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怒りの目覚め

自分は滅多なことで怒らない人間だと思っていた。思い込んでいた。

これを読んでくださっているあなたの周りにも、怒ったところ全然見たことないって人いませんか?

最近、人にイライラしたり、漫画だったらムカーッ!って効果音ついただろうな…と感じることが多々あった。その自分の怒りは表情や態度、言動に現れるようになった。

イライラするー!って口に出したり、
あなたのその言い方が不快なんだけど!って反応したり、、

普通じゃんって思われるかもしれないけど、私にとっては異常事態だった。

でも、今までこそが異常事態だったのだと気づいたので今、文章に書き起こそうとしているところだ。

私は、人の顔色をこれでもかと伺う。失礼のないように、相手に嫌われないように、嫌な思いをさせないように。無意識に自分よりも相手を優先させてきた。

それが、自身の怒りに蓋を閉じた。

他人にそこまで期待せず、冷めた気持ちでいた。相手に何かされても感じるのはまず悲しみと無気力だった。

この人はこんなことを平気で言えてしまう人なんだ。私はこんなことを言われてしまう人なんだ。相手にあんな態度を取らせたのは私か。駄目なのはいつだって自分だ。

わたしには、怒るだけの力と悲しむ自分のために立ち上がるだけの自己愛が無かった。怒るのは疲れる。怒ったって無駄だよ。どうにもならない。自分は怒るエネルギーを使うに値しない。

自分に自信がなくて、自分のことが嫌いでたまらない。嫌いなやつのために怒るなんてできないよなぁ。


色々あって私はここ1年くらい、自分を大切にしようと頑張った。(色々は長くなるので省略します。)自分の気持ちに目を向けて、悲しみやつらさを感じている自分の隣に座る感覚で、向き合った。大切な友達を慰めるみたいに。

だんだん、怒りを感じるようになった。

あ、なんか最近怒ってること増えたな…と漠然と思って理由を考えた。

そして、自分の感情と向き合った結果なのかもしれないと思うに至る。

怒るには莫大なエネルギーがいる。少なくとも私は。
自分にとってそのエネルギーをかけるに値する存在に自分はなれたのだ。

もっと怒って良いことが、この世にはたくさんある。

声を上げることはとても怖くて勇気のいること。

でも、
勇気を出して守りたい自分は、
愛すべき自分は、
もうずっと前からここにいるのだ
と、やっと気がついた。

それを実行に移せないことも多いけど、気がつくこと認識することは0から1を生み出すように、難しく、しかし唐突にいつも訪れる。

これからもそういう発見をしていきたいね。



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