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2023年 26冊目『冒険の書 AI時代のアンラーニング』


とても面白い本でした。

学びって本当は楽しいはずなのに、どうして学校の勉強はつまらないのか?

人生はワクワクするもののはずなのに、どうして不安を感じながら生きているのか?

この疑問に回答するために、探求の旅にでたという本です。

5章からなっています。

1章は解き放とう:学校ってなんだ?

2章は秘密を解き明かそう:なんで学校に行くんだっけ?

3章は考えを口に出そう:なぜ大人は勉強しろっていうの?

4章は探求しよう:好きな事だけしてなぜいけないの?

5章は学びほぐそう:じゃ、これからどうすればよいの?

教師からではなくて、詳しい人から学んでもいいのじゃない?

→でもこのようなつまみ食いをされると、学校の運営効率が悪くて大変なのでできない。

→教育や学びはこんなもんだで思考が止まっている

→私たちが、教育サービスのお客さんになっていることが問題!

会田大也さん

美術館を使って自由な学びの環境を作る

がアドバイスしてくれた

世界図絵:1658 ヨハン・アモス・コメニウス

ボヘミアの歴史学者で近代教育学の父

教育なくして人間は人間になることはできない

すべての人に世界のあらゆることを教え、立派な人間に育てる

ホッブス市民論:1642年

イギリスの哲学者 トーマス・ホッブス

人は利己的なので、ほっておくと万人の万人に対する戦いが起きる

そこでリヴァイアサン(国家)を作る必要がある

→300年間これに縛られている

監獄の誕生 1975年

フランスの哲学者 ミシェル フーコー

教育の管理システムは、パノプティコン(丸い刑務所)がルーツ

自分は常に監視されていると思いこませ、服従させる

→自ら進んで規律を守る機械化された人間を生む

コンヴィヴィアリティのための道具 1973年

オーストリアの哲学者 イヴァン・イリイチ

食べていける労働者になるための訓練

規律を守る人間になるためのしつけ

良い人格を持つ立派な人間

→上下関係を生む

クラス

ジョセフ・ランカスター

生徒(モニター)が学力別の10人の生徒を教える

モニトリアル・システム:できると上のクラスに行く

ギャラリー方式

イギリスの教育者 サミュエル・ウィルダースピン

階段状の椅子に生徒が座る

1862年 イギリス政府が クラスとギャラリー方式を合体

同じ年齢を集める学年制

人間の一生を少年期、青年期、中年期と分ける発達段階

幼年期と社会 1950

アメリカの心理学者 エリク・H・エリクソン

アイデンティティという概念を作った

→これが大人と子供を一緒に学ぶのを阻害しているとも言える

学校そのものが悪いのではなく、私たちが学校に求めているものが悪い

早く始めないとダメ、は嘘

オリンピック選手でも12歳から始めた陸上選手も多くいる

臨界期仮説 12歳までに学ばないと外国語を母語の様にはできない

アメリカの言語学者 エリック・レネバーグ

基礎→応用ではなくて、応用→基礎かも

失敗(試行錯誤)させればセンスがないやつでも成功できる

小中の間に9割の子供がいじめを経験する!

学校に行かないユタボンを多くの大人が批判するネット社会

脱学校の社会 1970年

イヴァン・イリイチ

学びは主体的なはずなのに、学校は教わるという受け身に変えている

分かり方の研究 2004年

認知科学者で教育者の佐伯ユタカ

遊びと働きの区別

遊びと学びの区別

自ら進んでする遊びと受け身の遊びの区別

子どもの誕生 1960年

フランスの歴史学者 フィリップ・アリエス

7歳までは死ぬので動物と同じ扱いで、それ以降人間扱い

それ以降は大人扱い

17世紀に子供は社会から引き離され

18世紀には特殊な存在

日本幼児史 2013年

近代史学者 柴田純

江戸時代中期まで、人は子供に興味が無かった

道端で泣いていて、皆が無関心で、死ぬこともあった

近代に、7つ前は神のうち、神聖なものとして扱う

教育に関する考察 1693年

イギリスの哲学者 ジョン・ロック

自ら学習する習慣を子供につけさせるのが教育

タブラ・ラサ(磨いた板:まっさらの板)

エミール 1762年

民主主義の父 ジャン=ジャック・ルソー

(王や貴族だけではなく)あらゆる人に共通して行われべき教育とは?

私有財産が認められて、不平等が生まれた

強者と弱者の対立が生まれ、人間は本来の良さを失い、社会の奴隷になる

・身体を意思通りに動かす

・外の世界の情報を正確にインプットする

・自分の持っている力を最大限にアウトプットする

ダーウィンの進化論とメンデルの遺伝学から

フランシス・ゴルトンが優生学を生み出し、知能進数の研究が生まれた

知能指数はもともとは全員を教育するために知的障碍者を見分けて

手厚く教える事から始まったが、アメリカに渡り、白人男性が優秀であるように見せるために悪用された

その後労働者をふるいにかけたり、やる気を出させるために使われる

そして能力信仰がはびこるようになったのです

能力は結果論で、相対評価でしかないのです

私たちは様々なバイアスを持っていて、都合よく物事を見ています

真理も実は真理ではなく、法則もそうでないこともたくさんあります

デシャンの「自動車の車輪」、荘子の「無用の用」、親鸞の「他力本願」「悪人正機」などから

「世の中に役に立たないものはない。ものの見方を変えて自分が変わることができれば、意味はいつだって変わる」

だから私たちはやりたい事だけをやれば良いのです

ただ、そうできないのは、現代社会が能力信仰が浸透してしまっているからです。

最後のまとめ 参考になります

教育や学校の存在は「善く生きるとは?」「公共の利益とは?」という問いが根本にある

教育の目的は

子どもたちが自由に生きる力を身に着けるため

民主的な市民社会の一員に育てるため

生きる力は、資本主義でうまく立ち振る舞う事ができる能力でしかなく

その能力はフィクションでしかない

なんら実体のないものを目的に教育がされていた結果、様々な不幸が生まれた

このような能力はAIにとってかわられるためどんづまり

これらをアンラーンする

AIのおかげで生きる力などと声高にいう必要がなくなったとポジティブに捉え

教育に意味のイノベーションを起こす

生きる力なんか身に着けなくたって、ちゃんとみんな生きている

子どもたちがこんな社会を変えられるようにすることが教育の使命

この星を少しでもよくするためにラーニングとアンラーニングを繰り返し、探求することが「善く生きる」ことであり、その結果が「公共の利益」に繋がる

後世への最大の遺物は

何もできない自分こそが、実は勇ましく高尚なる生涯を遺す機会に与かれる

世界は変えられる

自分が変わりさえすれば、いつだって変えられる

現在や過去、未来の仲間と一緒ならなんだってできる

命ある限り、これからも探求を続けていきたい

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