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アゼルバイジャン生活記3🇦🇿

「鍛治職人の村」

 この言葉だけで私の心は踊っていた。一体どんな景色が待っているのだろうか。一体そこにはどんな音があってどんな匂いがするのだろうか。

 私は翌日早起きをし、颯爽とバクーの街を後にした。そこには名残惜しさも、悲しさもなかった。気分がよかった。暖かな日差しを浴びながら歩く街。別れると決めてからの方が輝いて見えたのは私の心を映し出す鏡だったのかもしれない。
この地域特有のバンタイプのバスに乗り、私は鍛治職人の村「ラヒッチ」に向かった。
 バクーを抜け少し走るとあっという間に景色は様変わりした。
あの近代的な建物の影はなくなり、私の目の前に広がる景色は緑一色になってしまった。高い山に囲まれた道はまるでジブリの世界にいるような錯覚さえ起こす。そのくらい大きく違っていた。これが結局本来の姿なのだ。私は揺れるバスの中でどこか安心感を覚えていた。
見渡す限りの緑が私に落ち着きを与えてくれる。今まで私が歩いて来た地に比べたらそれはほんの一部かもしれない。しかし、そこには確かに私の中で何かを奮い立たせる景色が、匂いが、風が、広がっていた。
 3時間くらい経っただろうか。私は途中で降ろされた。「そこにいろ。」そう一言だけ残されて。私の他に2名の乗客が降りた。1人はフランス人の旅行者。もう1人は私と車内で話していた人物だ。彼は私たち2人の旅行者を気にかけ、わざわざ同じ場所で降車してくれたのだ。こういった優しさを感じるのがイスラム圏のいいところであり、私がイスラム教を好きになった1番の要因である。
彼は時間がないのにも関わらず、多くの人物に話を聞き、時間まで調べてくれた。そしてミニバスが確実にくることを確認した後、タクシーで何処かへ消えていった。たった2人の外国人の為だけに時間を割いてくれる。日本で同じ光景が見られるだろうか。私は「YES」とは言えない。
 これこそが人間の真髄なのかもしれない。過去の記事で書いたが、小さな親切がきっと大きくなって返ってくる。その繰り返しが今の世界を大きく変えるのかもしれない。
 彼のおかげで私は無事にミニバスに乗り込む事が出来た。車内は地元の住民しか居ない。どこかほっこりとしたその雰囲気と外国人に対する、怪訝の眼差しが絶妙に混じりあっていた。険しい山道を登って行く中で、突如現れる村。いや、集落と言ったほうが的確かもしれない。山に沿って立つ家々が私の視界に飛び込んでくる。ここが「ラヒッチ」なのは誰が見ても一目瞭然だった。

 バスを降りると目の前に広がるのは石畳の傾斜。私は宿すら決めていなかったので、フランス人が向かう方向に一緒に歩いてみる。すると、どこかで見た事がある景色が目の前に現れた。調べていたときに出て来たこの村名物の民泊の家だ。私は急に泊まってみたくなり、フランス人に別れを告げ、ドアを叩いた。反応がない。これはヤラレタ。と思ったが少し経った後、奥から年老いた男性が出て来た。
彼だ。私はできる限りの笑顔で挨拶を交わした。英語は全くと言っていいほど伝わらなかったが、ボディランゲージという世界最強のコミュニケーションツールを巧みに操り、部屋を確保した。
 Wi-Fiがあると言うが、パスワードはわからないと言う不思議な発言をしていた。ちょっと待っとけと言ったのち近所の子供を呼んできた。パスワードはこの子達が知ってると言う。予想外の関係性だ。日本ではまずありえない。でもそんな生活環境にいる彼らを少し羨ましく思ったのは、日本に対して少し物足りなさを感じているからなのだろうか、こうした世の中を求めているのだろうか、寂しさを感じているのだろうか、今の私にはその答えを知る方法は存在しなかった。


