水泳

13kg太った。うち5kgは昨年末から現在にかけてだ。
いくらなんでも。
というわけで、泳ぐことにした。
水着にゴーグルに水泳帽に巻きタオル。さながらプール開き前の小学生のような気持ちで用意したそれらを、無骨なアウトドア用のドライバッグに詰める。アウトドアに縁など絶無だが、ステージから後ろから四方八方から水が噴射され、推し手づから水鉄砲で撃ち抜いていただけるという、様子がおかしいK-POPの夏フェスに行くために買ったものだ。別にわざわざプールバッグを買い直す必要も感じなかったのでそれを流用した。推しのためなら炎天下だろうとパリピイベントだろうと外に出る。それがオタクという生き物である。
推しとは関係ないが小雨だろうと有酸素運動だろうと外に出ないといけないくらい太っているので、ドライバッグを背負ってなんとか外に出て、自転車で2分の区民プールへ。そんなに近いと最早家なのだが、引きこもりデブには扉を開けるハードルが高いし、高低差6mの坂は高い。しかしジムやらパーソナルトレーニングなんかはもっと高いのだから、障害者200円の公共施設にあやかる他なかった。福祉、最高!
暗がりに浮かぶ誰も居ない区民センターを左手に、エレベーターを待つ。年季が入り手垢にまみれた区役所分所は洗練とは程遠く、東京はド真ん中の高級住宅街にもこんな生活感に満ちた建物があることにちょっとした感慨すら覚えたが、昇った先で扉が開くと、そこは広々と開けた清潔な空間で、早々に23区の資本力をわからされることになった。埼玉の小娘が知っている市民プールとは、もっとうらぶれていて薄暗くて、水泳部らしき学生がワンオペで窓口をしていて、水のシャワーしか出ないものである。シンプルにたじろいでいると、受付の小奇麗なマダムがサバサバと使い方を教えてくれた。
更衣室の先客は誰も巻きタオルを使っておらず、そりゃ銭湯だってそうだわなとそそくさ着替える。なんだか知らないがBGMにミステリかサスペンスのサウンドトラックがずっとかかっていた。緊張感の演出、要る? 水死体があがってきたらどうするんだよ。当然のように蛇口式のシャワーからお湯が出るのでいちいち感動してから、プールに出ていった。特筆すべきことはない、想像通りの室内プールが広がっている。
さて、何故水泳か。月並みだが、泳ぐのが好きだから。50m走は10秒台と、運動が壊滅的にできない私だが、小中学校で埼玉仕込みのスパルタ水泳指導を受けたおかげで200m以上泳げるのであった。たぶん、埼玉県民は海を見ると無条件でテンションがあがってしまうので、海に遭遇したときのためにトレーニングが必要だと判断されている。迂闊に近づいて不用意に駆け込んで最悪飛び込んでもよいように。プールに来た私はさしずめ水を得た魚、いや、埼玉er。誰だよレイクタウンの湖を海だと勘違いしてるって嘯いたやつ。ともかく水泳は、数少ない、楽しいと感じる競技。家でウォーミングアップと筋トレを済ませてきた分、本来は2時間制のところ1時間しか泳げないのが残念なくらいだ。さあ、めいっぱい泳ぐぞ!
結論から言うと、泳げなかった。
混んでいたとかではない。全然、そのままの意味で、泳げなかった。
息が続かない。苦しい。浮かない。沈んでいく。
平泳ぎの真似事をしても、クロールごっこをしても、溺れるように10mだか20mだか進むのがやっとだった。
……水、怖くね?
鼻から入り肺を支配せんとするツンとした液体。呼吸が遮られる。体が飲み込まれる。
死?
人間はなにが楽しくてこんなものの中に浸かって、あまつさえ潜ろうというのか。人類の天敵じゃないか!
