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第77話 絆の成長

スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2014年4月8日。

今日は、桜満開の寸翁神社での結婚式。

着付が仕上がり、鳥居横の枝垂れ桜の前で撮影をしている新郎新婦。今日は親族だけの少人数の結婚式だ。満開の桜に親族の皆さんも笑顔である。

4月1日の初めての書写寺に続き、寸翁神社での結婚式も今日が初めてであった。(オードリーウェディング時代は何度もしているが、スウィートブライドとしては初めて)

ーーー さかのぼること4ヶ月前。2014年1月。

僕は久しぶりに寸翁神社にいた。

オードリーウェディング時代から、ここの宮司とは気が合う。当時は時間があれば割と頻繁に顔を出していたものだが、今日は本当に久しぶりであった。

僕は姫路結婚式ドットコムのチラシを取り出し、寸翁神社でのプロデュースの話を切り出した。

ただ、プロデュースをすると言っても、神社というところは古くからの提携が根付いており、美容室、衣裳屋、写真スタジオ、仕出し・・・など固定業者が決まっているから、新参者の僕たちが気軽に出入りできるような環境ではない。

寸翁神社もご多分に漏れず昭和の初めから提携先が決まっており、僕はあくまでも部外の会社として持込手数料を払って利用させていただくというスタンスになる。それについては、提携で入っておられる業者さんを尊重しなければいけないので、仕方のないところだ。

そういう事を踏まえた上で、宮司より話があった。

「中道さんの事は靖姫神社をプロデュースしてた時からよく知ってるし、お客様に対する姿勢であったり、考え方というのもちゃんとしてる人だと思ってます。今、うちの神社はご覧の通りで結婚式もほとんど無い状態です。もし、中道さんが力を貸してくれるならば、うちの神社の結婚式をやって欲しい。もちろんうちの古くからの提携業者を使ってくれたら、嬉しいんだけど」

ありがたい話であった。
実は、姫路結婚式ドットコムで営業をスタートしてから、寸翁神社のように僕に対してオファーをしてくれる神社が何社かあった。しかし、今僕がプロデュースさせていただいているレストランは5件あり、さらにこの春より書写寺の結婚式を正式にスタートする事になったので、物理的にこれ以上プロデュースを増やすのは困難という理由で、せっかくお話をいただいた神社にお断りをしていた。

しかし、寸翁神社の宮司は以前から好きな人。ビジネス的に全く長けていない人だが、裏表が無く、神職として見た時には、頑固だけれど素晴らしい考え方だと尊敬していた。その宮司から仕事のお誘いがある事は、僕にとってはとても光栄な事で、もったいないお話であった。

持ち帰って考えるまでもなく、僕はその場で宮司からの誘いを了承した。僕がどれだけお役に立てるかわからないが、寸翁神社のために精一杯奉公させていただこうと思った。

ただ、前述のとおり寸翁神社には本来の提携先の業者さんがいるので、僕は専属という形ではなく、あくまでも持込業者として支援するというスタイルをとらざるを得なかった。

しかしそれでも僕は寸翁神社からの申し出をありがたく受け止めた。神社の建物やご祭神より、そこで働く人が大事という僕の持論がそれを許容したのだ。

今日の結婚式はその第一歩であった。

美容師やカメラマンなどのチームメンバーは、先日の書写寺の結婚式と同じメンバー。素晴らしい技術を持った人たちなので、しばらくはスウィートブライドの和婚チームはこのメンバーでお願いする事になりそうだ。

2014年4月12日。

今日は書写寺の2組目の結婚式。

新郎がフランス人の国際結婚式の日。そう、あの奇跡をおこしてくれた新郎新婦だ。本来であれば、この2人が書写寺のオープニングを飾ると思っていたが、その後の新規来客の中で他のカップルが4月1日にする事になり、2組目になったのだ。

スウィートブライド初の国際結婚であり、書写寺での結婚式受注第一号である。僕自身が書写寺での結婚式をプロデュースしたいと考えていた時にスウィートブライドに相談に来られて「書写寺でしたい!」と言ってくれた2人。

ご縁というかタイミングというか、この2人がいなければ今の書写寺挙式はなかったかもしれない。そう思うほどに、この2人には感謝の気持ちでいっぱいになる。

お食事会は、日本料理を選ばれるのかと思っていたらフランス料理だった。場所はフレンチレストラン「ブラージュ」に決定。スウィートブライドとして一番最初にモデル撮影をした記念すべきレストランだ。2人の希望で、披露宴ではなく家族だけのお食事会というスタイルになった。

