見出し画像

本&本&本&本

こんにちは。あ、もうこんばんはの時間だ。こんばんは。
咳が酷くて、酷すぎて、二度の診察(コロナの検査もした)の末に副鼻腔炎の診断が出たのですが、咳止まらんし眠れんしいつ何時体温はかっても平熱なのに朦朧とするわで、今日は諦めてお休みをいただいています。咳止まんね〜〜喉いて〜〜きもちわり〜〜。声、まともに出るようになるのか?不安になるレベルでしゃがれている。

第4回。
宮沢賢治の短編小説「銀河鉄道の夜」from短編集『銀河鉄道の夜』。編集中の②ではなんやかんや小説としての「銀鉄」だけでなく『銀鉄』収録の他の短編や別の文献にも言及していますが。

私はまず現在書店に並んでいる新潮文庫のものに手を出して、次いで実家にあった古い角川版を読み始めたのだけど、まさかこんな、こんなことがあるとは。
生原稿を見たいよね。

GarageBandでの音源編集は、やっぱりiPadでやると楽な部分が増えた気はする。ただ今はiPhoneのボイスメモで録音→iPhoneの GarageBandにインポート→iCloudからiPadに展開して編集 というこの上なく無駄の多い工程でやっているので、次回からの録音はiPadで行いたいところ。ちょい頑張ってインターフェース繋いでみようかな…コンデンサーマイク、2人の会話をちゃんと拾うのだろうか。

宮沢賢治回も3分割になりそう。その次からは市川沙央さんの『ハンチバック』。今週末に録る予定だけれども、私の喉は治っているのだろうか…。

あ〜〜なんか読書日記みたいなものをつけたい。やっぱり少量でもいいから外に出したいという願望がある。でもいざ書くと「こんなの感想じゃない…」とか「もっとちゃんと書かなきゃダメだ」とか思っちゃったりするんだよな。私に必要なのはそうやって気負うことなく気軽に足跡を残せる仕組みづくりだ。

とりあえずおもむろに最近読んだ本について書いていくぅ⤴︎

82年生まれ、キム・ジヨン
内容ではなく、この作品が2017年とかそこらに発売されて100万部以上売れたということ、つまり評価を受けたということの方に凄みを感じる。
物語としての感動や達成はないけど、アジアの先進国における男尊女卑の有様をレポートのようにありのままに描いて、それがセンセーションを起こしたという事実の方に感心せずにいられない。「読んだ」って言ったアイドルが叩かれたりしたらしい。それはやっぱり残念、というか「ああ結局そうなのか」とは思うけど、そもそもアイドルが「読んだ」って表明できる土壌が韓国にはあるのか〜などと思ったり。

からの
僕の狂ったフェミ彼女
は2022年の作品だけど、これも映画化されてるわけでしょ。帯に韓国アイドルの声なども載せられていましたわ。あ、じゃあこの5年間に韓国はそのへんまたアップデートされてるのかな〜と。
なんだろう、なんなんだろうねこの違いは。
いや両作品を読んで、韓国の男尊女卑の問題も大概酷いというのが分かった(やはり地域的なこともあるのかあるいはユニバーサルなのか、不如意の事例の数々は、そのまま日本にスライドさせて想像できる)けど、なんつーか、あっちはちゃんとボトムアップで声が上がって、悪は罰せられて、内省がある、っていう感じなのかな。一概に言うのは軽率だろうけど。
なんか、映画にしても音楽にしても小説にしても、「成熟」してるよなと思う。なんで?
ウェブトゥーンもそう。LINEマンガとか読んでると。
いわゆる「転生モノ」(現世で死んだはずが目が覚めたら好きな小説やゲームの中にいた/時間が巻き戻っていた(←この場合はそもそも異世界みたいなところで生まれている))は、日本では言わずもがなだけど、韓国原作のものも多いっぽい(あれ、そもそも韓国由来ってことある?)。
それで、流れてくるPRとか見てると(たまにちゃんと読む)、全てではないです、全てではないんですけど、
日本…たとえば転生した主人公は「バッドエンド回避のために動いてたらなぜか(重要)権力者に溺愛されちゃってorみんなに愛されちゃう」みたいな展開がパターン。悪役がこれ見よがしに悪どかったりする。ギャフンって言わせられるために配置されていることすらある。
韓国…「バッドエンド回避のために動くうちに、周りが自分を大切に思ってくれるのもそうだけど、自分も大切な周りの人を守りたいから云々」みたいな方向にモチベーションがシフトしてったりする。悪役も出てくるけど、そのバックグラウンドが描かれて、憎むべきは人にあらず(社会や環境を考えさせる)的なことがほんのりと提起されたり。

なんか…うん……本当になんだろうね、この違いは。韓国文学、韓国文化、興味深いです。『破果』を読んだから今年は韓国現代小説3作読んでることになります。ク・ビョンモ先生の他のも読み対し、実家にあったハン・ガン先生のやつも読みたいわ。積読は減ることはない。
『バーナード嬢曰く。』を読んだらSFも読みたくなったし、でも目の前に読みかけの『偸盗・地獄変』があるし、今月の課題図書もあるし、ああ、そう、書く方の活動もしたいんだよ。書けねえなぁと思いながら、書けるようになりてぇのよ。
とりあえず『偸盗・地獄変』の続きを読もうかな。つくづく呪う、碌に本を読んでなかった大学生時代の己を。

あ、
断片的なものの社会学
実家にあったので今更読んだけど、個人的にはいまいちだった。言いたいことは分かるし、「分からないことは分からないまま、ただそこにある」という認識は美しく、その姿勢は美徳だと思うのだけれど、それはそれとしてひとつひとつのエピソードが手付かずすぎて、読みにくさを感じてしまったというか。「ただそこにある」割にエピソードに著者の我がちらつくというか。あと、やっぱりふとしたエピソードや心の動きから「おじさん感」を感じてしまったんだよな…。

このご時世にこういうところで否定的な感想を書くのドキドキする。でもそういうことだけ伏せておくのも嘘だよなと思ってしまう。(それってネットに向いてない?)
それでは。

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,091件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?