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幼馴染

私には、幼馴染がいる。

同い年の、ユースケ(仮名)と、リン(仮名)だ。


生まれ育った社宅が一緒で、いつも3人一緒だった。親同士も仲が良く、外食に行くことも、旅行へ行くことも多かった。産まれた病院も、通った幼稚園も一緒。小学校も一緒に入学した。チューリップの隣で、3人並んだ写真が、今も実家の冷蔵庫に貼ってある。


ユースケは、口数の少ない男の子。リンは、女の子らしいお姫様のような子。そして私は、男の子のように活発でおてんば娘だった。全く性格が違うのに、いつも寄り添うように一緒にいた。


ユースケが、同じクラスのリーダーにいじめられていれば、私は掃除道具から箒を取り出して、果敢に助けようと立ち向かったものだ。私の陰口をたたく子を見つけたら、リンもユースケも必死に私の良さを演説してくれた。それくらいお互いを大事にしていて、喧嘩したことも覚えていないくらい仲が良かった。


小学校2年生の冬、両親が戸建てを購入し引っ越すことになった。ずっと一緒だった2人と初めての別れ。父親の運転する車の後部座席から、2人が見えなくなるまで手を振った日を覚えている。悲しくて寂しくて辛かったな。自分の片割れを失うようだった。


それからは、しばらく疎遠になった。親同士が会う頻度も減った。1年に1回クリスマスパーティーをする時に会うくらいだった。お互い少しずつ大人びてきて、リンとは女同士だからか密に連絡を取っていたが、ユースケは物理的も心理的にも距離ができた。


高校生に上がった頃、思春期真っ只中のユースケはしばらく集まりに来ていなかったが、久しぶりに顔を出した。すっかり「青年」になっていて、なんだかドキドキした。でも話すとあの頃と何も変わらないユースケ。かっこよくなったねーなんて茶化したり。それから、また3人で遊ぶことが増えた。私が田舎から都会へ遊びに行くことも増えた時期も重なって、都会で育つ2人と遊ぶのがステータスみたいに感じて、クラスメイトに自慢したりしていた。


夜遊びを覚えた頃、お嬢様のリンは同行しなくなりユースケと2人で遊ぶことが多くなった。私の恋愛話をいつも黙って聞いてくれた。ユースケもすっかりモテる男子高校生になっていたくせに、自分のことはあまり話さなかったな。「なっこは、自由だね」口癖のように私に言っていたのを覚えてる。


そんな中、ユースケのお母さんが病気で亡くなった。昔から病気がちで、儚い雰囲気を持った美人なお母さんだった。ユースケを溺愛していて、いつも一緒だった私やリンも可愛がってくれた。チーズケーキを初めて食べたのもユースケのお母さんの手作りだったなぁ。


葬儀でのユースケは、凛としていた。不謹慎だけれど横顔が美しかった。私は実感があまり無いままに、周りの涙につられて大泣きした。リンと抱き合って泣いた。そんな私たちを見て、「泣き過ぎ。顔汚い。」ユースケはそう言って、悲しそうに笑った。


ユースケのお母さんが亡くなって半年もしないうちに、新しいお母さんができた。お父さんの不倫相手だったともっぱらな噂だった。親たちがそう話しているのを聞く度に、ユースケが気がかりだったのにどう連絡するべきか迷った。なんでも隠さずに話していた相手だったのに、初めてどう触れていいかわからなくなった。それから、わかりやすくユースケは元気がなかった。元々口数は少なかったが、更に表情に影を落とした。儚げな雰囲気が、ユースケのお母さんに似てきたように思う。


高校を卒業した頃、私とリンは大学へ入学した。ユースケは親の反対を押し切ってフリーターになり、一人暮らしを始めた。コンビニとバーテンダーの掛け持ちをしながら、また3人で遊ぶことが増えた。リンが買ってきた植木を扉の前に置き、鍵の隠し場所を3人で共有した。大学の空きコマに部屋に寄ってお昼寝したり、コンパの帰りに泊まったりした。一緒のベットで抱き着いて眠っても、男女の関係はない。ただ、ユースケの髪の匂いが安心した。それが居心地が良くて大好きだった。


ある日、リンが「ユースケのことが好きみたい」と言い出した。まさかの発言に耳を疑ったが、恋愛経験の浅いリンにとって、夜の世界で働くユースケがとても大人に見えたようだ。血管の浮き出た腕や、大きな手にドキドキするようになったとはしゃいでいた。私は心のどこかで、この関係が崩れるんじゃないかと怖くなった。私の居心地の良い場所を盗らないで。そう思った。


それからリンはユースケを誘って2人で出かけたり、ユースケの家に行く日は私に連絡をくれるようになった。暗に、今日は来るなという合図だった。決してリンが悪いわけじゃない。ユースケに振り向いてほしくて一生懸命だったんだと思う。けれど私は、急な疎外感に戸惑い、寂しかった。気を紛らわすように他の友達と時間を過ごし、コンパに行く回数が増え、同時にリンに内緒でコンパ帰りに、ユースケの家に泊まることも増えた。「リンに内緒」が初めて生まれた。


