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悲しきRADIOとモスバーガー。

僕が高校生の頃、日本の未来は明るかった。
こんな小さな島国が、技術精鋭に世界を驚かせていた。
1980年代。きっと将来はクルマが空を飛んだり、ビルも丸みを帯びているだろう。それが「近代的な未来像」だった。

その頃、学校帰りに「ペニーレイン」という喫茶店に行くのが楽しみだった。そこでクリームソーダを頼むと、ウェイトレスに気に入られたら「赤いソーダ」。気に入られなかったら「緑のソーダ」が出てくるという噂だった。

僕は何度行っても「緑のソーダ」。僕の友達もいつも「緑」だった。
非モテ男たちのグループだと思ってたから別になんとも思ってはいなかったけど、まわりを見渡しても 赤いソーダの存在は見たことがなかった。
何度か通っているうちに痺れを切らした友達が、髭を生やしたメガネの店長に聞いてみた。

「赤いクリームソーダ」ってあるんですか?

ヒゲ店長は笑ってこう言った。
「よく聞かれるんだけど、赤いクリームソーダは出したことがないんだよ」


「単なるウワサ」だと知って 一気に白けてしまった僕は、
次の日から喫茶店の近くに最近できた「モスバーガー」に行くようになった。
喫茶店とは違う、何か明るい印象のある店だった。
今でこそモスバーガーは有名で誰もが行ったことのあるチェーン店だが、そのころはまだ田舎では珍しい存在だった。

その店に行くと、いつも佐野元春の曲が流れていた。たぶんだけど、店長の趣味なんだと思った。だっていつもかかっていたから。

明るくて、ちょっとおしゃれな店の雰囲気(当時の印象ですが)だとBGMは洋楽の方が合っていると思ってた僕は、最初その佐野元春の曲が嫌だと思っていた。邦楽はよく聞くくせにその空間に合うのは洋楽だと思う自分がいた。

でもいつも間にかその店に通ううちに、「悲しきRADIO」という曲が頭にこびりついてきた。そしていつの日か自然と口ずさむようになった。

そのうち、レンタルレコード店に行って佐野元春のアルバムを借りた。
もちろん「悲しきRADIO」が収録されたアルバム「Heart Beat」だ。

それからレコードをカセットテープ「maxell XLII-S 46分 ハイポジション」にダビングして毎日擦り切れるほど聴いた。

僕にとってこの曲の何が良かったのか。なぜあの時、いろんな佐野元春の曲が流れる中 この曲だけをフォーカスしたのか。

そのことを今、こんな時代になった今、あらためて考えてみようと思ったのです。


この頃の日本は、戦後の復興から一気に高度経済成長を実現させて、そしてまさに「日本」というブランドが世界に認められた時期だったと思う。

この曲は 日本の歌謡でもなく演歌でもなく、ニューミュージックでもフォークでもない。
この曲を聴いていると都会的で、何かその頃想像していた「未来」を見ているような気分になれた。つまり高校生だった僕は、”大人になった自分”をこの曲によってイメージできたのだと思う。

そう、僕はこの曲で「未来の自分」を見ていたのだ。
すごい時代が来ているであろう未来に、自分がどう存在するかを見ていたのだと思う。

ところが今はどうだろう。
今30歳の大人であっても生まれてから「好況」を知らない。
日本の技術力はどうだろう。世界の中でどうだろう。
日本のブランドは? これからの世の中はどうなるだろう。


昔はよかったなどと話すつもりはない。
インターネットという最大の文明の力に未来は動かされている。
今や「未来」は近代的なビルや空を飛ぶ車ではない。
未来はすべてインターネットの中にある。

1980年代と今はまったく違うけど、それでも「未来」が来ることに変わりはない。
今の高校生がどんな未来を見ているのか。
今の高校生がどんな”未来の自分”を見ているのか。

それがちょっとだけ気がかりなのです。


僕にとってこの「悲しきRADIO」は、
その頃の自分の頭の中や、その頃の匂いや、その頃の居た場所や、
そしてその頃の自分自身を思い出させてくれる、そんな大切な曲です。

よく行ったモスバーガー。
ずっと営業していたけど、このコロナで閉店してしまいました。
店は無くなってしまったけど「悲しきRADIO」を聞くたびに僕は、
その店の店内のあらゆるところを、しっかりとカラーで思い出せるのです。

ソーダ飲みながら未来を感じるって、結構いいものです。
僕のすごーく昔に立ち返る方法。
それは「悲しきRADIO」をAir Podsで聴きながら、モスバーガーで一人ソーダを飲む時間なのです。



今日はちょっといつもとは違うタッチでお送りしました。
それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう。





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