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旅をしてきた。〈生きづらさと私〉

小さかった頃のこと。
両親、祖父母に愛されていた、あたたかな色あいの幼い頃の記憶がある。
両親が共働きだったため祖母が保育園の送り迎えや身のまわりの世話をしてくれた。
生まれ育ったのが自然の多い田舎であることもあり、外で遊ぶことが好きだった。恥ずかしがり屋で気が小さかったが、隣近所のお兄ちゃんと近くの神社などで昆虫を採ったりして遊ぶのが大好きだった。
小学生になってからもおままごとや人形などで遊ぶ女の子同士の遊び方よりは、自然と戯れたり絵を描いたりするほうが好きだった。外で暗くなるまで体を動かして、毎日を楽しんでいた。
その後、弟二人が生まれて、家族は賑やかになり私はうれしかったが、いつの間にか両親とゆっくり対話することは乏しくなっていった。
私はなに不自由なく成長していくことができたが、小学校高学年頃になると強い寂しさや不安を感じるようになり、気持ちがあまり落ち着かなかった。
 
その後のこと。
私は中学時代、高校時代ともに運動部に入っていたが、まったく興味がもてない部活動を選んでしまった。
気が小さくて自分の表現することがとても苦手で周りの子に合わせてしまったからだった。
中学はバレーボール部で休みが少なくハードだった。けれど練習のつらさより、部活動の仲間との関係に悩んでこころが苦しかった。仲間とあまり打ち解けられずいつも寂しさを抱えていて、ひとりぼっちにならないように気を遣って苦しかった気持ちばかりが思いだされる。
 
高校で入ったのは陸上部で、走るのがちっとも速くない私にはキツいだけだったが、陸上部で出会えた友だちのおかげで高校生活が楽しくなって私はとてもうれしかった。陸上部に入ったおかげだった。そこで出会えたSちゃんに今もとても感謝している。
その頃私が求めていたものは、ただそのままの自分を認め、受けとめてもらえることだっただろう。ほっと安心できる場所や、親しい人とのこころ触れ合いを求めていたのだろう。
 
両親はどちらかというと私に自分の思いを押し付けることが多かったため、私はいつの間にか自分の思いを話すことができなくなっていったと思う。
本当だったらそのような状況のとき、両親以外にも話がしやすい第3者がいたら助けられるのだと思う。親戚や学校の先生でもいいし、近所の人でも身内でも。(私の場合は祖母がその頃まだ元気だったが難聴になっていたので細かな話はあまりできなかった。)
誰かひとりでも自分のこころの内をほんの少し話せる人がいたら、また少し状況が変わるだろうと思う。
私はその後、県外の大学への入学が決まり実家を離れることになった。
 
*    * 
 
感じてきた葛藤、複雑な思い。
親のことを責める気持ちがあったり、または自分と切り離して考えるようにしていた期間は大人になってからも長くあったが、両親に対するさまざまな感情や葛藤はみえないところで私をとても苦しくさせていた。
両親との関係について考えたり自分のことを振り返っていた頃、精神科医の斎藤学先生の本を知り読み始めたが、斎藤先生の言葉に救われる思いがした。
 
『「自分のために生きていける」ということ』では、強い寂しさを抱える人たち、うつやさまざまな依存症で苦しんだり感情が麻痺して自分の欲望や気持ちがわからない人たち、また自己評価が低く自分を肯定することができない人たちについて書かれており、私は自分と同じように、強い寂しさや生きづらさを抱える人たちがいることに、こころからほっとした。
子ども時代に受けたトラウマが影響していることや、自分を愛し大切にして生きるとはどういうことか、ということ等について書かれていて、私は自分が自分を愛していく方向へと歩むことこそが私にとって必要…と、内側の深いところに響いていった。
 
また、私はつねに“自分のせいではないか”“自分が悪いのではないか?”という考え方のクセがとても強くあり、そのクセは自分を苦しめていた。
自然と自分を責めるほうに考えているのだった。その考え方のクセは自分の中にあまりに深く根づいていたからなかなか気づけないくらいだった。
 
家族の問題は“親のことを悪く言うなんて”とか“家族の問題はその家族の中で解決するもの”といった社会の中での見方が強くあると思う。私自身、過去に友人に打ち明けみたらそのように言われて、傷ついてしまう経験が何度もあった。向き合うのにエネルギーが必要であり話ができる人や理解者も得にくい問題だと感じた。
 
私は斎藤先生の本などに助けられながら、ひとつずつ自分の気持ちや感情に向き合っていくこと、自分のこころの棚卸し作業をしてきたように思う。
自分の内側の見たくない部分に向き合うことはとても苦しいことだったが、自分が感じてきた思いや気持ちを確認することで、まず自分がほっとすることができた。
両親はそのとき、そうすることしかできなかったのだなぁと、父も母も自分自身が抱える苦しみがありつらい思いを抱いていたのだ…と、私は感じるようになっていった。


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 人生に決められたレールはありません。一定のモデルもありません。あなた自身がレールを敷いてつくっていくのであり、あなた自身が「これでいい」と思える人生を歩んでいけるのです。誰かに「それではダメだ」という口出しをさせないかわりに、誰かに「それでいい」と許可してもらい、責任を請け負ってもらうこともできません。
 あなたは、もう自分の外側に「親」を持っていないのです。自分自身で、心の中の子供の欲望に耳を傾け、それを見守る心の中の親の声に耳を傾けましょう。自分を認め、許し、愛していくのはあなた自身なのです。あなたは、今、もうすでにそのままで、「自分のために生きていける」能力を持っているのです。
                           

『「自分のために生きていける」ということ』 より抜粋

また斎藤先生の本は近年発売された『すべての罪悪感は無用です』もよかったです。

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ずっとファンでいる吉本ばななさんの本の紹介。
精神状態があまりに悪くて底の底にいるようなとき、誰ひとり理解者がいないと思ってしまうような孤独感でいっぱいのとき、ばななさんの文章にたびたび救われていました。
(この本は最近すごく好きな、『人生の旅をゆく』のシリーズです♪)

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こころの深くに寄りそってくれる本があることはなんと大きなことだろうか。
底を生きているようなときはなおさらに。