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マイノリティを受け入れる土壌は日本にあるか

最近、ぼくは「マイノリティを受け入れる土壌は日本にあるか」ということをテーマに勉強しているようなところがある。
なぜなら、ぼくが引きこもりで元アル中で精神疾患も患っている圧倒的な日本社会におけるマイノリティだということをはっきりと自覚したからだ。
果たして、日本にはこの社会の最底辺ともいえる人間を受け入れるだけの懐の深さがあるだろうか。

ぼくは、当事者だからよく分かるけど、こういったことはほとんど自己責任とされてきた。
引きこもりの相談するところはNPOの自立支援センターみたいなところしかないし、アル中や精神疾患は専門の精神病院しかなく、しかも、実際に行ってみても、話を聞くとか薬を処方するぐらいのことしかしてもらえない。
しかし、当事者が一番苦しんでいるのは、こういう人たちというのは、「孤立」していて、社会参加がままならないというところにある。
そこには、引きこもりには履歴書中心主義の差別的な職業観がついて回るし、アル中や精神疾患は、偏見に基づく言われなき差別を受けたりする。
社会からは無能で役立たずのキチガイの可哀想な最底辺の連中というカテゴリーに分類されている。

だがちょっと待ってほしい。
本当にそうだろうか。
控えめに言っても、ぼくには、税理士試験の簿記論の科目合格や日商簿記1級やAFPといった資格がある。
いまさらなにをリスキリングするというのだ。
それに、そもそもそんな資格がなくたって、そういう人だって普通の人間と変わらないのだから、社会から排除されるような謂れはない。
この点、LGBTQ+や女性差別に限らず、日本社会はマジョリティに都合のいい社会になるように回して、マイノリティを排除してきた歴史がある。
そして、ぼくらマイノリティはそれを仕方がないことだとして、黙って受け入れて耐えてきた。
しかし、ちょっと考えて見てほしい。
それが本当に仕方がないことなのだろうか?

この点でぼくが考えを改めるきっかけになったのが、アメリカだった。
アメリカには、大英帝国の植民地だった時代の三角貿易による黒人奴隷という真っ黒な黒歴史があって、それが今でも国のあり方に大きな影響を与えている。
正直、アフリカ系黒人の割合が何%とか、そこまで細かいことは分からないのだけど、黒人がマイノリティであることは分かるようになった。
実は、最近までそれすらよく知らなかったのだけど、趣味の音楽の勉強をしているうちに、アメリカの歴史に突き当たり、そういう差別の歴史とかを知るようになった。
アメリカの歴史に詳しくない普通の日本人だと、おそらくまだ認識はゆるいだろう。
オバマが大統領になるのが、いかに画期的な出来事だったかも、ほとんど理解されないままだったと思う。

実際、カーソン・マッカラーズの『心は孤独な狩人』という1930年代のアメリカの黒人の生活の貧しさや苦しさ、それから差別という不条理を描いた小説の訳者解説の中で、村上春樹は、若い頃読んで大変感銘を受けたけど、翻訳するにあたっては、果たしてこれが日本で受け入れられるかは腕組みして考えざるを得ないというようなことを書いていた。
そうなのだ。
日本人には、たしかに黒人を差別しようという気がなくても、歴史を知らなかったり、身近に黒人差別がないために、関心が低いということがある。
無知なのだ。
自分がそうだったからよく分かる。

日本のマイノリティ差別のことで言うと、実はまだ全然夜明け前なのだ。
たとえば、アメリカでは1960年代に公民権運動という社会運動が盛り上がりを見せる。
キング牧師とか、マルコムXという人物について名前を聞いたことがないだろうか。
ぼくも勉強を始めたばかりで、詳しく知らないのだけど、1960年代でも、黒人は白人と一緒のレストランで食事をしてはいけないというような差別があったそうだ。
もともとはそのことに抗議した青年に賛同する形で、キング牧師とかマルコムXといった人物が社会運動を先導して、黒人に対する公民権運動が大きなうねりを見せたそうだ。
そこから見ると、アメリカ大統領に黒人のオバマが就任するのが、いかに画期的なことかが分かると思う。

翻って、日本を見てみると、マイノリティ差別に対する運動が、ツイッターなどでは多少は盛り上がりを見せているのかもしれないけど、まだまだ、マイノリティが公民権を得るところまで行ってない。
日本は夜明け前だというのはそういう意味だ。

私たちは何を為すべきか。
差別をなくすために、まず歴史や権利についてもっと勉強すべきではないのか。
そして、マイノリティ当事者が声を上げやすい環境にし、実態をよく見るべきではないか。
ぼくはそう思う。

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