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クラスメイト。

高校は、女子クラスだった。共学だけれど、私の科は女子のみ。廊下の向こう側に、男女クラスの科があるような離れ小島状態。

教室には、「りぼん」「なかよし」「別マ」等の漫画雑誌が散らかり、化粧品や香水の匂いが充満していた。女子のやりたい放題がまさしくそのまま描かれていた。

女子ならではの、派閥もあった。

1番目立つギャルグループ。2番手に続く、清楚系グループ。3番手は、強いて言えばヲタ活万歳グループ。で、その他大勢。

私は、ギャルグループにいながら、清楚系グループやヲタ活グループ、その他大勢を渡り歩く典型的な「八方美人」だったと思う。

誰かに固執することも、グループに依存することも嫌いだった。一緒にはしゃいでくれて、気楽に遊べる相手だったら所属なんて関係なかった。高校生になってから、「自由」に選択することを覚えたかもしれない。少しずつ今の私に繋がる部分が出来上がっていったような気がする。


まぁなんだかんだ、女子高生を謳歌していた私。学校をサボることも遅刻することも、堂々とするようになった(マネしちゃダメよ)

「私、低血圧だから」が口癖で、朝が起きれず2限目から登校することもしばしば。母親に怒られながら追い出され、悪びれもせず、ふらふら寄り道しながら学校に向かってたなぁ。

寄り道っていっても、田舎だから何もないんだけどね。

春は、桜の木の下でうたた寝をし、夏はアイスを買って友達と半分こした。秋は、落ちた銀杏の葉を散らかしながら写真を撮って遊び、冬は駅の待合室で、とにかく可愛くマフラーを巻く方法を考えた。ここだけ見るとまるでアオハル歌詞だな。

1限目にありがちな歴史の授業はほぼ欠席状態。先生には、何度も呼び出しを受けたなぁ。本当にごめんね、F川先生。閉まった門をよじ登って入るのが日課だったけど、1回落ちてケガしたことあって。その時駆けつけてくれたのもF川先生だったなぁ。


そんなある日、いつも通り(?)2限目から登校した私。教室に向かう前にトイレに入ったら、洗面所下の床に長い髪の毛が散乱していた。そんじょそこらのホラーには負けない恐ろしい光景。軽いパニックになって、慌てて教室へ向かった。


「誰かに伝えなきゃ。何かあったんだ。」


そう思いながら教室の扉を開けたら、一番最初に目に飛び込んできたのは一番前に座るB子の背中だった。ロングの黒髪だったはずの彼女が、ボブの長さに。毛先はバサバサだった。肩が震えているのがわかった。

授業を進めていた先生は、教壇の目の前にいる彼女を見えていないようだった。気付かないフリというのか。教壇を境に見えない壁があるようだった。そんな先生は、私を見つけ遅刻を咎めた。私は、B子の後ろ姿から目が離せず、先生の声は届いてこなかった。

一番後ろの席に固まって座るギャルグループの数人が、ニヤニヤしながら私とB子を交互に見てた。自分たちの武勇伝を主張しているかのようだった。その周りのクラスメイトは何事もなかったように振る舞う子と、俯いている子がいたと思う。

私は、比較的冷静に教室を見渡すことができたはずなのに、記憶が曖昧である。頭に血がのぼった記憶はある。B子の横まで行って、「やられたの?」と声をかけたら、顔を覆って泣いた横顔を覚えてる。

クラスメイトの後日談で、その後の私の行動を知った。教壇に立つ先生と、主犯であろうクラスメイト達と、ただの傍観者となっているクラスメイトへ大きな声でキレたらしい。すごい剣幕で怒ったらしい。記憶喪失って本当にあるんだなぁと今更ながら、しみじみ思う。


とにかく、記憶は無いんだけど。翌日いつも通り(?)遅刻して登校したら、B子は休みだった。そうだよね。どれだけ私がキレたって、彼女が受けたダメージは計り知れない。教室に私が入った時に、クラスメイトが張り詰めるのがわかった。そんな恐怖だったのか・・・?笑

席についたら、主犯であろうクラスメイトが謝ってきた。それに連なってズラズラと。泣いている子もいた。「いや・・・私にじゃないやん・・」って蹴散らかすことしかできなかった。でも、なんだか私も居心地が悪くって、遅刻したくせに、1時間もしないうちに帰ってしまった。


どれくらい月日が経ったか覚えていないけれど、いつのまにかキレイなマッシュルームカットになったB子は登校していて、いつも通りの日常が訪れていた。私もいつのまにか忘れてしまっていた。

ある放課後、学校終わりに遊び行こうと思って駅まで向かっていたら、後ろからB子が追いかけてきた。

「一緒に帰ろう」

B子と話したのは、あの一件以来かもしれない。あの時交わしたのは、会話という会話ではないけれど。どうでもいい話をしながらの帰り道、B子があの日以降のことを話してくれた。居心地悪くなって私が帰ったあの日、クラスメイトみんなが(全員ではないけど)B子の家に謝りにきたと。主犯と思われる子も、泣いて謝ってくれたと。

「へぇ」

としか言葉が出なくて、なんだか胸がドキドキしたのを覚えてる。良いことをしたドキドキなのか、自分の記憶が怪しいことのバツの悪さなのか。

「怒ってくれてありがとう」

そう言ってくれたB子の笑顔は、今も鮮明に覚えてるから。きっと私は良いことをしたんだ、と今は思うことにしている。


結局さ、なんでそんなことになったのか知らないまま。聞いたのかもしれないけど、覚えてないのよね。

ただ、この一件からすっかり私は教祖的立ち位置に。相談窓口にもなり、叱咤激励役でもあり、導く真似事をしてみたり。

この時私は、カウンセラーになれるんちゃうんかな?って調子にのってた。人の思いを受け止めることの難しさを知らないくせに、浅はかなくらい自信を持っていたんだよね。


最後になったけど、教壇に立っていた先生はあの一件以降、特にB子へアプローチが無かったという、これこそが闇だ。


さて!高校の頃の話はまだまだ続きます。ゆるゆるとお付き合いくださいね。

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