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【複業・2拠点生活のリアルな話】全部頑張ったらある日体が壊れた。自分を見失っては、たぐりよせて・・・の2018年。

2018年の振り返りを部分的にでもやっていきたいなと思って書きます。

だってもう早くも2019年の1/12が終わろうとしているからね・・・年々時が過ぎるスピードが加速している。恐ろしやー。

綺麗に整理したものをまとめる余裕はないけれど、部分的にでも書き残していけたらいいな。というわけで、いってみよー!

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2018年は世界一小さな働き方改革をしていました。

2018年のはじめに、以下のnoteを書きました。

2018年は協力隊を卒業して、カミクマワークス(自分の会社)の仕事と東京の会社の広報業務の二足のわらじを履きはじめたり、

東京ー北海道の2拠点生活にチャレンジしました。なんなら日産を辞めて北海道にUターンする時から、「いつかは東京と地元の2拠点生活がしたい」と思っていたので、憧れであり、理想としていたライフスタイルを実現できるチャンスでした。


複業、2拠点生活・・・実際どうだった?

複業に2拠点生活。ワクワクテカテカ❤️で始めたものの、やってみるとかなりしんどかったです・・・涙

住む場所も変えて、家族とも離れて、職場も変えて、なんなら人間関係だって変わったし(大樹町や十勝のひとたちともなかなかあえなくなったり、東京に住んでたとはいえもう疎遠になっている友人も多いし)、いわゆるストレスを感じる環境変化の条件をほぼ全て満たしている状況。笑

広報というはじめての仕事に戸惑うことも多かったし、新しい会社のカルチャーに馴染むのも大変だった。それはたぶんどの会社でも同じことなんだろうけど。

広報をちゃんとやるのは初めてだったから、本当に基本的なこともできていないような感じがして

「私って役に立っているのかな?」

「ちゃんと価値、だしてる?」

と不安になることも多かった。上司や職場が私を採用したことを後悔してやいないか、、、という不安が頭をよぎることもありました。(たぶんそんなことはないのだけど)

本業も慣れるのに四苦八苦しているというのに、そこにアドオンで北海道の自分の会社の仕事もやっているという明らかにオーバーフロー状態

大樹町のふるさと納税業務。

帯広市の移住促進業務。

十勝のとある企業のマーケティング戦略立案の調査分析&コンサルティング。

講演会・・・と。

本業が週5あるのに加えて、自分の会社の仕事があるので、気づけば週7働いてしまったり、平日も本業が終わった後に、契約書を作ったり講演会の資料や報告書を書いたり‥と明らかに働きすぎ。そして少しずつ自分も自覚していないうちにストレスが蓄積されていきました。

北海道には月1回くらい帰っているのですが、なんならその移動もめちゃ疲れる。朝4時に起きて朝7時初の飛行機にのり、数日滞在して、夜19時初の飛行機で東京に戻ってくる。(家につくのは22時すぎ)

北海道に戻っても、休日に調査のフィールドワークなど入れてしまったもんなら、土日も結局稼働しているので、移動で疲れているのにプラスでさらに土日稼働で疲労困憊。なんだろう、私バカなのかな。。。


そんなある日、私は呼吸ができなくなった

こんな生活をはじめてちょうど半年が経ったある日、事件は起きました。

そう、突然呼吸ができなくなったのです。(!!!!!!)

木曜日、美容室で髪を切っていたら、なんだか呼吸が苦しくて。お水をもらったりしてなんとかおさまったのですが。そのときは「熱中症かな?」くらいに軽く考えていて。

翌日金曜日。まさかの仕事の打ち合わせ中に再発!その日のうちに何度もその症状がでてしまいました。(泣!!!!)

そしてさらに次の日、土曜日。ゆっくり家で映画を観ていたら、またもや再発!ベッドで横になっても、リビングに移動しても、トイレにいっても。家のどこにいても、息ができない。吸っても吸っても酸素が体に入っているきがしない。

例えるなら、プールで泳ぎながら息継ぎしているような状態。

例えるなら、めちゃ暑いサウナのなかで息も絶え絶え呼吸しているような状態。

こわいよおおおおおおおおおおーーーーー!!!(T△T)

