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【キャラ立ち】←【ご都合】→【ストーリィ】(第5回)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。

 私、先日より以下の【よくあるお悩み】に対して、とあるきっかけから【突破口】ともなり得るポイントの数々を【考察】しております。

 ◇

【よくあるお悩み】
・【登場人物】が【キャラ立ち】すればするほど思い通りに動かせない
 →【ストーリィ】の進行や展開が不自然になって、【ご都合臭】が強くなる
・【ストーリィ】を先へ先へ進めようとすればするほど、【登場人物】の人格に合わない展開になって【ご都合臭】が強くなる
・【登場人物】の人格を奥深くまで表現して【キャラ立ち】させるには、これを描き出す【ドラマ】が薄くなりがち
 →状況、つまりシチュエーションのヴァリエーションが増やせない
・【ストーリィ】に『あっと驚くような展開』が盛り込めず、展開が無難・平坦になりがち(盛り上がらない)

 ◇

 第1回で通説(※1)として、福井晴敏先生が引用した押井守監督のお言葉をご紹介しました。(『テアトル東向島アカデミー賞/福井晴敏先生』集英社・240ページより)

【引用】
 押井守監督曰く、作劇は「ストーリーが進行している間はドラマが止まり、ドラマが進行している間はストーリーが停滞する」もの(※1)
【引用終わり】

 ただし、福井晴敏先生はこうも記しておいでです(※2)。

【引用】
「(著作である『亡国のイージス』は)人物の葛藤(ドラマ)が状況(ストーリー)と有機的に絡み合い、ドラマの進展がストーリーを動かす構造になっている」(※2)
【引用終わり】

 私の意見としては。
「“【ドラマ】・パート”と“【ストーリィ】・パート”、および“戦闘パート”は、(技巧を要するものの)同時進行させることが可能」(※3)

 その根拠として考えているイメージは、以下の通り。
 【物語】上の事態は複数の【登場人物】達によって、複数の場所で、【多重並列】の【潮流】として進行します。それが合流し、相互作用し、その結果を持ってまた分岐し、そうやって【ストーリィ】は進行していくわけです(※4)。

 【物語】は、『複数の【潮流】が【多重並列】に同時進行しているもの』を、『【演出意図】を込めて一本に編集したもの』――そういう捉え方ですね。

 しかしながら、【登場人物】は『(自分事なので)思い通りに事態が推移すること』を望み、一方で【観客】や【作者】は【ストーリィ】に『(他人事なので)あっと驚く(【観客】としての自分自身や大半の【登場人物】達には想像もつかない)展開で【想定外の困難】が克服されていくこと』を望む、という【不都合】な【現実】があります。これを無視して強引に【物語】を進めるとき、そこには【ご都合】臭が漂うものと、私は【認識】しております。

 この【ドラマ】と【ストーリィ】を両立させる鍵として、【想定外】という【概念】をご【提示】しました。で、この【想定外】の出どころは――というに、『【物語】となる【潮流】の中ではなく、【多重並列】に進行する別の【潮流】から』と、私はお答えしています。

 前回は、この【潮流】と【物語】の関係をどう見るか、【我流】の【考察】を巡らせました。

 第5回となる今回は、この【潮流】という【概念】が、【想定外】を扱う上でいかに役立つか――という点についてお話しさせていただきます。よろしくお付き合いのほどを。

 ◇

 さてここで、このお話は通説(※1)を私なりに【解釈】した考えに関わってきます。

【再掲】
 そう考える時、通説(※1)として挙がった考えは、【物語】を『一直線上のイヴェントの並び』として考えているのではないか――と、私には映るのですね。
【再掲終わり】

