「俺が正しい」という過ち。



「俺が絶対に正しい」



あの人は、

その考えを絶対に覆さない。



「俺の言うとおりにしとけばいい」



「だまっとけ」



「だから、お前はあかんねん」



セリフのほとんどが、

会話の先にいる相手を

否定することからはじまる、あの人。




自分はその人から否定される存在で、

私にはこの人以下の価値しかない。



それは私にとって、

もはや日常すぎて気づかなかった。




私がまだ幼い頃、

それは当然だった。



私は子どもだから、


きっと大人の方が何でも知っていて、

大人の方が偉くて、


大人に任せておけばいいのだと、

心から信じていた。



けれど、



大きくなって、

自分だけで決断することが増えて。



あの人のいない場所で、

あの人に頼らず働いてみると、



気づいたのだ。



私の価値は、

あの人の評価だけでは

決められないということに。



あの人のいない世界で、

私はたくさんの人と話をした。




「あなたはどう思う?」



「一緒にがんばろう」



「君に頼みがあるんだ」



誰も、私を否定しない。




社会に出ると、

多くの人が私を求めてくれた。



考えてみればそうだ。


私は賃金をもらっているのだから、

それに見合った働きをしなければいけない。



でも、




そうじゃなくて。




なんだろう。




例え役に立たなくても、



人を笑わせるしかないような、

しょうもない言葉にも、


不正解かもしれないやり方でも、

価値をつけてくれる人がいた。



私が声を出すと、

行動に移すと、



「ありがとう」



「助かるよ」



温かい言葉が待っていた。



今までは、

何かを言おうとするとすかさず、



「だから、お前はあかんねん」



私の言葉や行動は遮られてきた。



テストで89点を取っても、

残り11点がとれない私には価値がない。



生徒会委員に選ばれても、

あんな程度の低い学校じゃ意味がない。



進学したいと言っても、

お前の陳腐な夢は叶える必要がない。



その否定の根源は、

今思えば、

私が原因ではなかったのだと思う。



だけど、

あの人とだけ暮らしているうちは、

そんなことに気づきもしなかった。



私は価値のない人間で、

この世の誰も私を求めていない。



何をやっても不器用で、

醜くて、

イヤミな人間。





それだけが私だった。





「あなたには価値がある」




外の人たちから、

何度目かにそういう扱いを受けたとき。



やっと、

自分という存在を

信じることができた。



そして私は、

外の世界に出ることができた。




あの空間を出てみると、

あの人はとても小さく見えた。



自分よりも小さいものしか

否定できない、

弱い人。




世界が狭いままだと、

そのことに気づきもせず、

ずっと二人で、生きていただろう。







もしあなたが否定される世界で生きているなら、

きっとそれは、あなたが原因なんじゃない。



あなたを卑下することでしか、

自分を保つことができない人がいるだけだ。




抜け出せばいい。




世界は広い。

生きている間じゃ見切れないほどに。


だからいくらでも、

抜け出せる道はあるのだ。




生まれる場所は、

選べないかもしれないが、



これから生きる場所は、

自分で選んでいいのだから。




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