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【キャラ立ち】←【ご都合】→【ストーリィ】(第6回)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。

 私、先日より以下の【よくあるお悩み】に対して、とあるきっかけから【突破口】ともなり得るポイントの数々を【考察】しております。

 ◇

【よくあるお悩み】
・【登場人物】が【キャラ立ち】すればするほど思い通りに動かせない
 →【ストーリィ】の進行や展開が不自然になって、【ご都合臭】が強くなる
・【ストーリィ】を先へ先へ進めようとすればするほど、【登場人物】の人格に合わない展開になって【ご都合臭】が強くなる
・【登場人物】の人格を奥深くまで表現して【キャラ立ち】させるには、これを描き出す【ドラマ】が薄くなりがち
 →状況、つまりシチュエーションのヴァリエーションが増やせない
・【ストーリィ】に『あっと驚くような展開』が盛り込めず、展開が無難・平坦になりがち(盛り上がらない)

 ◇

 第1回で通説(※1)として、福井晴敏先生が引用した押井守監督のお言葉をご紹介しました。(『テアトル東向島アカデミー賞/福井晴敏先生』集英社・240ページより)

【引用】
 押井守監督曰く、作劇は「ストーリーが進行している間はドラマが止まり、ドラマが進行している間はストーリーが停滞する」もの(※1)
【引用終わり】

 ただし、福井晴敏先生はこうも記しておいでです(※2)。

【引用】
「(著作である『亡国のイージス』は)人物の葛藤(ドラマ)が状況(ストーリー)と有機的に絡み合い、ドラマの進展がストーリーを動かす構造になっている」(※2)
【引用終わり】

 私の意見としては。
「“【ドラマ】・パート”と“【ストーリィ】・パート”、および“戦闘パート”は、(技巧を要するものの)同時進行させることが可能」(※3)

 その根拠として考えているイメージは、以下の通り。
 【物語】上の事態は複数の【登場人物】達によって、複数の場所で、【多重並列】の【潮流】として進行します。それが合流し、相互作用し、その結果を持ってまた分岐し、そうやって【ストーリィ】は進行していくわけです(※4)。

 【物語】は、『複数の【潮流】が【多重並列】に同時進行しているもの』を、『【演出意図】を込めて一本に編集したもの』――そういう捉え方ですね。

 しかしながら、【登場人物】は『(自分事なので)思い通りに事態が推移すること』を望み、一方で【観客】や【作者】は【ストーリィ】に『(他人事なので)あっと驚く(【観客】としての自分自身や大半の【登場人物】達には想像もつかない)展開で【想定外の困難】が克服されていくこと』を望む、という【不都合】な【現実】があります。これを無視して強引に【物語】を進めるとき、そこには【ご都合】臭が漂うものと、私は【認識】しております。

 この【ドラマ】と【ストーリィ】を両立させる鍵として、【想定外】という【概念】をご【提示】しました。で、この【想定外】の出どころは――というに、『【物語】となる【潮流】の中ではなく、【多重並列】に進行する別の【潮流】から』と、私はお答えしています。

 前回までで、この【潮流】と【想定外】、そして【物語】との関係性について、【我流】の【考察】をお伝えして参りました。

 第6回となる今回は、この【潮流】と【想定外】が実際にどういう形になるか、具体的な例を挙げてご【提示】してみましょう。
 よろしくお付き合いのほどを。

 ◇

 具体例を挙げましょう。
 戦闘シーン、それも乱戦を想像してみて下さい。
 主人公とその隣の味方Aが、それぞれラスボスと中ボスと格闘中だったとします。ここで【潮流】として『主人公とラスボスの戦闘』と、味方Aと中ボスの戦闘』の二つを取り上げるとしましょう。
 例えば『【描写】中の【潮流】』として『主人公とラスボスの戦闘』を採用し、主人公がギリギリ優勢を実現したところだったと想定します。【ドラマ】としてはそれぞれ有利不利に応じた【順当】な姿を描くことになりますね。
 で、ここで。
 『味方Aと中ボスの戦闘』という【潮流】では、『味方Aが中ボスに隙を誘い出され、これを衝かれて突き飛ばされた』という出来事が起こっていたとします。しかも味方Aが突き飛ばされた先が『【描写】中の【潮流】』、しかも主人公の眼前、ラスボスへ攻勢を強めようとしていたところであったなら。
 例えばこれが、『味方Aが主人公の眼前へ突き飛ばされてきた』という影響が、即ち【想定外】です。
 主人公はラスボスをさらに攻めるか、味方Aを救けるかの選択を迫られます。そこには『人格に基づく葛藤』が生まれて【ドラマ】となります。同時に『主人公とラスボスの戦闘』という状況にも変化が生まれて【ストーリィ】(状況)が進行・展開することにもなるわけです。

