大江健三郎作『万延元年のフットボール』を読んで

いつもその小説を読んでから2週間後に、noteに読書感想文を書いています。
その小説を読んである程度時間が経っても残ったものをを吐き出したいという思いで書いています。

『万延元年のフットボール』を読んで、私の中に残ったのは、前近代vs近代という構図でした。

なんだか近代、資本主義、自由主義、清潔な近代の圧倒的な暴力性のようなものを感じました。
それに反抗する原始的なもの、人間の感情、ふるさとの風土。
(私が感じたことが『万延元年のフットボール』の感想として、どれだけ妥当なのかわかりません。自分が今考えているテーマに惹きつけて、『万延元年のフットボール』を読んでいると思います。)

対立している、前近代vs近代という構図。
スーパーマーケットも、車も近代的な最先端のものが便利で、ふるさとの生活を少しずつ破壊していきます。

でも主人公の弟の野生的な欲望が、エネルギッシュに描かれいます。清潔な近代においても、人間の欲望が変わらないのだと感じました。

さらに、主人公に比してなんだか野生的な弟がとても魅力的に感じました。なぜなのでしょうか。欲望が減退した、理性的な主人公がつまらない人間に感じてしまう。

私自身、地方の結構な田園地帯出身なので、都市と地方をどうしても比較して考えてしまいます。
地方のあのグツグツとした欲望が固まっている感じ。凸凹な感じ。
それに比して都市の、清潔な感じ、画一的な感じ。

野生的な弟は最後死んでしまいます。これは前近代が近代に負けることに似ていると感じました。残酷ですね。

主人公もその妻も都会に戻っていくのでしょう。

地方には面倒臭い、人間臭い習慣が多くあります。昔から蓄積された歪みがあります。いつかその歪みからガラガラと崩壊するエネルギーがあると思います。『万延元年のフットボール』で描かれる村人の抵抗は、そのようなエネルギーによる運動のように感じました。

都会では新鮮な楽しみが多く生まれています。魅力的です。経済によって定期的にリフレッシュされて、清潔です。

私はもう少しすると実家がある地方に帰る予定です。『万延元年のフットボール』を読んで、地方が怖くなりました。

さて、いつも読ませて頂いている方のnoteには大江健三郎さんの文庫本が綺麗にディスプレイがされていて、憧れています。
『万延元年のフットボール』を買おうとネットを見ていると2000円近くするようで。通販だからこんなに高いでしょうか。


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