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ハイエナに会いに行く。~ベトナム・ハノイ~

中野に住んでいたことがある。
家の近くに古汚い中華料理屋があった。
「インスタ映え」などという言葉が出てくる遥か前のことで、iPhoneすら発売されていなかった時代にその店は閉店してしまったが、今その店があったとしても誰もスマホを向けることはないだろう。

”今日はあの店で夕食をとろう”などと決め込んでいくような店ではなく、腹がへったからジャージのままぶらっと行って、瓶ビールとチャーハンと唐揚げと小さなブラウン管のテレビにはジャイアンツのナイター中継。
床は油でギトギトで、厨房のおじさんたちは手が空けばすかさず中華鍋を煙草に持ち替える。
ヤニなのか煙なのか店内はいつもうっすらとカーテンのようにモヤっている。
そんな店だ。

ハノイに入って三日目のことだ。
中国からハノイに入るバスの中で喉の痛みを覚えてから今朝までずっと体調が悪かったが、日本から持ってきた薬が効いて昼頃からようやく治まりつつあった。
一日中宿でおとなしく過ごしていたが八時ごろになるとお腹が空いてきた。
体調のことを考えるとそこらのローカルフードは食べたくなかった。
かといって重たいものも食べる気にならないし、遠出をして日本食を探すのも余計体調に悪いだろう。
そう思い何を食べようか頭の中で考えていると、ふと宿の下にあるフォーの店が頭に浮かんだ。
フォーならあっさりしていて加熱もしてあるから大丈夫だろうと思った。

店の前にプラスチック製の背の低い椅子とテーブルがいくつか並んでいて、そこでみな食事をし食べ終わったらさっさと帰るというスタイルらしい。

観光地といえど地元の客で店はごった返している。
僕が席を探していると、すぐに一席空いた。そこに座り店主の子供らしき男の子にフォーを注文した。
いくつか種類があるらしいがよくわからないので隣の人が食べているものを指差して注文を終えた。

待っていると向かいの席に座っている若い家族が気になった。
明らかに富裕層だとわかる。着ている服から周りとは違っていた。
その家族のフォーの食べ方を見ているととても慣れた手つきでライムを絞り地面に捨てた。
地面には無数のライムが転がっている。
ゴミ箱など無くみな絞ったライムを地面に捨てているのだ。
その家族のフォーを食べる所作はこういったところに何回も来ていることをわからせるものだった。
ベトナムではこういう店にいろんな層の人間が来るのだなと思った。

フォーが男の子によって運ばれてくると僕も皆にならってライムを絞り地面に捨て、麺を啜った。
決して洗練された味ではないし日本人の僕には少し味が薄い。
しかし食べながら胸が高鳴っていることに気がついた。

そうか、こういう旅をしたかったのか ――

そこに住む人たちと同じようにふらっと行って、そこで同じ食べ方をして、同じように帰っていく。
まるで中野の古汚い中華料理屋に行くみたいに。


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