準備運動が足りなかった? 家でラジオ体操、念入りなストレッチ、一方通行の腹筋ローラーを計30分以上行ってきたというのに。なんなら来た時点でちょっと疲れていたほどだ。だからか? 着水後もしっかり3往復水中ウォーキングをして、水にも慣れておいた。どうして……。
ブランクがある? 泳ぐのは3年ぶりだ。その前は高校生だった気がするから6年以上空いていたが、その際海と戯れていても水への恐怖なんて露ほども(水だけに!)感じられなかったし、リゾートホテルのプールで泳いでみたって余裕で100m以上泳げた。一体この3年でなにがあった? なにもなかった。なにもなかったからいけないのだろうか。明らかに息継ぎの仕方を忘れてしまっている。どうして……。
トラウマがある? 高校生のときに海で溺れて沈んでいくところをライフセーバーに助けてもらったことがある。人間が抗えない大自然というものへの畏怖、人が死ぬのはこんなにもあっさりしたものなのかという絶望よりも深く苦い諦念は、今でも折に思い出されるほど鮮烈な体験だった。だが前述の通り、その後も普通に泳いでいる。つまりこの恐怖心はどこからか新たに湧いてきた(水だけに!)と考えるのが自然だ。どうして……。
色々考えながら水の中を歩いていて、ふと思う。
めっちゃ疲れたな。
歩いているだけなのに。
どうやら、運動不足の引きこもりデブだからってだけっぽい。
悲しいかな今の私は人生でいちばん太っており、ただでさえ運動は苦手なのに、体が重く、今までと動作感覚が異なってきている気持ち悪さもあって、上手く動けなくなり動きたくもなくなっている。それに伴い心肺機能も落ちて、ここ最近ときたら、自転車で坂を登れば吐きそうになるし、急ぎたくて駅まで早歩きしようものなら息はひゅうひゅう、真冬でも汗だくだくの体たらくだ。たまに外に出るだけでそんな目に遭うのだから自然と移動手段を楽にする方向に進む、に留まらず、そもそも外に出なくなる。部屋に篭っていると、鬱屈とした気持ちから無気力になり、食べるくらいしか楽しみがなくなって、もうお分かりだろう、デブ・スパイラルの完成だ。
要は、運動不足だから息継ぎを失敗するし、引きこもりだから外に出た段階で疲れているし、デブだから浮かずに沈んでいくし、順序が逆で、そうやって泳げなくなったからこそ水が怖いのである。
死?
水泳は楽しくて簡単に痩せられるという幻想が、塩素のように水面に溶けていく。ドウデュースだって食べた分楽しそうに泳いで鍛えてるって聞いたのに! ……私が馬だったらハナから食用だろう。
あたかも、ここは私のランウェイですが? という顔で水中を歩き続けることは可能であったし、たぶんこだわりが強そうな人のフリとして格好もつくのだが、私は痩せに来たのだ。このままではいけない。おもむろにプールを出ると、迷わずビート板を取りに行った。恥ずかしいとか言ってる場合じゃない。よりカロリーが燃焼できる方を選ばねば。
私の泳いでいる、否、溺れているフリーゾーンには、淡々と泳いだり歩いたりを繰り返す中年男女の他に、美人でハキハキした母親とややぽっちゃりしたとにかくわんぱくな男子小学生の親子が遊泳していた。というか、子供に泳ぎを練習させる魂胆であるらしかった。少年は、母親の優しくも厳しい激励を受けながら、嫌がったりはしゃいだりしている。 バタ足! クロールしてみて! 平泳ぎだよ! すごいすごい! さっきより泳げた! 母の声が響いていた。頑張っている。
その横で、ビート板を使用してバタ足だけを繰り返す、27歳。
どう考えても教育に悪い。
カナヅチにしては年を取りすぎているし、衰えを言い訳にするには若すぎる。
やんちゃなあまり道を逸れては人にぶつかる少年と、謝る母親。
例に漏れず私も謝られた。いえ。大丈夫ですよ。私こそすみません、とは言えなかった。言うべきだった。すみません、よくない見本で。すみません、よくない大人で。道半ばで諦めるような。
しかし、子供以上に張り切る親。実に高級住宅街らしい光景ではないだろうか? この一帯には教育熱心で意識の高い主夫・主婦がいっぱい居て、概ね飲食店を営んでいる。だいたいオーガニックと手作り感が売りだ。お察しの通り、デスマフィン発祥の地メグロ区の話である。風評被害を承知で敢えて口を滑らせておくが、あれはきっと氷山の一角なのではないか……。メグロはメグロに住んでるメグので、有益なメグロ情報をお伝えするメグよ。埼玉出身のジムにも通えないような貧困独身女性がどうやってメグロ区の高級住宅街の近所などに住んでいるのかだって? 決まっている。障害年金と、メグロ区が独自でやっている障害者向けの家賃補助だ。福祉、最高!
