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{日記} 『神童』 感想 {6/22}


昨日、谷崎潤一郎の「神童」を読んだ。
タイトル通り、春之助(春之助の描写を鑑みるにどうもモデルは谷崎自身なのではないかと思われる)という神童を描いた話なのだが、シンプルに春之助にキレながら読む人もいるんじゃないかな?と思うような内容で面白い。全体的に春之助の確かに賢いが驕って偏ったある種愚かな思考をこちらに流し込んでくるような文章で、読んでる間中、ずっとなんか「おいおい…(笑)」と失笑しながら読んでた。それでいて、春之助が破滅しそうなフラグが立ち続けるので、「この後、何が起こってしまうんだ…?」と怖さを感じる。結局何も起こりはせず、春之助の未来を示唆して文章が止まるので、話が終わったと気付かずに次の話を新章かと思い、しばらく読み続けてしまった。それくらいあっけなく終わる。昔(広義)の小説、特に短編によくある、「書きたいところ書いたし終わるで!それに、これ以上無駄に続けても美しくないしね!」みたいな感じ好きだな。

春之助は大人になるにつれ、自分は凡人になっていくのではないかという恐怖に襲われるシーンがある。そこの描写がリアルでいい。これは意訳だが、「昔はスポンジのように吸収出来た知識が今は全然覚えられない」という悩み、大なり小なりよく分かることなのではないだろうか。
わたしも神童と言われるほどではないにしろ、そこそこ賢く勉強が苦ではない子供だったので分かるのだが、「子供のまっさらな記憶力由来」で勉強が得意な子供はその後勉強しなくなる。人が時間をかけてゆっくり学んでいくことを、全部覚えていられる楽しさから一気に知識を吸収してしまうので、「知識の貯金」が出来てしまい、どこかで自分は周りよりどうやらアドバンテージがあるようだからそんなに焦ってコツコツ勉強しなくても大丈夫だということを知る(変に賢い故にこのことにも気付いてしまうという…)。それゆえに胡座をかいているとハッとした時にはたいていの周りは自分に追いつくか追い越している。この時、あれだけ豊富だった貯金はもちろん「使えない」とまでは言わないが、周りも知識の貯金をそれなりに貯めているので、アドバンテージと言うには少し心許ない。仮に知識の量が上回っていても、子供の頃は神童と言われ持て囃されるかも知れないが、大人になれば「物知りな人」くらいの評価になってしまうであろう。

春之助はともすれば自分より無学な大人を哀れむほどであったが、成長するにつれ、大人が自分にアドバイスしてきたことの本当の意味や、人の評価とは「成績」・「知識」だけで決まるものではないことに気付き始める。
つまり、勉強だけ出来ていても、社会では上手く生きていけないのだ。社会は人と人とが関わり合って生きているから、周りへの気配りなどが出来ないといくら頭が良くても「気の利かない人」と判断されるし、美醜はともかく身だしなみに気を付けたり、円滑な独りよがりでないコミュニケーションをとる必要がある。
周囲の人々は「知識」だけでない魅力というか、強みを生かして、またそれらの点でもってお互いの良さを評価しあって生きているということに春之助は作中、どこかで気付いたのだろう。知識こそが、知識「だけ」が強みであるという考え一辺倒で生きて来た春之助にとってこれはとんでもない大打撃なのではないかと思った。

長くなったけど、ずっといろんな類のモヤモヤを抱えて読むことになる作品です。春之助にムカつく人がいるかもしれませんが(というか大体の人は読んでて多少イラッとすると思う)、面白くてどんどん続きを読んでしまって、結局気付くと読み切ってしまうようなパワーを持ってる作品でもあるので、さすが谷崎…と思わずにいられません。

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