアルコール感がきつくて常飲をすることはなかったが、食事に合わせて一缶二缶開ける日々がしばらく続いた。

 酒を飲んでいる時、ふと父の顔がちらつくこともあった。しかし、自分は全然量を飲んでいないし、食事中のジュースとして飲んでいるだけだ、父親のようにはならないと自分に言い聞かせていた。しかし、実際にはジュースを飲まず、アルコールが入っているものを優先して選んでいる自分に対する矛盾と、その後ろめたさを払拭したいという思いがゆっくりと、しかし確実に自分の中で大きくなっていった。

 そして、2019年の後半頃、僕はある考えに至るようになった。

「父のように酒に飲まれる人生にはなりたくない。それならば、酒飲みの家系という自分の運命を受け入れて、お酒のことをちゃんと知ろう」

 正直、これは言い訳も含まれていた。色々なYoutuberが食事を食べながらお酒を美味しそうに飲む姿に内心憧れていたのだ。Youtubeの影響で料理を始めた僕にとって、そういった様子に憧れてお酒を本格的に始めるのは時間の問題だった。

 とりあえず、カクテルを覚えよう。お酒のことを全く知らなかった僕はそう思った。カクテルには、どうやらリキュールというものを使うらしい。そういえば、飲み会の席ではビールを飲めないと言いながらカシスオレンジとかをよく飲んでいた記憶がある。そういった数少ない記憶を頼りにしたり、Youtubeで「カクテル」と検索して出てきた情報を頼りに、僕はスーパーで初めて酒のボトルに手を伸ばした。

 今思えば、なんて謎なラインナップだったんだろうと思う。しかし、数少ない僕の引き出しから必死にひねり出した3本だった。炭酸水とトニックウォーターの違いもわからないまま、100均で計量カップと長いスプーンを買い、手探りでカクテル作りを始めた。そのあたりで、世の中にはスピリッツというものがあって、基本的にはカクテルはスピリッツをベースとし、リキュールは副材料として使われることが多いというのを知った。また、父親がよく飲んでいたタカラハイボールが実際にはウイスキーじゃなくて焼酎を使ったものだということも知った。ジンを買い、ウイスキーを買い、ラムを買って……と僕は今までに考えられない程怒涛の勢いでお酒の知識を身に着け、様々なスピリッツと飲み方を試していった。

 初めてリキュールを買ってから一ヶ月後にはなんと氷を作成、保存しておくための専用の冷凍庫を買った。「カクテルにとって氷とは寿司のシャリと同じ。透明な氷を使わないとそのお酒を一番美味しい状態で味わうことはできない」という言葉に心を打たれたのだ。それを僕に伝えてくれた元バーテンダーYoutuberのYotoさんは、今でも動画で透明な氷を使うことの大切さを説いてくれている。実際、透明な氷を自宅で作る方法や、多くのバーツールはYotoさんの動画を参考にさせていただいているので、僕もなかなかミーハーな人間である。

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(透明な氷を作成、保存するために買った専用の冷凍庫。透明な氷の作り方については上のYoutubeチャンネルで動画を作られてますので是非参考にしてください。)

 このあたりで、僕はとあるカクテルに焦点を絞るようになった。

 ハイボール。ウイスキーを炭酸水で割る、ごくシンプルなカクテルだ。ニコニコやYoutubeではジョッキをカラカラしながらものすごい勢いでハイボールを飲む動画が人気を博しており、巷での認知度も非常に高いだろう。実際、ビールの苦味が苦手だった僕にとって、ハイボールは食事中に飲む酒としてほぼ最適解に近い一杯だった。スピリッツを買い初めて早々に、僕は色々なウイスキーに手を出しては、炭酸で割って試すという行為を繰り返していた。

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(当時作ったブラックニッカディープブレンドのハイボール。動画を参考に、透明な氷を使い、ウイスキーは冷凍庫でキンキンに冷やして、仕上げにレモンピールで爽やかさをプラスしている)

 そして、迎えた年末。僕が実家に帰省をする時がやってきた。今まで実家では一切酒を飲まなかった僕が突然バーツールを持って実家に帰ったらびっくりするだろうか。そんなことを思いながら、僕は地元への新幹線に乗車した。最寄り駅に降りてすぐ、僕は近くのビックカメラに向かった。