 荷物を置き外に出てみる。目の前に広がる大きな山と川。石畳の坂を下ると、時折聞こえる「カーン」という金属音。まるでドラクエやFFの世界だ。ワクワクした。30分もあれば全てを見る事が出来てしまうその小さな村には観光地としての性格が生まれ始めていた。残念だがこれもこの村の、この国のリアルなのだ。
 とは言ってもビルが建っているわけでも、観光地価格を設定しているわけでもない。スレている村では無いのだ。だからこそ、どこに言っても子供は「ハロー」と声をかけてくれ、小さな商店に行けば、皆ジロジロと見てきたのち「チャイナ?」と聞いてくる。「ジャパン」と答えると、少し笑顔になり「サムライ」などと言われるのがオチだ。
 私は村を離れ、川に出て見る。誰1人としていない橋の真ん中で腰を下ろす。空を見上げてみればそれは海にも宇宙にも見える。邪魔するものがない。気分が良い。川を見ても同じ事が言える。今まさに私はこの景色を1人で独占してるのだ。この大きな大きな大自然の中に人間は私1人。人間1人を満足させるには十分すぎるものだった。案外人間とは簡単に幸福感を得られる生き物なのだ。お金も地位も名誉も実はそこまで必要ないのかもしれない。私はそう思った。日本という国で、東京という街で、忙しすぎる日々の中で人間は簡単に幸せになれる術を忘れてしまったのだ。脳の奥底に眠っているこの感覚を、この感情を思い出すことのできた私はやはり幸せ者なのだ。


 風に吹かれながら雲と同じ方向に流れてみよう。今は何も必要なかった。インターネットも他人も。1人という時間を楽しみたかった。私は風のように川沿いを歩く。そこで見たもの全てが私の心の命を生き返らせる。不安でもワクワクでもない満足感に近い感情が自然に湧いてくる。その感覚が私にとって1番に必要だった。息を吹き返した私は大きく手を広げて世界の広さを再確認したのであった。

 真っ白の馬が目の前を走る。その体の曲線美に魅了された私の足は気がついたら同じ方向に向かっていた。その馬は一軒の家の前に止まった。私が追いかけて行くと中から「カーーーン」という響きが聞こえた。その音は私の耳だけでなく、この村全体に響くような綺麗な音だった。家の中を覗いて見ると、まさに鍛治職人と呼ばれる2人の男がリズミカルに金属を叩いていた。彼らは蹄鉄を作っていた。
 私に気づいた彼らは手招きして私を工場に招いてくれた。彼らは黙々と叩き続ける。そのスピード感はまさに職人そのものであったが、それ以上に私が魅了されたのが一寸の狂いもなく同じ形の蹄鉄を作るその感覚だ。計測するものなどは見当たらない。まさに自らの経験と感覚、そして2人の呼吸だけで目の前にあるメラメラと燃えている棒を蹄鉄に変化させてしまうのだ。錬金術。この言葉が最も似合うのはきっとこの男達だろう。私はとっさにカメラを彼らに向けた。叩く瞬間の真剣な表情も滴る汗も、熱くなっている金属も、熱気も、「カーン」と鳴り響く音もこの空間に起こる全ての事象を収めたかった。
 まさに職人、いやプロフェッショナルと呼んだほうが彼らにはしっくりくるだろうその姿は短時間であったが私の好奇心の幅を広げた。

 私の旅の先輩と呼べる人物がこんな言葉を残してくれた。

「旅とは、自分の軌跡によって世界を切り取る行為であり、それこそが自分の世界認識を変容させ新たな視界を拓くものである」

世界を切り取る行為なのだ。それは何も地理的な話だけではない。こういった人間から職業から、住む環境から、自然から、どこからでも新たな世界を切り拓くことができるのだ。

 私はもしかしたらこの日新たな自分の世界を切り拓けたのかもしれない。

 彼らに別れを告げ、山を登る。石畳の坂をビーチサンダルで駆け上がる。その時の疾走感は私を少し自由にさせてくれた気がした。