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「~したら将来役に立つよ」という誘導ばかりをしてしまうことの罪

高校の授業などで生徒何かを指示したいとき、行動を促したいときについついやってしまう声掛けがある。

それは、「~したら将来役に立つよ」という声掛けである。
文字通り、促したい行動を提示し、それをすることで自身の将来にどのようなメリットがあるかを示す、ということだ。

例えば、
「今のうちから、定期考査の前に試験対策のための計画を立てるようにしよう。そうすれば、社会人になって何かプロジェクトを任されたときに着実に遂行できるようになるから。」
といった感じである。

そんなことを言ってしまうのは、今の(高校生としての)行いが将来社会人になって働く上でどのような影響を及ぼすのか知ってもらいたい、今の学習を頑張るための動機付けにしてもらいたい、なんてことを考えるからだろう。

こういった声掛けは完全に間違っているわけではないだろうけども、最近はこればかりではいけないのではないかと思うようになってきた。(ちなみに、具体的なきっかけがあったわけではない)

こればかりは検証をするのは難しいが、このような声掛けばかりをしていたら、「将来役に立ちそうにないことはやらない」という選択をする生徒が現れはしないかと思うようになったからだ。

今の時代はVUCA時代(先行きが不透明で、将来の予測が困難な時代)だとも言われている。
どんな行動が将来の役に立つのかわからないし、もしかしたら、これからは自分の関心事をコツコツと気の向くまま深めていくことが生きる力になるかもしれない。
(逆に、コレだと思ってやってきたことが何の役にも立たないこともあり得る)

その一方で、改めて自身のことを振り返ると、高校生の時はそれほど「将来」のことばかりを考えていたわけではない。それよりも、週間ジャンプのドラゴンボールの続きが気になったし、どうしたらもっとバレーボールが上手くなるかということも関心事だった。
もし、当時の自分がそのような声掛けばかりをされていたら何を感じていただろうか・・・
きっと、「将来」のことも大切だが、「今」をどう楽しむか、どうすれば充実するかということも同じぐらい大切だと考えていたハズだ。

こうして書きながら思考を整理できたが、これからは声掛けの言葉を選ぶ前際は、彼等彼女等が活躍する「将来」がどのような社会なのかわからないという前提で「今」を大切にするための言葉を選ぶべきなのだろう。

もし、高校生に将来のことに思いを馳せてもらいと思うのであれば、何か具体的な行動を促す言葉よりも、何か“あり方”を示すような言葉が必要なのかもしれない。


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