 ここを掘り下げてみましょう。
 私の【認識】しますところ、この『【作品世界】における出来事全般に対する捉え方』は大別して以下の二通りというところです。

a.一直線上(一次元)のイヴェント管理
b.【多重並列】の【潮流】管理

 a.は恐らく多数派、『伏線→イヴェント』の流れに関するお悩みをお持ちの方が多いとお見受けしますが、これは、こちらをベースに思考なさっているのではないでしょうか。

 対するb.としては【我流】の捉え方をご提示しております。これにおいては、『ある【潮流】での出来事が、他の【潮流】へ影響を与える』と考えるものです。
 「そんなことまで描いていたら、情報が多すぎて【冗長】になるじゃないか!」――そんな反論も私は予想しておりますが。
 しかしながら、情報は(【物語】の)【行間】に埋め込む――という手も使えます。実際の話、【多重並列】に【潮流】が存在するからには、『【物語】という【潮流】』が、『それ以外の【潮流】』から影響を受けるのは当然というもの。なぜなら『世界のあらゆる要素は、水面下でどこまでも繋がっているから』です。『風が吹けば桶屋が儲かる』とのたとえ話もあります。繋がりの強弱はあるにせよ、一つの【潮流】が他の【潮流】から全く隔絶されている――というのは、かえって不自然というものでありましょう。

 ただし、ここでご注意を。これは『【作者】が【事実関係】を管理するための考え方』の話です。これをどのように【物語】へ落とし込むかは、また別の作業ということになります。必要と考えるならば、例えば『主人公に一元化した視点へと落とし込んだ【物語】』として【描写】すればいい話であって、【描写】そのものにおいて多元的な視点が必須というわけではありません。悪しからずご了承下さい。

 さて、以上のように『【作品世界】に数多の【潮流】が【多重並列】に走っている』と捉えるのは、もちろん『巨大な【利点】』がある――と【我流】では考えているからです。
 具体的には『シーンの展開』において、『【登場人物】達の葛藤』である【ドラマ】を充実させて【キャラ立ち】を促し、なおかつ【ストーリィ】(状況)を進行させ得る鍵を導入できるわけです――つまりは【想定外】を放り込めるわけですね。

 以下、【再掲】を二件。

【再掲】
・『“入り”の状況』
 ↓
・『【登場人物】達の【順当】な行動による葛藤(【ドラマ】)』
 ↓
・『【想定外】の発生』
 ↓
・(『【想定外】に対する【登場人物】達の葛藤(【ドラマ】)』:省略可)
 ↓
・『“引き”の状況』
【再掲終わり】

【再掲】
 では、この【想定外】はどこからもたらされるのか――というところにご興味が向くことと推察しますが。
 ありていに申してしまえば、これは『【物語】となる【潮流】』とは【多重並列】に進行する【潮流】から――ということになります。
【再掲終わり】

 さてこの【想定外】、具体的に表現するなら、『(【描写】中のシーンとは)別の【潮流】(都合)を起源として、【描写】中の【潮流】へ及んでくる影響』ということになります。

 考えてもみて下さい。問題のシーン内の【登場人物】達にしてみれば、その状況の外から、『自分達とは別の(しかもノー・マークの)【潮流】(都合)に基づいた影響』が降って湧くわけです。これに対応するには、当然のごとく行動そのものや方針などを見直す必要に迫られます。立場も変わり、上下関係も変わり、下手をすれば敵味方すら入れ替わることだってあるでしょう。そうした見直しの結果は勢力図の変化であり、これが『“引き”の状況』となったなら、それこそ『【ストーリィ】(状況)の進行・展開』というわけです。

 また、降って湧いた【想定外】に【登場人物】達が対応を迫られる様は、まさしく【ドラマ】そのものです。
 なぜなら【想定外】によって虚を衝かれた【登場人物】達としては、行動そのものや方針などを見直さざるを得ないわけですから。これは【登場人物】達の人格に対して『平時とは異なる角度から光を当てる』わけで、それこそ通常では表に出ない一面が暴き出される局面たり得るというわけです。
 これが【キャラ立ち】に役立たない、などということがありましょうか。

 ◇

 さて、今回は一旦ここまで。

 『【多重並列】に流れる【潮流】からやってくる影響』こそが【想定外】というわけで、さらにはこれが【キャラ立ち】と【ストーリィ】(状況)の進行と、双方に貢献し得る――というわけです。

 であれば『【多重並列】に流れる【潮流】』というものを意識してみる、その【価値】はあろう――と私はそう考えるわけですね。
 もちろん楽とは申しませんが、少なくとも通説(※1)とされるような限界を突破する可能性は、ここに存在するというわけです。「どうせできない」と無為に嘆くか、【挑戦】を通して【可能性】を掴みに行くか、いずれ両者の間には埋めがたい差が成長の跡としてできるものと、私は信じます。

 よろしければまたお付き合い下さいませ。

 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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