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猫のミーちゃんのこと。

年末に見かけた(かつて)猫(だったもの)について書きたい。

前置きとして注意を一点。
私は基本的に人間以外の動物に対して一切の愛情を持ったことがない。
もしかしたら動物愛好家の方にとっては気持ちよくない文章となっている可能性があるので、気分を害したくない方はここで引き返していただきたい。




師走の頃、よく使うジョギングコースを走っていた。

見慣れたコースも季節や時間によってその色を変えていく。
殺風景なこの河川敷の中にも、そういった時間の移ろいは存在している。

春先から夏場に掛けて雑草が生い茂り、人が走ることなどまず出来ない状態になるが、自治体による刈り込みによって立冬を過ぎた頃から走れるようになる。
期間限定のクロスカントリーロードコースとして、毎年待ち侘びられる存在だ。

刈り込み直後はまだ踏み均されておらず、雑草が根が靴底越しに存在感を示してくる。
ランナーや犬の散歩をする人たちによってだんだんと足馴染みの良いふかふか感触になる。
コースを自分たちで育てているような気さえしてきて、少し楽しい。


調子が上向いてきていたタイミングだったので、この日は普段のジョギングではなく、一定時間で速いペースとゆっくりなペースを繰り返すファルトレク(Fartlek)というメニューをおこなっていた。

ペースの違いによっても、コースの見え方が変わってくる。
殺風景な中でも、五感を研ぎ澄ませると様々な違いが分かる。こちらが気づかなくても語りかけてくることもある。

そんなことを思いながら、暇なのでポッドキャストを聴きながら走っていた。
車道から離れているので、背景音は少ない。
イヤホンから流れる音声と、イヤホンのノイズキャンセリングを越えて届いてくるザクザクとした足音のアンサンブルを楽しむ。

背景音もそうだが、走っている中で目に入ってくる情報量も少ない。
なかなかストイックなコースだ。

特に復路は退屈だ。視覚的に。
既に通ったコースの右と左が変わっただけだ。
メンタルトレーニング。

そんな中、視界の右端に見慣れぬものが飛び込んできた。




猫のミイラが横たわっていたのだ。

往路では一切気が付かなかった。
しかし、復路ではたしかにその姿を捉え、過ぎ去るまでその姿を見届けた。

猫のミイラだ。

白昼堂々と、悪びれる様子もなく(そりゃそうだ)平然と横たわっていた。

完全に白骨化したそれに驚くものの、不思議・不自然といった感想を持つことは特になかった。

わ!猫のミイラ見ちゃったよ。くらいの感覚。
猫のミイラなんて一度も見たことないのに。

なかなかショッキングな視界映像だったが、振り返ることもなく、立ち止まることも引き返すこともなくその場をあとにした。




年が明けて2週間が経った今、あの日の体験について今更ながら疑問を覚えてこれを書いている。

あのあと日を置かずに例のジョギングコースを走った。
何度走ろうと猫のミイラはもういなかった。

堤防敷の斜面に横たわった猫のミーちゃんはもういなかった。


最初からいなかったのかもしれない。


そう思って、動物が白骨化するまでどれくらいの時間がかかるのかを調べてみた。
週に一度は走るこのコース。
そういえば腐敗したミーちゃんは見ていない。

突然ミイラになるわけじゃないもんな。

ネットサーフィンをしたところ、サイズに依るが数ヵ月はかかるという言説が目立つ。


やはり、ミーちゃんは最初からいなかったのかもしれない。




河川敷を走っていると、動物の死骸はよく見る。

カラス。猫。
去年は一度アライグマを見た。
かつて、それだったもの。

手袋や衣服がまるまったものかと思ったら、近付いてみれば動物の死骸だったということがある。

その禍々しさであったり目を背けたくなる感覚を、ミーちゃんには抱かなかった。

あれは、なんだったんだろうな。
ミーちゃん。君は何を伝えたかったの?

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