 父親に僕が作ったハイボールを飲んでもらう。これが僕の帰省の大きな目的の一つであった。問題は、そのときに使用するウイスキーの銘柄だ。個人的に、正月ということもあって使うウイスキーはジャパニーズがいいと思っていた。和の雰囲気もあるし、何より全般的にハイボールとの相性がいい。知ってる人は知っている話だが、ビックカメラはかなり他の店舗と比べて酒類のラインナップが充実している。しかし、最近はジャパニーズウイスキーは世界的な人気が高まっており、入手が困難な銘柄がいくつもある。その中で、僕はあるウイスキーと奇跡的な出会いを果たした。

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(写真左のウイスキー。僕もまだ二本しかお目にかかったことがない)

 サントリーシングルモルト、白州。山崎に並ぶサントリーが誇る二大モルト蒸溜所のうちの一つの名前を冠したウイスキーである。昔は10年物や12年物が普通に店頭に並んでいたらしいが、世界的なジャパニーズウイスキーブームの影響を受けて今は厳しい出荷制限が取られている。そして、一番大きなこととしてこのウイスキー、ハイボールがとても美味しいことで評判なのだ。豊かな森に囲まれた蒸溜所で溜出、貯蔵されたこのウイスキーは「森香るハイボール」と呼ばれ、公式ホームページでも大々的にプロモーションされている。

 これだ。残念ながら僕も見かけるのが初めてなのでまだ呑んだことはないが、父親とささやかな勝負をかけるにはちょうどいい。僕はボトルの入った箱を手に取り、レジで会計を済ませた。ついでに別のところでサントリーが発売するシングルグレーンウイスキー知多も購入し、実家へと足を踏み入れた。

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(左がシングルグレーン知多、右がシングルモルト白州。実家の雰囲気とジャパニーズウイスキーの雰囲気があまりにもマッチしている)

 そして、翌日。僕は炭酸水と氷をスーパーで買い込み、夕食の時を待った。夕食時、母が今晩のおかずの準備をする中、僕はおもむろにバーツールを鞄の中から取り出した。実家には氷がたくさん入るような大きいグラスはなかったが、充分だろう。僕は美味しいハイボールを作るための教えを思い出しながら、慎重にカクテルを仕上げていく。

1.氷はグラスの中にパンパンに入れる。使う氷は普通の製氷機でできるものではなく、透明で大きなものを。
2.バースプーンでグラスの中の氷をステア(混ぜること)し、グラスをしっかりと冷やす。このときに出てきた水は炭酸が薄まる原因になるので、シンク等に捨てる。
3.ウイスキーを開け、ジガーカップで測りながらウイスキーをグラスに注ぐ。比率はウイスキー:ソーダが1:4くらいになる程度。ウイスキーを入れたらステアして全体を冷やしグラス全体が同じ温度になるようにする。氷が溶けて空いた隙間にはもう一度新たな氷を補充する。
4.炭酸水を注ぐ。炭酸水が氷にあたってしまうと炭酸が逃げてしまうため、氷の隙間を狙ってできるだけ炭酸が逃げないように慎重に注ぐ。
5.最後に全体を軽く一回混ぜる。混ぜすぎると炭酸が飛ぶので必要以上に混ぜすぎないように注意する。

 これで、シングルモルト白州を使ったハイボールの完成である。公式ではここでさらにミントを添えることをおすすめしていたが、あいにくスーパーでは見つからなかったし、飲んべぇの父親にミントをかわしながら酒を飲むのは煩わしいだろうと思ったので今回は省略する。


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(実家で作った白州のハイボール。実家センスのジョッキが哀愁を漂わせる)

 そして、運命の時。父親はいきなりドリンクを作り始めた僕を気に留める様子もなく、テレビを見ていた。スーパーで僕が色々買い込む様子を見ていたので、そこまでの驚きはなかったのだろう。息子が突然酒飲みになったことにはなんの意見も述べてくれなかった。だがそんなことはどうでもいい。これは僕にとっての、あくまで個人的な父親への復讐劇なのだ。

 内心緊張した思いで、僕は父親のもとにハイボールを差し出す。いつもの光景と言わんばかりに、父親は食卓のおかずをつまんでハイボールを口に運ぶ。そして、第一声の感想が父親の口から漏れる。

薄いな。

 なんだよ!これで薄いのかよ!この酒飲みが!と心のなかで叫びながら、僕は早々に空になったグラスを受け取り、もう一度、白州のハイボールを作り直す。今度は少し濃い目に、ウイスキーとソーダが1:3になるくらい。そして、再度のチャレンジ。白州のハイボール(濃いめ)。これでどうだ!

