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チケットがいい感じで売れるまで、公演の宣伝がわりにいろいろ垂れ流す試み

チケットはPeatixにて絶賛販売中
文化庁Arts for the future!助成事業の採択を受けて、以前上演した『Generalprobe』という台本を再演する。
初演時とは桁違いの予算があるので、初演の時演奏してもらったクラリネット奏者の西田さんが加入しているクラシックのトリオ、トリオ・エスペルトとのコラボレーション。エスペルトのギタリスト大柴拓さんに、全面的に作曲をお願いした。
コラボレーションというと、聞こえはいいが、大柴さんに「とにかく舞台上は役者と奏者の食い合いになる、ガチンコ勝負ができる感じで」とお願いしたところ、本当に手加減無しでそんな感じの曲を仕上げてくれた。
台本を読み切った大柴さんに根掘り葉掘り聞かれた上で、十分過ぎるアンサーをいただいて、初めてフィクションを作る作業の完結を見た気がしている。
そんなわけで『Generalprobe』は、役者と奏者の正面衝突が計画されている、あまりまともに地上に出現したことのない時間が過ぎることを予定しております。

ディケンズの頃までなのか、恐らく今も娯楽小説というのは概ねそういう構造なのかもしれないが、フィクションの読み手は、そこに書いてあることを逐語的にむさぼり読んでいくしかない運命にある。
なにひとつ俯瞰できない代わりに、流れに身を委ねていけばフィクションの快楽は約束されている。

読書体験で、その身を委ねることを裏切られるといえば、例えば『百年の孤独』で、登場人物の世代が変わって様々なことが忘れられていることを、読者としてもどかしく感じる様な時間性、その更に外側の構造として、語られていること自体が既に書き記されていたこと、その外側に読者として自分が居たのだと知ること、それでも字を追わなければ、「読む」が成立しない。それを知るとほぼ同時に『百年の孤独』は収束する。こういう例があるし、こうした構造、身を委ねて読む行為自体を脅かす試みは、今も意識され続けているものと思う。

さて、読書体験の話しを例に取ったのは、演劇においての観客の観劇体験の話しをするためだ。
なんせ田舎で淡々と「演劇ってなんだっけ?」の自問を繰り返していて、都会の方で起こっていることを知らないまま時間を過ごしているので、受信者となる観客を演劇体験の中でどんな立ち位置に据えるのかについての問いの現在位置はどの辺にあるものか、知らないままでいるのだけれど、とりあえず今回上演する『Generalprobe』についていえば、「奏者同士の視線」と「奏者から役者への視線」、「役者の視線」の三種類の視線が舞台上に存在して、そこから読み取れるものが全てという構造を用意している。
この視線の設計故に、アクティングエリアから客席に向かっていく情報の量は過剰になっている予定。余裕があれば「他の客の視線」の存在も読み取ってくれていい。
「どこを見たらいいのかわからない」と感じるいつもの血パンダの光景は、今回一瞬でできあがり、冒頭2分もしないうちにピークを迎えて、一部の幸運な観客は、その過剰さを解除されないまま会場を出ることになる様に計画している。

過剰なものをどう捌くのかを客席に押し付けることの効果については、ずっと検証を繰り返している。劇場という回路の場合「抵抗」にあたる部品のひとつに観客の受容力がある。そう考えれば、ハイインピーダンスな場を作るために、熱の発生源を舞台上に置く必然性は皆無だ。
客席で流れに身を委ねるのか、俯瞰を試みるのか、ギアの入れ具合はお任せするとして、目の前で起こっていることをどうやって消化していくのか、ぼんやりしていると、集中力だけをいい様に削られてへとへとになる演劇を上演します。

劇団血パンダ+トリオ・エスペルト
『Generalprobe』
2021年11月6日、7日(両日18時半開場、19時開演)
氷見市漁業文化交流センター
料金 3,000円(前売りのみ)
作、演出 仲 悟志
作曲 大柴 拓
文化庁Arts for the future!助成事業
氷見市後援
チケットはPeatixから。近所の人は氷見市漁業文化交流センターでも前売り券販売中。
氷見市では、氷見市内での宿泊がお得になる氷見市プレミアム宿泊券も販売中

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