思い出したように時々ビート板を置いて、泳いでみようと試みる。ばしゃばしゃばしゃばしゃ。がぼがぼがぼがぼ。掻くというより叩いている。潜っているというより沈んでいる。早く終わってほしいのに、遅々として進まない。平泳ぎに至っては、ひと掻きにつき30cmも進んでいない。顔を出して立ち上がってしまっても向こう岸は遥か彼方。主に息継ぎが大きな課題なので、背泳ぎならどうだろうか。壁を蹴り、伸びていき、足をばたつかせ、掻き始めた初手であがった水しぶきが顔面に降り注ぎ、激しく噎せて中断した。その後も挑戦を繰り返してみれば実際目論見は半分当たっていて、確かになんとか25mは泳げたのだが、水で耳を塞がれていることへの気持ち悪さと、反対側の壁を恋しく思う腕が何度も宙を空振る虚しさに耐えかねた。ついにはこの時間そのものが終わってほしいと願うようになり、1時間なんて短いなどと驕っていた時代に想いを馳せることとなった。いつしか社会は大いに変革し、シンギュラリティがやって来て、宇宙の果てに水の惑星が見つかり――
「――よし、ここまでにしといてやるか」
まだ40分しか経っていなかった。なにもかも、途中で折れる人間に育ってしまった。
私にも、隣で励ましてくれるお母さんがほしかった。やめてしまいそうな時に叱って、達成したときに褒めてほしい。うちの母が悪いだなんて思わないけれど、真冬にプールに連れて行って泳ぎの練習をさせるほど熱心な教育なんて、施された記憶がない。これが経済格差か。メグロ区に生まれ育つということか。
違う。全部環境のせいにして、スカした態度を取っているから、勝手に戦線を降りるようになるのだ。どうせ誰も期待していないから、仕事をサボる。努力したって報われる世界じゃないから、勉強なんかしない。このままで、そんなふうに前置きをつけてなにもかも諦めて、25mさえ泳ぎ切れないで、どうやってあと50年もある人生の荒波を泳ぎ切るというのか!
答えは簡単である。自分で自分を励ませばいいだけだ。あのお母様が愛しき我が子にしたように、私が私を導いて、私が私を称える。自分が自分を信じる、その姿を人は自信と呼んだ。頑張った自分を褒めてあげることがなによりも大事だ。やるだけやった自分に喝采を。他の人にも聞こえるくらいがちょうどいい。盛大に声をあげようじゃないか。今日プールに来て、30分以上水に浸かっていた時点でもう素晴らしい! 泳げずとも恥ずかしさを跳ね除けてビート板で運動強度を高めるなんて偉すぎる! 苦しくて辛くてしんどいのにたまに泳ぎにチャレンジしてみるその意気やよし!
区民プールに水泳しに来ただけだったはずが、メグロ区の親子から大切なことを学ぶ、尊いひと時を過ごすこととなった。なんとありがたいことだろうか! 福祉、最高! もう2度と行かない。

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