見出し画像

警察官職務執行法を読んだことのない警察官と、学習指導要領を読んだことのない先生


0   はじめに

「お前を逮捕する!」
「なんでですか?」
「なんとなくだ!」

もしあなたが道を歩いていたら突然お巡りさんに逮捕され、こんなことを言われたら・・・
もちろん法治国家である我が国ではそうそう起きえないことだと思いますが、想像するとゾッとします。
警察官は、刑法や警察官職務執行法などの法令に則ってその職務を執行するのであり、基本的にその行動規範・判断基準はこれら関連法規に拠って立つものです。
「ある人の行為が刑法に規定されたこの条文に抵触するので、警察官職務執行法に認められたこの権限に基づいて、このように対応する」というようになるわけです。

職務質問の際、どこまで認められるのか。
どこまで触ってよく、どこまで強制できるのか。
どのような条件がそろったとき現行犯逮捕できるのか。
拳銃などの武器使用はどのような場合に認められるのか。

すべては、関連法規に則って決まります。法治国家として当然のことです。
ところが、冒頭に描いたような現象が(きっと少数ながら)起きている場所があります。それは、学校です。


1   教員と学習指導要領


私たち教員は、教育基本法や学校教育法の理念のもと、学習指導要領に則って教育活動を行う「義務」があります。
(もちろん、一部の学者に異論があることは承知していますが、多数説は学習指導要領は法的拘束力を有する、と解しています。)
にも関わらず、現場には「学習指導要領なんて読んだことない」と平然と言ってしまう教員がたまーに(?)います。


学習指導要領:https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1407074.htm


ここで、このような議論をするとよく聞こえてくる(一部は実際に筆者が浴びたことのある)言葉をいくつかご紹介します。書いてある内容は滑稽に見えるかもしれませんが、ジョークでもなんでもなく全て真剣です。

「文科省の政策には問題がある。あんなもの読む必要がない。」
→読んでから言いましょう。
また、「問題があるという信条を持つこと」は自由ですが、「問題あると思う法令は無視すること」は法治国家では認められません。

「指導要領通りの授業がいい授業なわけではない」
→もちろんです。指導要領にのっとればいい授業ができるのではなく、指導要領は守らなければならない「最低基準」であり「必要条件」です。これすら守っていないのは(少なくとも我が国の1条校では)「授業」ですらありません。

「あんな分厚いもの読んでられない。忙しい。」
→お気持ちはわかりますが、あの程度の活字も読めないのなら教員を続けるのは難しいでしょう。
「忙しい」もなにも、教員にとって授業は最優先の本来業務です。


こういう先生方に限って、校則を破る生徒に対してやたら厳しく指導していたりするのを見ると、もはや盛大な「ボケ」をかましていて、誰かが「お前もやないかーいっ」と突っ込んでくれるのを待っているようにすら思えてきます。
三谷幸喜の喜劇よりよっぽど学校の方がコメディーです。


2  で、何が書いてあるの?


ちなみに、なにかと文句の対象になりがちな指導要領ですが、(もちろん全面的に賛同するわけではないものの、)結構いいこと書いてあるじゃんというのが筆者の考えです。
いくつかご紹介します。

・「近現代の細かな事象を順次に記憶していくことではなく,自らが歴史の主体者として現代の社会を考え,その形成にかかわろうとする姿勢を育てることが大切である。」

・現代世界の指導に当たっては,単に知識を与えるだけでなく,現代世界が当面する課題について, 歴史的推移や相互の因果関係などを多面的・多角的にとらえさせて考察させるようにする。(中略)つまり,歴史の理解を単なる知識の習得のレベルにとどめず,習得した知識を活用して現代世界の課題等を探究し,持続可能な社会の実現について展望させることにつなげていくことが大切である。そのためには,教師が一方的に知識を教え込むのではなく,生徒自身に調べさせたり,調べた成果を発表させたり,学級全体で討論させたりする活動を設けるよう工夫する。

・ここでは,「日本史A」の目標を達成するために必要な基礎的・基本的な内容に精選することの重要性を指摘している。 日本史学習のねらいは,決して個別・詳細な知識を数多く記憶することではない。高度で複雑な内容に深入りしたり,細かな事象の記憶に偏ったりした学習は,かえって思考や理解を深めることにつながらないことが多い。(中略)そのためには,平素の学習において,ひとまとまりの内容の焦点となり,歴史の展開を大観する上で柱となるような基礎的・基本的な事項・事柄を精選して学習内容を構成する必要がある。 それぞれの学習内容は,考察し表現する学習など生徒による主体的な学習活動によってより深く理解され,活用できる確かな知識に高められるものである。日本史の学習に求められるのは,十分な考察過程などを通じて学習内容のより深い理解と確かな定着を図り,自分自身の言葉で歴史の大きな展開を自在に表現できることである。そうしてこそ,学習した内容が実社会・実生活の場面で生かすことのできる本当の意味の基礎・基本として身に付くのである。
(ここまですべて「高等学校学習指導要領解説 地理歴史編」より引用)

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2014/10/01/1282000_3.pdf

要するに、
細かい知識を扱うことが目的ではない=内容を精選していいよ
その分浮いた時間で生徒自身が考察し、議論・対話し、表現する時間にしてね
という話です。

ところが、これを知らない先生方が、
「時間が足りなくて教科書の内容が終わらない」
「アクティブラーニングなんてやっている暇がない」
「文科省はどんどん要求してくるが引き算がない」
などと批判するわけです。


3 まとめに代えて


この記事をお読みくださっているような先生方ならきっとみなさんとうにご存知だと思いますが、
教科書通りに授業をしなければならない。
教科書に書いてある事項はすべて扱わなければならない
というのは、完全なる「幻想」です。
はっきりと、根拠法令にそう書いてあります。


きっと世の中の先生方の多数は、指導要領の内容くらい百も承知だと信じています。
ただ、たまたま私は今までこのような先生方を一定数お見かけしてきました。

警察官職務執行法を読んだことのない警察官なんて、いてはなりません。
学習指導要領を読んだことのない教員が、どうかいなくなりますように。

特に、まだ教員になったばかりの若手の先生方、実習中の学生さんなどの中には、指導要領をあまり読んだことのない人がいるかもしれません。
そんな方がこの記事を読んで、まずは指導要領を手にとってもらえるきっかけになったら、こんなに嬉しいことはありません。

加えて、学校の授業に不満がある中高生というのは結構多いように思います。
そんな生徒さんは、ぜひ「なんとなく」批判するのではなく、その科目について指導要領にどう書いてあるのか、その科目は何を、どう学ぶ科目とされているのか、さらっとでもいいので目を通してみてください。
ググれば出てくるので、無料で読めます。
その上で、もしみなさんが受講している授業が明らかに指導要領に則っていないと感じるなら、ぜひ担当の先生と対話してみてください。
単に「文句」を言うことと、「根拠に基づいて意見を伝え、対話すること」は全く別物です。

教育に関する批判や議論が、「根拠」に基づいて行われるようになり、「共通言語」が増えたらいいなと切に願います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?