おいしい。このウイスキーうまいな。

 やった!父親の言葉に、僕は内心ほくそ笑んだ。確かにこのウイスキーが美味しいのは日々ウイスキー作りに励む蒸溜所の人々であったり、それを一つの製品に仕上げるブレンダーの人々の力によるものであるが、それで一杯のハイボールを作り、父に提供したのは間違いなく僕なのだ。それで父親がうまいと言った。それで充分だ。そして、その夜僕は父親とおそらく初めての酒を飲み交わした。

 朝ドラのマッサンの影響を受けてか、何故か父は北海道の余市にある蒸溜所に足を運んでいたらしい。そのときに買った竹鶴ピュアモルトが実家の食器棚に眠っていた。僕はそれを取り出し、竹鶴を使ったハイボールも父に提供した。

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(父が余市で買った竹鶴ピュアモルトを使ったハイボール。実はこのウイスキーは原酒不足によりリニューアルしており、このタイプのボトルは今や手に入らない。実家にはまだ残っているのだろうか……。)

こっち(竹鶴)のほうがウイスキーらしい味がするな

 本当に父親は酒のことを理解して酒を呑んでいるのだろうか。といっても僕もまだ呑み始めてから二ヶ月も経っていない。今度来たときは僕が父親に説明できるくらいになっていればいいな。そんなことを思いながら実家での年は明けていった。

 年明け、僕が実家を離れる日、家族総出で近所のスーパーに行った。その時、父は無言で缶のコーナーに立ち寄り、普段買わない缶を手にとって、母親が持つ買い物かごに入れた。

 サントリー角ハイボール缶。例のカラカラしてる人が呑んでいるハイボールを、自宅でも手軽に味わえるように作られた正真正銘ウイスキーのハイボール缶だ。いつもクリアアサヒやらタカラ焼酎ハイボール等を呑んでる父にとって、その行動はまさに僕が父に影響を与えたことをささやかながらに証明するものだった。

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(例の人も外に出かけたときはこの缶を呑んでる。カラカラできないけど。)

「そうか僕はもう帰っちゃうもんなー僕のハイボール飲めなくて寂しいんだね」なんてことを勝手に思いながら、僕は新幹線に乗って実家を後にした。

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 そして、あの日から早5ヶ月が過ぎた。5ヶ月の間に世界の様子はすっかり変わってしまい、定年を迎えた父は好きだった旅行に出れないのを寂しく思っているようだ。一方で、僕は仕事の大半が在宅勤務になり、相変わらずの宅飲みライフを満喫している。酒好きをいくら受け継ごうとも、父がアウトドア派で、僕がインドア派というのは変わらないようだ。

 正直、まだ外で飲むのはちょっと怖い。年末の忘年会に出たときは、立食バーティーでドリンクを提供してくれた店員さんに「ペース早いですね」って言われドキッとしたし、別の日に呑みすぎたときは足元がおぼつかなくなり、「父親のようになるわけには」と必死の思いで足を前に運んで帰路についた。いつ、父親のようになってしまうのか。そういう不安は常に心の中に抱えているが、今の所宅飲みも量をセーブできているし、なんとか人様に迷惑をかけずにうまく酒とお付き合いできているのではないかと自分の中で信じている。

 そして、何よりも父が飲む酒にあれだけ苦しめられてきた僕が、父親に「うまい」と言わせる酒を作れるようになったという事実は、僕の中で「父親を超えた」という思いを抱かせるのに充分なものだった。僕はいつでも、父がうまいと思える酒を自宅で作ることができる。他人から見るとくだらないようなことでも、僕はその復讐を成し遂げたことによってささやかに救われてしまったのだ。その時は気づかなかったが、今振り返るとそういうことなんだろうなと思う。僕の『親殺し』はいつの間にか完了していたのだ。

 さて、今日は何を飲もう。結局一周回って角瓶が美味しいと思えるときもあるし、新発売のクラフトジン、翠のソーダ割りも捨てがたい。スコッチのデュワーズもそのドライな感じが脂っこいものにはよく合うし、カナディアンクラブの甘い味わいも素敵だ。ジムビームバーボンのどこかチープな感じも安居酒屋を思い出していい気分になれる。はたまた、キンミヤ焼酎にレモンを絞って特製のレモンサワーとでも洒落込もうか。

 ともかく、今日もいい夜になりそうだ。

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