結婚式がもしも「最後」だったら何を伝えたいか。
前回の記事で「終わり」から考える結婚式を書きましたが、その中に極論とも思えるこの文章を残しました。
結婚式がもしも「最後」だったとしたら何を伝えたいか。
密かに創業140年の老舗葬儀社に修行に行っているとお話しましたが、修行に行く前、ここの社長に「今までで忘れられない結婚式は?」と聞かれて、その時即答した結婚式が今回の表紙にしているお二人の結婚式でした。
結婚式の相談をもらった時、新婦はすでに余命を告げられている状態でした。
結婚式は約2年前の2018年。病院のテラスがパンパンになるくらいのゲストが見守る中、執り行われました。これまで、お二人の結婚式は公開してこなかったですが、先日お母様と旦那様から執筆の相談をもらったことがご紹介するキッカケとなりました。
初めて会ったのはお客様の結婚式
新婦と初めて出会ったのは、弊社で結婚式をされたお客様の結婚式の日。
その時のお客様は弊社スタッフのご友人でもあり、いつも以上に身近に感じていたのもあったのか余興でダンスを披露していた彼女は印象的でした。
その結婚式の半年後に「結婚式がしたい」と相談があり、結婚式の準備が本格的に始まりました。
↑2人からもらった写真でお気に入りのひとつ
結婚式は篠島で
結婚式の要望は「第二の故郷でもある、大好きな篠島でやりたい」とのこと。
海が大好きで、篠島が大好きで、島の人たちが大好きで、島の人たちに協力してもらいビーチでの挙式&パーティーを予定していました。
本格的に打ち合わせが始まってから1ヶ月後。
再度入院が決まり、歩くことも困難になってきました。篠島への移動は不可。
結婚式は一旦ふりだしに。医師の提案もあり、日程を早めて病院での結婚式を検討し始めました。
病院での結婚式を決行
そして入院からわずか19日後に病院での結婚式を執り行いました。
篠島での結婚式が叶わなかった新婦は「もうやりたくない...友達も呼びたくない...」とすこしネガティブになっていましたが、新郎と話し合い、”後で怒られるかもしれないけど、友達と会える機会がこれで最後になってしまうかもしれない。”
やらずに後悔するくらいなら、やって後悔したい。と友達は内緒で招待しました。
急遽の開催で平日にも関わらず、とても多くの人たちが集まってくれました。
たった60分の結婚式
いつ発作が起きてもおかしくない中での結婚式。疲れやすく長くは行えないため、挙式・披露宴は約60分で結べるよう進行を組みました。
挙式会場には篠島でもらってきた砂浜敷き、プロフィールムービーを流し、新郎側と新婦側の余興に、家族のご挨拶と詰めつめな結婚式。
ゲストもスタッフも目に涙を溜めながら、
終始、笑顔で溢れていました。
お別れがわかっているから涙が溢れる。
でもお別れなんて無いから、涙はおかしい。
笑って祝おう!
みんなが同じことを考えていたと思います。
そしてみんなが同じことを考えていると、みんな気づいていたと思います。
本当に不思議な感覚でした。
とにかく前夜から緊張で眠れず、現場までの道も全く記憶にないくらい、始まる直前まで緊張で心臓がはちきれそうでしたが、入場した瞬間に見せてくれたお二人の涙と笑顔が私たちを救ってくれました。
「ありがとう。」
お二人がずっと口にしていたのは「ありがとう」という言葉。親御様にもお友達にも病院スタッフにも私たちスタッフにも、一生分のありがとうを伝えたと思います。この言葉以外思いつかなかったのかもしれません。
前回の記事にも残していますが、プランナーになることを決断したきっかけでもある
人生には自分のために人が集まってくれる最大のイベントが3つあります。
1つ目は、生まれた時。
2つ目は、結婚式。
3つ目は、葬式。
その中でも自分の口で「来てくれてありがとう」と伝えられるのは結婚式しかありません。
この話を、一層深く感じました。
新婦は、意識が朦朧としている中でも、必死に友達に笑顔を見せて「ありがとう」と伝えていました。それを見た友達も「ありがとう」と伝えていました。
新婦のご家族も、新郎のご家族も、ずっとみんなに「ありがとう」を伝えて続けていました。
結婚式の後には私たちの顔を見るやいなや
”本当にありがとう。”と涙を流しながら、
強く握手を交わしました。
私たちの方が、必死に準備を進めてきた新郎と、本当に頑張ってくれた新婦に、ただただありがとうという気持ちでいっぱいなのに....。
結婚式、挙げよう。
結婚式を挙げる日の約1ヶ月半前、
これまで闘病生活を頑張ってきた新婦に医師が告げたのは「もう治療法がない」という言葉。
そして新婦は新郎に、
”私、もう死ぬんだって。
もう、治らないんだって。”
と報告。
そして「お母さんの子どもに産まれてよかった。あなたに出会えてよかった。」と伝え、
言いたいことを言ったから、今からは笑って過ごそう。と泣きながら約束をしました。
ガンはすでに腰まで進行しており、
ソファに座るのも辛い状態で、
新婦は 振り絞った声で、
『 結婚式、挙げよう〜〜〜!!』
と叫んだそう。
新郎は、
なんでこんなことが起こるんだ。
なんでこんな想いをするんだ。
自分の寿命なんて要らないから、どうか分けてあげてくれ。
と、希望がなくなり、絶望感でいっぱいでこんなことばかりを考えていた新郎を、「結婚式、挙げよう。」のその一言が前を向かせてくれました。
そして結婚式からわずか43日後、
新婦は、天国へ旅立ちました。
結婚はゴールじゃない。
新郎から本当にたくさんの話を聞きました。
ハッピーエンドではない、とてもリアルで悲しい話です。
だけどこの話は、誰かの生きる励みになるかもしれないし、今苦しんでいる人は楽になるかもしれない。もっと結婚相手のことを大切にしたくなるかもしれないし、結婚を考えているカップル、結婚式を考えているカップルがより深く考え、さらに価値の高い何かが生まれるかもしれない。
だから、新郎と発信していくことを決めました。
これから少しずつ紹介していきます。
この新郎の話は本当に深くて素晴らしいんです。
心に突き刺さる、そんな話をします。
是非皆様に聞いてほしいので、コロナ騒動が終わったら講演会もどんどんやっていく予定です。
↑結婚式当日の夕日
最後に
この結婚式を実現するにあたり、
衣裳合わせができない新婦に合わせて、当日着れそうな衣裳をいくつか用意してくれたドレスショップのDress Benedettaさんや、病院までヘアメイクリハーサルに来てくれたヘアメイクのaoさん。急遽で無理なお願いを快く受けてくれたものがたりスタジオの古閑さんに、花屋の小川屋園芸さん。司会の奥井真実子さんに映像の和磨さん。ボランティアに駆けつけてくれたたくさんの人たち。
当日は来れなかったけど、気にかけてくれたパートナー会社もたっくさんいらっしゃいます。
そんな皆さんに心から感謝の気持ちでいっぱいですし、こんな素敵なパートナーさんたちとお仕事ができることにさらに誇りを持つことができました。
今後の投稿も是非覗いてみてください!
最後まで読んで頂きありがとうございます☺︎*