そのうち、ユースケもリンの想いに気付いたのか家を空けることが増えた。夜の店で出会った女性の家を渡り歩くようになった。今まであまりユースケの女関係が表に出ることはなかったけれど、この頃から年上の女性が彼の周りにいることを感じ始めた。コンパ帰りに寄っても、そこにいなかった。ユースケの髪の匂いを感じる夜が少なくなり、寂しい気持ちと小さな嫉妬心が生まれた。当時、私にも恋人がいたけれどユースケは別物だった。恋人と比較するような存在じゃなかった。幼馴染を超えていたのかもしれない。けれど、今もこの関係に名前をつけることができない。


リンは思いのほか諦めが早く、気付いたら他の想い人ができてた。けれど、ユースケが家を空ける頻度は戻らなかった。朝帰りした彼と会うと、女の香水と煙草の匂いが混ざり、嫌悪感さえ感じるようになった。変わっていく彼、取り残されていく自分。そんな気持ちになったのを覚えてる。


ユースケの女関係は最低だったと思う。部屋でゴロゴロしていたら、泣きながら女の子が訪れたこともあった。部屋にいる私を彼女と勘違いして、キレられたこともある。それをユースケに責めると、「ごめん」しか言わなかった。女の子たちへの謝罪ではなく、巻き込まれた私への謝罪でしかなかった。


私には優しかった。色んな男性と出会い、失敗し、傷つくこともあったけれどいつも優しかった。私を責めることは一度もなかった。あまりにもろくでもない男ばかりと出会ってた頃は、「なっこが結婚できなかったら、最後はもらってあげるよ」と言ってくれたこともあった。当時の私には「嫌味にしか聞こえない!!」と怒っていたが、彼はこの頃から誰とも結婚しないと決めていたようだった。後からリンに聞いた話では、お父さんの再婚をきっかけに色んなことに絶望したという。誰かを本気で好きになったら、裏切りしか訪れない。求めることは無駄だ。と。


ユースケがそんな風に思っていたことを私は知らなかった。いつでも優しくて、眠るときは抱きしめてくれて、いやらしい意味ではなく、いつもどこか触れていた。子どもをあやすようにおでこにキスをしてくれたけど、唇へのキスやそれ以上は絶対無かった。手慣れたように可愛がってくれて、それが子どものように安心できて、家族のように温かかった。そんな彼の心の闇を、私は最期まで気付かなかった。


そう、その日は訪れた。


私が当時付き合っていた恋人と喧嘩をした夜、泣きながらユースケに電話をした。ユースケは仕事に行く前だったようで、「終わったら連絡するから少しでも眠れるなら寝て待ってて」そう言った。私は泣き疲れて眠りについたと思う。


明け方、母親が私の体を揺らして起こした。「ユースケくんがバイクで事故にあったって」大きな声が体全体に響いた。


ユースケは仕事が終わった早朝、バイクで私に会いに向かっていた。その途中、高速道路でトラックと事故にあった。今、キーボードを打つ手が震えている。何年経っても思い返すと、全身の力が抜けるようだ。


病院にかけつけたのは、もうお昼近かった。ユースケは集中治療室にいるらしい。親族しか面会できないと言われ、母親と外来待合に座っていた。手が震えた。足に力が入らない。顔が熱い。何が起こったかわからない。寒気がして、眩暈がした。頭がぐわんぐわん回って吐き気がした。


母親と、ユースケのご両親が挨拶していたのを記憶の端で覚えてる。ユースケの腹違いのまだ4歳くらいの弟が、私を物珍しそうな顔で見ていた。全然似てない・・・そんなこと思ったり。現実と理性と感情の境目が、じんわり無くなっていくような感覚だった。救急病院に到着する救急車のサイレン音が妙に響く。


ユースケに会えないまま、家に帰った。救急車のサイレン音が耳の奥に残っていて、しばらく離れなかった。この感覚が、これから5年ほど続くことになる。


事故の翌日、ユースケは亡くなった。


葬儀の記憶があまりない。病院で会ったユースケの腹違いの小さな弟が、よくわからずにおもちゃで遊んでいるのをただただ見つめていた。涙が出なかった。感情が無かったに近い。気付いたら、彼の部屋は引き払われており、別の誰かが住んでいた。


私が電話しなかったら。

私が泣かなかったら。

私が大丈夫って言ったら。

ユースケは、死ななかった。


誰も私を責めなかった。

なっこちゃんのせいじゃないから。彼のご両親は言った。

なっこは悪くない。リンも私を抱きしめた。

なんで?

私が蒔いた種じゃない。

私がユースケを殺したんだ。


それから、救急車のサイレンを聞く度に頭が真っ白になった。冷や汗が出た。過呼吸になることもあった。ユースケが叫んでいる声に聞こえるような気がした。


病院でも、葬儀でも、その後もしばらく彼を思って泣くことはなかった。過呼吸までになるほどに苦しむのに、涙は出なかった。


しかし5年後、私は初めてユースケを想って泣くことになる。



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