アゼルバイジャン生活記4🇦🇿
「乗り継ぎの多い移動」
一夜明けた鍛治職人の村「ラヒッチ」は朝日を浴びてるせいもあってか昨日よりも綺麗に映っていた。昨晩は奥さんの手料理も頂けた。部屋は私1人だったこともあり快適に過ごす事が出来た。
宿泊者は私の他にもう1人。アゼルバイジャン人の老人がいた。彼は英語はおろか、自国の文字も読めない。ただ、彼は外国人である私に興味を持ってくれたのかたくさんのことを伝えてくれた。
特に「ナゴルノ=カラバフ」を巡るアルメニアとの戦争についてはかなり熱くなっていた。私たち日本人の若者は戦争と無縁な生活を送って来たため、実感が湧きにくいが、今この瞬間も世界のどこかではそういった事が起きてるのが現実だ。アゼルバイジャンという国では特にこのナゴルノ=カラバフという地域を巡った争いが今も尚絶えない。
今記事を書いている私はその「ナゴルノ=カラバフ」という地域にいる。この老人の話がどこかで引っかかていたのは間違いのない事実だ。もちろん紛争が起こるような場所には行けないが足を踏み入れてみたかった。その現実を見たかった。
この地域は未承認国家として世界に認識されている。つまり国ではない。世界で唯一アルメニアだけが国として認識しているのだ。しかし、実際はアゼルバイジャンの国内に位置する場所にこの「ナゴルノ=カラバフ」は存在している。だからこそ、その地域をどちらの国も「私たちのもの」だと主張し、争いが起きているのだ。その歴史は長く、今も続いているため両国の関係性は深刻な状況に陥っている。
そんな老人の兄もアルメニア人によって殺されたと涙ながらに語ってくれた。私は初めて実感する戦争というものにどう反応していいのかわからなかった。
起きた時その老人はもう出発の準備をしていた。私は昨晩のお礼を告げ、彼は可愛らしく手を振り去っていった。
私は「ラヒッチ」にもう1泊するか悩んだが、去る事にした。この気持ちのまま他の地に足を踏み入れてみたいとそう思ったからである。世界の違った場所を切り拓きたかった。朝1番のミニバスに乗り隣町まで行く。どこで降ろされたかもわからない私は聞き込みをし、シェキという町を目指した。
「ラヒッチ」から1時間ほどしたところでイスマイリという小さな町に着いた。「ラヒッチ」に住む彼らにとってはここが生活をするために重要な町になっているらしく大きなダンボールを抱え、食材を抱えたり、村では手に入らない電化製品や衣服を調達するといった具合だ。私はそんな彼らを横目にシェキに向かうために大通りに出た。
そこにいればシェキ行きのバスが通るかもしれないという情報を手に入れていたからだ。実際行ってみると、そこは少しだけ大きな道というだけで、確かにバンは走っているがそんなに多くはない印象を受けた。心配になり、近くの店の店主に聞き込みをするが、「多分来ると思うよ〜。わからないけど。」こんな調子だ。時折タクシーの運転手が声をかけに来る。申し訳ないが、そんなリッチな乗り物には乗れない。タクシーの運転手はバスはいつ来るかわからないと言う。実際この時点で30分以上は待っていたため、確かに遅いのかもしれないとは薄々感じていた。しかし、時間は山ほどあるので丁重にお断りし、バスを待ち続けた。
待ってる時間に何度も一般車も停まってくれた。
「どこ行くの?」
「シェキ」
そう答えると「いくら払える?」と聞いて来る。私は交渉をするもやはりバスの方が安いのが現実である。私は乗ってしまいたい欲求をグッとこらえ待ち続けた。
待つ事1時間くらいであろうか。1台の車が目の前に止まった。
「どこ行くの?」
「シェキに行きたい」そう答えると
「シェキへの直通はこないと思うよ。途中のカバラという町で乗り換えだよ。」
と丁寧に教えてくれた。私はありがとうと伝え、またバスを待とうとすると
「乗ってけよ。カバラまで行くんだ。」と彼は言った。
「いくら?」と聞くと「お金なんていらないよ」と言ったのである。
私は不安になりもう1度聞き返したが、「いらない」と言う。結果的に逆ヒッチハイクに乗り込む事が出来たのだ。私が荷物を積むと、反対方向から1人の大きな男が走ってこっちに向かって来る。どうやら「俺も乗せてくれ」と言っているようだ。彼は快く私と彼の2人の見ず知らずの男を乗せた。
彼の職場がカバラにある為、ここイスマイリから毎日車で通っていると言う。彼の話を聞いているとヒッチハイクをする旅行者も多く、乗せ慣れている雰囲気を私は感じていた。
「ヒッチハイク」この言葉にどれほど憧れたか。私は過去に鹿児島から東京までヒッチハイクで帰ってきたことがある。言葉が100%通じる母国でもヒッチハイクというのはドキドキした。全員が全員優しい人ではない。時には怒鳴られ、時にはコンビニで何時間も地団太を踏んだこともあった。私は車内でそんな懐かしい記憶を蘇らせていた。逆ヒッチハイク。そんなこともあるのが世界だ。私は自分の想像の斜め上から突如現れた出来事に実のところ興奮していた。両側に見える大自然よりもこの車に奇跡的に出会えたということに私の心は飛び跳ねていた。
旅をしていると、何度も「失敗した〜」と思うことがある。しかし、それは次に起こる新たな出来事の予兆にすぎない。もし、1日延泊していたら、きっと私はこんな体験をすることはなかっただろう。バクーの初日のように思いの外、寝すぎてしまってなければ、アゼルバイジャン人と仲良くなることもできなかっただろう。
必ず何かに繋がるのが人生の面白い部分だ。いや、何かに繋がると考えられるのが人間の強みだ。あの時の失敗も、あの時の悔しさも、それがあるからきっと「今」があるのだ。
1時間程度のドライブは思ったよりもあっという間に終わってしまった。彼はバスターミナルまで送ってくれた。そこで本来の目的地「シェキ」行きのミニバンを探してくれたのち職場に向かったのであった。
予定していた時刻より早く「シェキ」に着けたのは間違いなくヒッチハイクのおかげだろう。まだ太陽の日差しが強く照りつける時間であった。アゼルバイジャン第2の都市と聞いていたこの町も閑散としていた。どこからともなく聞こえる「ハロー」という声が観光客に対して物珍しい感情を抱いていることを証明しているようでもあった。
私はまた新たな土地に足を踏み入れたのであった。