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アゼルバイジャン生活記2🇦🇿

バクーの発展ぶりは私の想像を遥かに上回った。そこにそびえたつビル郡は華やかに街を彩る。綺麗に舗装された道路、大きな噴水を中央に備えた公園、外観に力を注いだであろうショッピングモールや、何を表現したいのかわからないオブジェらはこの国の現状を必要以上に私たちに伝えているようにも見えた

どこを歩いても小洒落たカフェが立ち並び、今までにあったような喧騒さは全く見受けられない。意図せずヨーロッパに来てしまったという感覚が1番しっくりくる言葉であった。
私はとにかく街を歩いた。カスピ海に向かって。
今日は移動日だったこともあり、何もする予定はなかった。その為ベンチに腰掛け、ゆっくり海を眺めていると、2人の青年が話しかけてくれた。
「どこから来たんだい?」
いつもの調子であった。私がここまでくるルートを説明すると、アゼルバイジャンの見所を教えてくれた。そして私たちの国は石油のおかげでここまでリッチになったと教えてくれた。関心しているのも束の間、彼らは「俺らが観光に連れて行ってやる」と私を観光地に連れて行ってくれた。彼らはどうやら学生らしく、見た目よりも若い年齢であった。またしても私が最年長。どうしてもこの地域の男性の年齢が的確に当てられない。皆立派なヒゲを蓄えているせいなのか、ガタイが良いからなのか。もう少し私も目を肥やしていかなくてはならない。

数々の観光地を巡った後は、皆で夕食をとった。しかも私がバックパッカーだと知ってレストランではなく、近くのスーパーマーケットで安い食べ方を教えてくれた。このおかげで私はこの日を境に簡単な軽食や夕食を安く仕入れる技を習得したのである。
彼らが連れて行ってくれた夜景は美しいものであったが、私の心にはなかなか響かなかった。キラキラした光景が私の中からキラキラしたものを吸い取ってしまうような気がした。
あのぼんやりとした灯りが私を惑わす。住み心地も申し分ない。生活に困るようなこともない。街並みも綺麗だ。しかし、私にとってはそれら全てが何か物足りなさを生んでしまう要因にしか成り得なかった。どこでこうなってしまったのか。
一言で言えばそれは「刺激」なのかもしれない。しかし、その言葉ではどこか物足りない。大変なことを求めているわけではない。危険なことを求めているわけでもない。ただ、私の心が輝かないのだ。ワクワクしない。その国に住む多くの人々の生活が見れない。リアルではないのだ。生々しさが足りない。現実離れした仮想世界に見えてしまう。それが私には面白くない。

私は翌日にこの街を離れる決心をした。

どこに向かおうか。私はイランで出会った人物に連絡をした。彼もコーカサス地方を長く旅した人物だったからだ。
すると彼は「ラヒッチ」という村が良いという。どうやらそこには1000年ほど前にイランから鍛治職人が移住してきたと言われている村だ。その謎めいた歴史も、いまだに村には鍛治職人が存在していること。「カーーーン。カーーーン。」と村中に鳴り響く音を想像したら私の心は輝きを取り戻した。
明日にでも行くことにしよう。

私はバクーの街に早くもお別れをした。