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血パンダはどうやって演劇を作っているか 追補1. 会話中の態度

その4その5に関わるあたりで、これまではあまり明確でなかった部分について、大幅なアップデートがあり、追補1を加えます。

見ているつもり。脳による補完の利用

血パンダでは、客席に何かを「届ける」ことを意識していません。
日常的な熱量で、写実的であれと意図された演劇が立ち上がる。目の前の光景を、見ている人が見てとるものが全てで、演者たちは「どう見えるか」、とりわけ自分が意図した様に見えているかを考えて、瞬間を重ねていきます。
そのための稽古では、台本の読みの妥当さに適した見て取れ方のパターンを調整していきます。
これらの作業の中で、これまでは視線のやり取りや、相手の何かを受けて思考に変化が生じ、何かの行動に移る場合の間や視線の方向について、完全に明確で妥当な説明ができませんでした。
単に感覚的で明確が理由のないものであれば、排除していく方が不確定な雑味がが取れていく結果につながるため、仕上げに近づける作業は、様々なものを削ぎ落としていく作業でした。

人は視覚からの情報の多くを脳で補完しています。 見ているつもりが見ていないというのは、日常でも往々にして起こることですが、血パンダではそれを利用して、舞台上の役者全員が各々の思考を途切れさせない様に行動し、フィクションが進行する中心部以外でも、普通に時間が流れる様にしています。
結果的に、舞台上は情報で溢れかえるか、何処を見れば良いかわからなくなります。それは日常の光景に比べると非常に少ない筈。しかし、意識して舞台上の全情報を認識しようとすれば、かなりの集中力が必要になるものと考えられます。

コミュニケーションとマニュピレーションという視点からの恩恵

三木那由他著「会話を哲学する」では、会話を、何の話しかという約束事の積み重ねとしてのコミュニケーションと、相手の行動に対して影響を与えようとするマニュピレーションに分けて考える方法が紹介され、多くのフィクションを例に、コミュニケーションとマニュピレーションの形が紹介されていました。
まさに、この考え方を部分を役者の行動に反映させることで、少し視線を送るなどの行為には常に、以下の合理的な意味を持たせられます。

  • コミュニケーションが成立しているのかという視線を発生させる。

  • 自分の意図が通じているのかと確認する視線を発生させる。

  • 相手の言葉に対して、自身が何らかの意図や思考を生じた瞬間の挙動を発生させる。

  • 相手の言葉から、何らかの意図を感じ取った瞬間の挙動を発生させる。

つまり、コミュニケーションが成立しているかの確認、自分が相手に対してか、相手のマニュピレーションに対してかの反応として、何らかのアクションを起こすという合理的な理由がそこに存在していました。 そして、この動作を舞台上に存在させるために、何かわかりやすい大きな動作の必要はありません。それは、自然にある動きなので、日常の光景の中では見過ごされる可能性の高いものです。
その瞬間が適切なら、ただチラリと見るだけ、ただ座り直すだけで事足ります。そして、そういった瞬間は、ただ目に入るだけで、十分な意味を生じさせます。
小劇場での観劇から得られる美的体験の中には、日常的に見える距離感から不意に発生する非日常感があります。静かな演劇で追求された日常的な熱量の演技は、行為は情動の記号化ではなく、写実的な描写の解像度を高めていく方法を演劇に持ち込みました。

意味のある瞬間をこれまで以上に意図的に追加できる様になったことで、血パンダの演劇がスムーズに見える様になるのか、更に情報で溢れかえった結果、とにかく集中力が吸い込まれていく様になるのかについては、今後の検証を要するところです。
投入は、次回公演『冬の練習問題』に初投入となるので、公演終了後に結果を追記します。

今回のアップデートは、以下の書籍からヒントを得ています。感謝。


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