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元いじめられっ子が語る、学校でのイジメ経験

私は物心ついたころからイジメを受けていました。家では実姉にイジメられ、学校でもいじめられ、社会に出てからもいじめられ続ける人生でした。一生いじめられ続ける星のもとに生まれてしまったのかと思う事もありました。そんな私の体験談を書こうと思います。

学校でのいじめについて

私は小学校2年の頃、担任の女教師に目を付けられ小さな嫌がらせをされるようになりました。理由は今でも不明です。

配布物を私にだけ渡さない、合奏のパート振り分けの際に私だけ省いて放置等、色々とやられました。そんな担任の様子を見て「あ、こいつには何やってもいいんだ」という雰囲気になり、やがて同じクラスの男子たちにもいじめのターゲットにされて以降、完全に不登校になる4年生の頃までいじめの被害を受けることになったのです。この女教師と男子達の事は今でも許していませんしこれからも許すつもりはありません。

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何としてでも学校へ行かせたい親VS行きたくない私

小学校3年の頃からだんだんと学校へ行くことが辛くなり、登校拒否をするようになりました。しかし、親は「朝早く起きるのが嫌だから」「長距離歩いて登校するのが嫌だから」「勉強するのが嫌だから」学校へ行きたくないと言っていると決めつけ「学校行け!」「ただ座ってればいいだけでしょう、それの何が不満なの?」「何が嫌なの?」と、私がいじめられているという事は認めたくないのか完全にスルーして「なまけ癖」「我儘」と決めつけていました。

いじめは学校に到着する前から始まる

毎朝、集団登校するのですが、そこから私のいじめられる一日が始まります
私の後ろについていた同級生の女に、靴の踵を踏まれ続けました
靴が脱げて慌てて拾いに行く私の姿を見てニヤニヤ笑っていました
他の登校班メンバーは「早くしろよ」という感じで私を睨みつけるか、無視して私を置いて先に行ってしまうという事が何度もありました
こんな事が毎朝あったので、今でも地元の人間が大嫌いです

何としてでも登校させたい教師VS行きたくない私

担当する学校やクラスで不登校が発生すると査定が下がり給与やボーナスに影響が出ます。なので何が何でも兎に角登校させたい、教室に入らせたら後はどうでもいいという教師ばかりでした
イジメられているから学校へ行きたくないと何度も訴えたけど、いじめというキーワードを聞いた途端に苦笑いを浮かべられる事が多かったです。聞き取りと称して、警察の取り調べのように何度も何度も同じことを聞かれました。

いじめられた?誰に?〇君?〇君だけ?あぁ、□君も?他には?ふーん、何をされたの?何を言われたの?ふーん、それは気の毒だねぇ、じゃあ先生が〇君達にちゃんと言ってあげるから明日から頑張って学校来ようね!

当然、いじめなんて収まるはずもありませんでした。教師も、親と同じように不登校なのは私の我儘だと思っていたのでしょう。

家にまで来る教師、他にやるべき事あったんじゃないの?

やがて、何としてでも登校させたい教師達は家にまで押しかけて来るようになったのです。当然、いじめ問題は未解決のままです。それなのに教師たちは「迎えに来たよー、一緒に行こうよー」となんともまぁ呑気に私の部屋の扉前まで押しかけてきたのです。

最初は押しに負けて教師と共に学校へいったのですが、登校さえさせれば後は知らなーいという感じだったので当然、教室へ入った後は放置されました。様子を見に来るという事も一切ありませんでした。そして私は余計いじめられることとなったのでした。

そして私は教師が迎えに来ても応じないようにしました。すごすごと帰っていく教師を見ていたら、母親が鬼の形相で私に怒鳴りつけました。

一体何が不満だっていうのよ!言ってみなさいよ!何で学校行かないのよ!一週間も休んだら充分でしょ!恥かかせやがって!お前なんかもう死んでしまえ!

一番の味方であると信じていた母親に裏切られた瞬間でした。あれだけ何度も何度も何度も何度もいじめられていて辛い、学校へ行きたくないと訴えていたのに、母親には「ただの子供の我儘」にしか映っていなかったのです。

学年が変わっても、教師は私が「いじめられている」という事を決して認めなかった

完全に不登校になる前、保健室登校をしていましたが教師は「いじめなんてない」と思い込んでいるのでどうしても私を教室に入れたいと躍起になっていたのを覚えています。

「好きな教科はある?ふーん、じゃあその教科だけでも受けに教室行こうよ」「給食だけでも教室で食べようよ」「みんな待ってるよ」とクラスメイトまで使って説得に来る始末でした。当然、いじめは問題は一切解決していない状態です。それなのに無理やり教室へ入れようとする教師には不信感しかありませんでした。

朝、なんとか登校するも辛くてすぐ早退することも多かった。そんな日が続いたある日、当時担任だった男性教師に「学校へ来るなら下校時間まできちんと居ろ」と言われました。

当時、他にも保健室登校の子がいたのですが、その子を引き合いに出されて「〇〇ちゃんは、人とすれ違うだけでパニック起こしたり、ちょっとでも雷が鳴ると動けなくなる繊細な子なんだ
でも君は違うでしょ?知らない人とすれ違っても平気でしょ?雷なってもけろっとしてるでしょ?君は甘えてるだけなんだ」

わかってくれる人がいない、そう思って、私は学校へ行くのを完全に拒否しました。

教師がイジメ問題を放置した理由

何度も何度もいじめを訴えるも、教師達には華麗に無視され、ただの我が儘だと言われた理由、それは

いじめっ子グループの中に、警察官(刑事)の息子が居たからです、更にその警察官の息子は運動もできて勉強も出来る「優秀な子」だったので、教師はその息子がお気に入りの様子でした。

勉強も運動も苦手な落ちこぼれの私より、優秀ないじめっ子を守る方が教師にとって簡単だし都合が良かったのでしょう。

結局、いじめ問題は有耶無耶にされたまま小学校卒業

私を取り巻くいじめ問題は解決されないまま、小学校を卒業しました。中学は2年の途中から特別教室へ編入することで何とか通うことができるようになりました。因みに加害者の男子達からは一切謝罪はありませんでした。母親はやっと普通に学校へ行ってくれるようになったと大喜びしている様子でした。

教師といじめっ子のその後

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私を取り巻くいじめ問題を無かったことにした教師達は、図太く定年まで勤めあげたそうです。

そして、私をイジメていた〇君は、何と現在、関西某所の小学校で教師をしています。本当に許せないし何でいじめっ子を教師にするんだという怒りでいっぱいです。

今でも私をイジメた〇君達と教師達と、どれだけ辛いか何度訴えても何もわかってくれなかった親をこれからも許すつもりはありません。


以上です、最後まで読んで頂きありがとうございました。


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