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トルコ生活記🇹🇷1

 1日に3回も飛行機に乗り、やっと到着した町はトルコ南部の町。アンタレヤ。トルコ内ではかなり有名な町だ。何が有名か。それはもちろん地中海に面しているということだろう。日本人にとって地中海は距離的にも遠く、スペインやイタリアといった、ヨーロッパの代表国が接している海ということもあり、少しハードルが高いような海のような気もする。しかし、トルコの南部にくれば、比較的手頃な価格で、宿泊ができ、地中海を堪能できる。というのは完全なる建前で、実際はどこでも良かった。どこか景色が良い場所か、海や山といった自然に囲まれた場所に行きたかった。深夜に到着したこともあって、朝まで私は空港内のベンチで仮眠を取った。仮眠と言っても、1人でいる場合は熟睡はできない。万が一に備え、バッグは全て抱え、または身体のどこかに巻きつけ、座って寝ることが多い。流石に気持ちよく眠ったことはないが、眠ることができないよりは幾分かマシだ。

 アンタレヤ空港から市内まではトラムが走っている。それが最も安く、簡単な方法だ。そのため、朝になるまで、眠った後、私は重いバッグを担ぎ上げ、駅に向かった。お金を下ろしたのはいいが、大きいお金しか持ち合わせていない。日本のようにどこでもかしこもお釣りをしっかりと準備している国など私は見たことはない。大きな額を出すと、小さいので払えと言われるか、相当嫌な顔をされて、やっと会計ができる。そのため私は目を覚ましたいという事もあって、チェーンのコーヒー店に向かった。朝1番に飲むコーヒーは身体に染みる。しかし、タイに比べても遥かに日差しが強い。照りつけるような日差しが私の心までもを照りつかせる。やっと違う世界に戻ってこれたという喜びなのか、それとも初めて降り立った土地に単純に興奮しているのか。
 何はともあれ、良い時間になったので私は駅に向かった。しかしこれまたよくある話で、ご当地のICカードを買わないと乗ることのできないタイプであることが発覚。券売機に向かうもトルコ語なんてものは残念ながら1文字もわからない。英語があればまだなんとなくわかるのだが、それすらない完全なる地元用に作られたタイプ。困ったもんだと、頭を抱えていると、近くに通りかかったおじさんが何やら切符を買おうとこっちに向かうではないか。これはチャンスだと、話しかけるも何も伝わらない。ここは得意のボディーランゲージで市内に向かいたいことを伝える。伝わったのか、伝わってないのかよくわからないが、なんとかICカードを程に入れることに成功した。

 朝のトラムは空いていて非常に快適だ。荷物は置けるし、2人席を占領できる。トルコの街並みはややヨーロッパのような雰囲気と、イランやアルメニアといった隣国のアジア圏の雰囲気をミックスしたような特殊な雰囲気を感じさせていた。しかし、そこは海に面した町。やはり海を大胆に押して、ビーチリゾートのような雰囲気もしっかりと組み込んでいる。世界のどこの場所に行っても海沿いの街の雰囲気だけはあまり大きな差がないのは少し不思議だ。そこには宗教や歴史、人種など大きな差があるはずなのに街の雰囲気はあまり特殊なものはない。海に入る人間には大きな違いがあるのにも関わらず。

 そんなアンタレヤの中心地に着くと、少し違和感を感じた。時刻は8時になっているというのに、人の気配がないのだ。店が閉まっているのはもちろんのこと、人間が歩いていない。とんでもない夜行型の町なのだろうか。なんとなく面白い町に見えてきた。私を誘ってくれた友人と待ち合わせをしていた場所まで向かう。たまたまジョージアで出会った私より遥かに人生経験も豊富な方達にこんなに助けてもらえるとは思ってもみなかった。人間を大事にしていて良かったと思った瞬間である。結局助けてくれるのは人間だけなのかもしれない。

 久しぶりに会う友人の顔は完全に寝起きだった。そういう部分はやはりフィーリングが近い部分なのかもしれない。なんてことはなく、歓迎してくれた。これがどれだけ心強かったのか。今になってよく分かる。この自然な感じが本当にありがたかった。

 懐かしい気持ちになると同時に、また何か新しい物語が始まる合図が間違いなく私の脳内に響いた。タイにいた時には再スタートしたつもりでいたが、実は何も始まっていなかったということにもやっとここで気がついた。
 そして、それは再スタートではなく、新たな物語の始まりであったことにも。

 そこには海があった。やることは1つしかない。ひたすら日焼けをするのだ。あまり泳ぐのが好きでない私は海に行っても入るのは最初と砂を落とす最後の計10分くらいが良いとこだ。紫外線を浴びて汗をかく。そして身体に黒という色を刻み込む。これがどれだけ気持ちのいいことか。最も健康的ではないかとも思う。気分も上がる。暑くても海に入れば体は冷える。なんていいシステムなんだ。そしてタイでは1度も撮影することのなかった写真を撮ることにした。徐々に何か蘇ってくるものがある。

 久しぶりのワクワク感を感じた飛行機から1日後にはこれ以上ない楽しさを感じていた。海が綺麗なのはもちろん、初めて訪れた土地なのももちろん、見たこともない雰囲気を感じているのももちろんなのだが、自分自身の中でまた新たに始まった旅をしっかりと受け入れられていることに何よりの楽しさを感じていた。
 いつもならあまり入ることのない海にもいつもより長めに入ってしまった。何をするのも楽しかった。話し相手がいることも私にとって大きなことだった。他愛もないことで笑うことができるのは楽しさを倍増させてくれる。
 久しぶりに食べる新たなご当地フード。好奇心に最も忠実な私のルーティーンである。トルコの名物を食べ、その味を自分の中で順位付ける。どこの国の何が1番美味しかった。この国のこれは美味しくなかった。なんていう風に。トルコ料理は日本にも進出していることもあって衝撃的な感動はなかったが、そこはやはり本場。日本のそれとは食べ方も違うし、具材も少し違う。そんな発見があるだけで楽しかった。

 夜は皆で酒を飲んだ。やはり1人で飲む酒より、みんなで飲む酒の方が何倍もうまい。やはり世界は広く美しい。改めて実感した。

私はトルコにて新しい何かを手に入れたような気がした。