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ジョージア生活記4🇬🇪

 以前にもお伝えした通り、ここではトルコに抜けるためにジョージア東側➡︎アルメニア➡︎ジョージア西側の順に旅を進めています。一応時系列に沿って投稿してますのでこういったごちゃごちゃな感じになってますがよろしくお願いします。

さて、久しぶりに戻って来たジョージア。なんと言っても飯と酒が美味い国。久しぶりに戻って来たからにはジョージア料理を堪能しなくてはならない。アルメニアには長く居たものの、名物料理なんてものは無かった。空っぽになった胃袋を抱えるように飛び出して、ジョージアの料理を食べる。それはやはりシュクメルリであろう。あの、ニンニクのパンチと、チキンのジューシーな肉汁が堪らなく胃袋に刺激を与える。そして脳みその奥の方から「幸せ」という信号が身体中に送られる。この食べ物はドラッグみたいなものだ。中毒性が高く、そして高揚感も凄まじい。是非、ジョージアに行く機会があれば食べてみてもらいたいものだ。とは言ってもなかなかジョージアに行く人なんていないんですよね。はい。存じ上げております。

 そんな最高のディナーを胃袋に詰め込みながら、チャチャというご当地の酒をこれまた胃袋に注ぐ。度数がテキーラのそれより高く、1杯で身体中の血液が急速に走り出す。そう。ハイになれる最高のコンビなのだ。本当にジョージアの飯は美味い。そんな最高の気分になった後はゆっくりと街を歩く。これがまた気持ちがいい。治安がいい街では夜の街がこんなにも明るく見える。そんな素敵な夜はあっという間に過ぎていった。

 翌朝、私たちは解散することになった。なんだかんだ2週間くらい一緒にいたので、寂しさも感じたが、今まで通りに戻るだけだ。そんなことを言いながら笑っていた。しかし、よく考えてみれば、トビリシで出会ってから、同じルートを辿って来たのだ。次に狙う町も同じだった。結局同じバスで行くことにした。
 次に目指す町は「ゴリ」日本人からしたら面白みのある名前かも知れない。しかしここは、あの有名な「スターリン」の生まれ育った町なのだ。トビリシから車で3時間程度で着いてしまうその町は雰囲気がまた少し違っていた。私たちは町の中心部でバスを降りそこで本当の解散になった。同じ町に滞在しているということもあって、そんなに悲しさは無かったが、「またどこかで会えるといいな」そう素直に思った。出会いがあれば別れもあるなんてよく言うが、別れとは「死」のみだと思っている。生きていればいつでも会えるのだ。「じゃあね〜」そう告げて私は1人宿に向かった。
 久しぶりに感じる1人だけの足音。この足音が聞きたくて海外に飛び出たようなものだ。久しぶりにかんじるドキドキ感。これがまた旅に対して新たな好奇心を生む。たまらない感覚。至る所から感じる視線。これもまた刺激的だ。そして見たことも聞いたこともない町を手探りで開拓していくこの感覚。6分の恐怖心と4分の好奇心とはよくいったものだ。狙いを定めていた宿に到着する。これまた変わった所に存在していて、中心地からは離れた場所にある。間違いなくローカルな場所だ。観光客の姿など皆無で、程よい緊張感に包まれている。どうやら今回の宿は民家の1室を貸し出してくれるタイプらしい。どこからどう見ても普通の家だ。恐る恐るチャイムを鳴らしてみる。しかし反応はない。「ハロー」声を出してみる。これまた反応がない。しょうがなく、待機することにした。久しぶりの感覚に疲れてしまったのか、地べたに座ってしまう始末。そうしていると近所の家から人が出て来た。元気よく「ハーイ」と声をかける。ジョージアも残念ながら英語はあまり通じない。なので全世界の共通ツール。「ボディランゲージ」で「ここの人はどこにいるの?」と尋ねる。遠目から見ていればダンスを踊っているような格好になってしまったが通じることに意味がある。すると「ここに待っていな」みたいなことをあちらも伝えてくれた。どうやら電話をしてくれたみたいだ。もう少しで帰ってくるから。そんなことを言いたかったのだろう。その言葉を信じて待つことにした。

 結局1時間ほど待ったであろうか。1台の車が帰って来た。そこから出てくる女性の姿。幸いにも彼女は英語が堪能だった。「待たせてしまって申し訳ない。どうぞ」と案内された部屋はとても綺麗でテンションが上がった。しかも。宿泊者は私1人のようでこれまたラッキーだった。少しの間ベッドに横になり、調べ物をする。そして、カメラ片手にまた町に出るのであった。

 まず向かったのがこの町の中心部にそびえ立つ「ゴリ城」名前からして厳つそうな城だ。ルンルンで歩きながら向かう。度々町の子供に「ハロー」と声をかけられる。どこにいっても子供は可愛い。「ハロー」と返す。そこにそれ以上の会話はない。彼らもそれはよくわかっている。しかし挨拶とは素敵なものだ。そこに何も共通点が無くても、コミュニケーションを生み出すことができる。世界のあちらこちらで、挨拶は見て来たが、見ず知らずの相手でも挨拶があることによって「きっかけ」が生まれる。日本では「こんにちわ」この一言があるだけで」、何かしら生まれるのだ。これは忘れてはいけないことだろう。まあ、日本でいきなり「こんにちわ」なんて街中で声をかけたら「危ない人」そう勘違いされそうだが。

 目的のゴリ城に到着した。思ったよりも大きい。これは登ってみるしかない。私はまたまたサンダルで登り始めた。いざ登り始めると風が強いことに気がつく。最高の気分だ。頂上まで登るとその風の強さをさらに感じることができる。「ここから飛べるのではないか?」本気でそう思える。私は頂上の塀に座り込み、ただ目を瞑っていた。風で音も聞こえなくなる。目を開ければ、町全体を一望できる絶景。なんて気持ちが良いのだろう。徐々に落ちてくる太陽がそれをさらに彩っていた。

 少し風がやんだ。下の方から何やら大きな笑い声がする。下を覗いてみると、つい2時間くらい前に別れた2人がいるではないか。静かに上から見ているとあちらも何かの気配を感じ取ったのか気が付いた。ニヤニヤしながら頂上に上がってくる。「また会ったね」なんだか少し気まずいような感じもしてしまった。それほどまでに小さな町なのだ。

 2人もまた風を感じながら、気持ち良さそうにしていた。そして少しした後、本当にお別れになった。なんだか不思議な感じがした。

 ここゴリにはもう1つ有名な観光スポットがある。そこは少し時間をかけていく場所だ。どうせ彼らも明日そこにいくのだろう。もしかしたら、また会うかもしれないな。そんなことを思っていた。私はスーパーで買い出しをして宿に戻った。その途中にスターリンの博物館にも行った。正直、そこまでの魅力は感じていなかったので、中には入らなかった。

 宿の帰ってからは夕飯を作った。この度で覚えたスープを作った。大量の野菜をぶっ込み最高にうまかった。宿のママが余った夕飯をくれた。それも頂いた。なんだか、不思議な感じがする。何が不思議なのかはよくわからないが、そう感じた。

今思えばこの日はなんだかたくさん不思議な気持ちになったことを覚えている。