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2018年 13冊目『不死身の特攻隊』

特攻隊は敵船に飛行機ごとぶつかるのですから、不死身というのは意味が理解できません。

ここには、私が知らない特攻隊がありました。

鴻上尚史さんが、不死身の特攻隊員に92歳の時に取材して作った本です。

1944年11月の第一回特攻作戦から、9回の出撃。

上司に「必ず死んでこい!」と言われながら、命令に背き、生還を果たした特攻兵佐々木さんがいました。

この本から私が特攻に対して理解したのは以下のことです。

・特攻により軍艦を沈没させることはかなり難しい。

 3000m上空から急降下する技術の問題:当初はベテラン、どんどん若手の経験がない飛行士が選抜された。

 爆弾の問題:当初は800トン、どんどん500トン、300トンと威力の小さなものになった。

 飛行機の問題:当初は敵機と同等のスピード、どんどん遅い飛行機も飛ぶことになった。

 護衛の問題:特攻機以外の護衛機が護衛と成果の確認を担当するが、後期はその飛行機もつけれない。

 そもそも、飛行機で鋼板の厚い戦艦を沈没させることは、かなりの偶然が重ならないと成立しない。

しかし、この方針を決めた本部としては、成果がでないとは言えない。

結果、成果は常に大目に発表されることになった。

沈没した船の数がより多く、より大きな船が沈没したことになり、被害はより甚大に。

成果が出ているので、特攻という戦術を止めることは矛盾となる。

一方で、飛行機乗りは、どう思っていたのか。

・特攻は戦略ではない。

 相手に爆弾を当てて、沈没させるのが飛行機乗りの仕事である。

 ※上から落とすのではなく、海面を跳弾させる方法も検討した。

また、整備士はどう考えていたのか

・特攻で飛行機乗りと飛行機を失うのは不憫。

 当初、爆弾は発射できない仕様だったが、発射できる仕様に変更

 ※当然、見つかると厳罰。しかし、黙認された。

佐々木さんは、このような状況で初の特攻に行き、爆弾を落とし、成果を上げて、帰還。

しかし、当然戦士したものと思われており、天皇陛下にも報告、新聞にも掲載された。

佐々木さんは、国内としては、軍神として崇められることになった。

地元でも盛大な葬式が行われた。

ところが、生きていた。

現地にとっては、かなり拙いできごと。

死んだはずの佐々木さんが生きている。

天皇陛下にも本部にも虚偽報告をしたことになる。

そこで、(死なせるために)、何度も特攻に行くことを命令される。

その数9回。

最後のころは、護衛機なしの1機での特攻も命じられる。

ばかばかしくなって帰ってきたこともある。

敗戦の瞬間も、死んでいることになっているので、帰国の船に乗れない。

帰国後も地元では、卑怯者と言われることもあった。

佐々木さんは、飛行機の腕があり、しかも位が上ではなかったのでこのような選択ができたそうだ。

位が上の人の大半は、この戦術がうまくいかないと分かっていても、特攻して死ぬことしか選ばなかった。

佐々木さんは、当時の誰をも恨んでいない発言をしていて、その当時は、そういう時代であったと達観している。

この本がすべての特攻を語っているわけではないと思うが、ある側面からの事実を述べているのだと感じた。

本部が間違った戦略・戦術を立て、虚偽の報告をし、変更できなくなり、失敗していく。

私にとっては、学びの大きな本であった。

ぜひ、手に取ってみることをお勧めします。

▼前回のブックレビューはこちら


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