 つまり【想定外】は、『【ドラマ】と【ストーリィ】(状況)を同時に進行・展開するための鍵になり得る』わけで、その正体は例えば『別の【潮流】を起源として、【描写】中の【潮流】へ及んでくる影響』というわけです。
 もちろんこれ以外にも【想定外】の組み込み方はあるでしょう。要は工夫次第というところですが、少なくとも一つ言えることがあります。
 この一連の事実は、『【多重並列】の【潮流】管理』を採用する立派な動機たり得る――ということです。

 さて、このように出現する『【登場人物】達の葛藤(【ドラマ】)』をいかに描くか――といえば。
 そこは創作の本領です。『【ストーリィ】(状況)の進行に相当する【事実の断片】』を『お題またはフラグ』の数々(数量:n)として【認識】し、これを『n題噺という小【ドラマ】で魅せる』と捉える――というわけです。要は三題噺の発展版ですね。
 こうすると、『【想定外】の発生』という『【ストーリィ】(状況)の進行』を挟んで『【登場人物】達の葛藤(【ドラマ】)』が変化し、『【ドラマ】によって【ストーリィ】の進行が語られる』というシーンの構図が出来上がります。またシーンの一つ一つが『【登場人物】達の葛藤(【ドラマ】)で【ストーリィ】(状況の変化)の進行を表現する』ことになります。【物語】はこうした『シーンの連なり』で【構成】されることになり、また大括りとしての章構造、あるいはより小さな括りとしてのカット構造も、こうした【構成】で構築することが可能になります。
 そうすればここに『フラクタルな入れ子構造』が成立し、『【登場人物】達の葛藤(【ドラマ】)』と『状況の進行(【ストーリィ】)』が交互に相互を牽引していく構造が出来上がることになります。こうすれば、いわゆる『中だるみ』にも対策し得ることになりますね。

 ただしここで気を付けるべき、と私が考えますのは。
 【キャラ立ち】を担うのは【ドラマ】、つまり『(様々な)状況におかれた【登場人物】達の葛藤』です。
 ここで多角的に光を当てられる『【登場人物】の人格』は、それこそ『人格であって、記号などでは断じてない』ということになります。つまり、『【登場人物】の【キャラ立ち】は、人格としての完成度(多面的に練られている、という意味で)に依存する』というわけです。
 よくありがちなキャラクタ・シート、ここに挙げられがちな記号的内容(身体的特徴、嗜好、口癖……etc.etc.)を思い返してみて下さい。これらが役に立たないというわけではありませんが、決して終着点ではないことがご理解いただけるのではないでしょうか。
 顕著な例を挙げるなら、『TRPGのキャラクタ・シート“のみ”で、【登場人物】が完成するか』とお考えいただければよろしいかと。TRPGの【登場人物】は、『キャラクタ・シートに基づいた、プレイヤのロール・プレイ』があって初めて命を吹き込まれるのです。つまり『プレイヤのロール・プレイ』に相当する『【登場人物】の人格』の作り込みこそが【キャラ立ち】の鍵――ということになりますね。

 ◇

 さて、今回は一旦ここまで。

 『【多重並列】に流れる【潮流】』から来る【想定外】、これによって【ドラマ】と【ストーリィ】(状況)を同時に進行・展開し得る――というわけですが。これに【登場人物】が次々と翻弄されるからには、人格を多面的に掘り下げることになって【キャラ立ち】も待ったなし、というわけですね。

 ただここで、「それ、【観客】が【認識】してくれるの?」という心配をお持ちになる方もおいででしょう。
 これについても、私としては考えるところがあります。次回はこの辺りについてお話ししましょう。

 よろしければまたお付き合い下さいませ。

 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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