準備も面白かった。
ある日突然新郎がリュックいっぱいの流木を背負ってスウィートブライドに現れた。「須磨海岸で拾ってきたんだ!」と。この流木をフレンチレストランに飾り付けしたいというのが希望だった。

そこで当社フラワーデザイナー本田さゆりの登場。
変わったもの好きの本田さゆりにはぴったりの要望で、お2人に負けじとやる気満々。レストランのウェルカムコーナーや高砂席、ゲスト席まで全て流木を使用。普通の生花ではなく、サボテン等の多肉系植物でアレンジし、ナチュラルテイストの素敵な装飾が完成した。

当日はお2人が家族のために用意したムービーや余興をお2人で仕切りながら進行。とってもあったかいアットホームなお食事パーティーであった。日本人と違って型にはまならない食事会の在り方が僕もとても勉強になった。

奇抜で自由奔放な新郎新婦らしく、書写寺での撮影も楽しい写真ばかりであった。新婦がかめはめ波の恰好をして新郎が吹っ飛ぶ構図は、その後の新郎新婦にも受け継がれ、当社のひとつのスタンダードになったほどだ。

お食事会の後、3人で思いっきりハグしたのは忘れられない素敵な想い出。時折、今頃2人はどの国で何してるんだろうなぁと思いを巡らす。元気な2人の笑い声・・・、今にも聞こえてきそうな気がするのだ。

2014年5月5日。

今日はグランメゾンでの披露パーティー。
グアムで海外挙式を挙げたお2人が友人をお呼びしての会費制ウエディングだ。

これまでの会費制ウェディングというのは、ビュッフェパーティーが主流であった。男性1万円、女性7000円とか2次会に少し毛の生えたような感じだろうか。しかし、近年会費の相場も上がってきており、男女ともに15000円くらい。そうなると、お料理にも力を入れていくようになるので、こういう1次会をする本格的な高級レストランでの会費制パーティーを希望するお2人が増えてきていた。

そこで今回は初の試みとして、会費制だがビュッフェではなく1次会と同じ着席フルコースでゲストをもてなすスタイルをする事になった。

小さな違いではあるが、この頃は、そういう細かい部分に少しでもオリジナリティを見い出し、それによりお客様が喜んでいただく事を懸命に考えていた。今からの時代の新しい1.5次会と真剣に向き合っていた。

この春の一連の結婚式は、神社、寺院、教会、レストランとバリエーションが増え、さらに全ての土日が埋まる勢いでの多忙を極めていたが、それでもこうして何かしら新しい事にチャレンジできている今を楽しんでいた。

2014年5月25日。

グランメゾンでの結婚式。

新婦様には小5と小3の息子が2人。その息子たちは新郎である新しいお父さんと出会ってまだ3ケ月くらい。そんな中での結婚式であった。その打合せの段階で、新婦から新郎にサプライズとしてこんな依頼があった。

「息子が新しいお父さんとキャッチボールがしたいんだけど、なかなか言い出せなくて・・・。結婚披露宴でそんな事ができたらいいんだけど」

結婚式当日、宴の終盤、息子たちからお父さんお母さんへのお手紙。そしてお父さんへはグローブがプレゼントされた。グローブを手にとり感極まる新郎に息子たちがそれぞれ想いのこもったボールを投げる。素晴らしいシーンであった。それをキャッチする新郎のぐしゃぐしゃになった泣き顔は今でも深く想い出に残っている。

家族の絆を再認識した一日だった。

その披露宴会場内には、朝比奈敬子、山形雅人、ワイフ、鷲尾響子、そして僕がいる。僕たちチームは、新郎新婦、そしてその家族の旅立ちの瞬間に共に立ち合い、その空気を共有していく。

こうして新郎新婦の絆と共に、僕達チームの絆も育まれていった。

ーーー 怒涛の繁忙期が過ぎていった。

何となくであるが、ようやくチームの形が見えてきたように感じていた。以前、オードリーウェディングを辞めた直後、ほぼ全ての仲間(僕は仲間だと思っていた)が、僕にはついてきてくれなかった。

「ビジネスとしては中道さんと一緒にはできないけれど、心では中道さんの今後を応援しています・・・」

こんな言い回しが多かったように思う。
でもそれは、僕自身がたぶん「ビジネス」として仕事をやっていたからに過ぎない。だから、僕がやってきた事がそのまま僕自身に返ってきたものだろう。他人を非難する前に、自分自身を非難しないといけない。

そのような経験から、これからはオードリーウェディングの時のようなビジネスライクで空虚な付き合いはやめよう。そう思った。

時間はかかるが、本物のチームを創り上げよう。

新郎新婦のために。


第78話につづく・・・




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