救急車を呼ぼうかとも思ったけれど、これは心理的なものな気がしていたので救急車を呼んでも無駄だなと思い。夫に泣きながら電話をかけて助けを求めたのでした。

「(泣きながら)息ができないよ〜〜〜〜飛行機もまた症状が出そうで怖くてひとりじゃ乗れないよ〜〜〜〜泣」←今思うとパニック障害の入り口だな

と泣きながら電話をかけ、これは明らかに異常だと感じた夫はその日の最終便で東京にかけつけてくれたのでした。

夫が飛行機に乗る前に、

「今から行くぞー!まってろよー^^v」

という超絶呑気なメッセージを送ってきたのを見て、こころがふっと軽くなったのを覚えています。笑

そして、夫とも相談し、職場の上司に事情を説明して、そのまま北海道に戻ることにしたのでした。そして1週間職場を離れて療養したのでした。

でもその療養期間も毎日症状は襲ってきて。これまでの無理が私のこころも体も蝕んでいたことに、ようやく気がついた。

私は、そんなこんなで一度ぶっ壊れたのでした。

自分のわがままで「全部やる!複業させてくれ!」って頼んで会社にも複業OKにしてもらったり働き方や雇用条件含めてたくさん融通きいてもらったのに、突然全部投げ出して会社を休むなんて。

なんて。なんて。なんてダメ人間なんだあああああああああああ、、、、!!!!と自分を責めては涙する日々。あの時は本当にしんどかった。。。

私はかなり周りからどう見えるかを気にするタイプなので、「もうダメだと思われただろうな。信頼だってなくしただろうし。もう私の社会人人生おわりや。。。」くらいに落ち込みました。


私「もうだめかも。周りからの信頼も一気になくしただろうな・・・」

夫「うん、だめだね。」

私「え!そんなハッキリ言う!?」

夫「そりゃそうでしょ。途中で仕事投げ出してるんだから。まずはだめな自分を認めないと。」

私「(T△T)涙涙涙(つめたいーーーーー)」

夫はいつだって真実をついてくる。


私「東京、戻りたくないな。また息苦しくなったらと思うと怖い。会社だって、どんな顔して行けばいいかわからない」

夫「(東京に)行かなきゃだめだよ。続けるのも、辞めるのも、どちらにせよ勇気がいるんだから。とりあえず、行ってこい!嫌なら辞めてこい。どっちでもいいから」

私「(T△T)涙涙涙(いきたくないーーーー)」

夫はいつだって誰よりも厳しい。笑

「夫、厳しい〜〜〜〜」としくしく泣きながら東京に戻り。でも会社は好きで辞めたくなかったので会社に戻り、そこからは不思議と症状は出ていないので今でも働き続けられています。


週5正社員から週4契約社員に。

そして、上司と話し合って、以下の働き方の改善をしながら

・東京の会社の仕事は週4にする。正社員でいるには日数が大事らしい=週5勤務、なので、契約社員に切り替え。
・上記の変更はあるものの、福利厚生や働き方は全部いままでと一緒。お給料は4/5に。
・仕事内容を見直し。一部の仕事をストップ&担当から外れる。
・やっぱり家族と住みたいので、2019年春に北海道に戻りたいですという意思を伝えた。(退職も覚悟。しかし、退職しなくてよさそうな気配!こちらはまた後日あらためて!)

週4にしたので、残りの週1を北海道の仕事に充てることに。あとは、週4にすることで、北海道にも堂々と帰りやすくなりました。(おやすみとるのとか、やっぱりちょっとどこかで後ろめたさがあったんだろうな。)

上司や職場の同僚たちにも理解してもらいながら、働き方を変えたところ、それからあの症状は出ていないし、なんなら以前より自分らしくのびのびと働けている気がします。

諦めずに、周りと対話を繰り返しながらよいやり方を探し続ければ、良い着地点がみつかるんだなということがわかりました。ねばーぎぶあっぷ!


多拠点生活は甘くない

多拠点生活の先輩、名寄の黒井さんがこんな記事を書いています。

「多拠点居住って、アタマもカラダも情熱も、ぜーんぶ普通の人より飛びぬけてないと、できないんですよ。
地方で活躍してる、メディアとかに出る人って二拠点居住が多いけど、あれ、地方移住者のデフォルトじゃないですよ。あれやってる人って、かなーーーーり優秀な人です。正直、体力もかなりないとできません。私は親に感謝してるくらい体力のある人間ですけど、それでも1年目の半々はキツかったです。

もうね、納得しかないです。私はそこまで優秀じゃなかった。自分で思っていたより、頭も体も情熱も、ぜんぶ足りなかったのです。そうして一度ぶっ壊れた。


限界を知った。大切なことに気づけた。

でも、自分の限界がわかったおかげで、見えたこともたくさんありました。

最後に残るのは家族。それがよくわかった。だから、家族と住むために北海道に戻ろうと決めました。夫がくれた一言があって。

「家族のためなら、大好きな仕事(ロケットベンチャーでロケットをつくる仕事)だって辞められるよ。家族が一番大切だからね。」

夫がいろいろな試行錯誤を経て、ようやくみつけた最高の仕事。でも家族のためなら、その仕事も手放すよ、と言われてハッとしたのでした。

周りの友人や上司、大切なひとたち。ぶっ壊れたときに心配してくれた友達、ずっと連絡をくれた友達、北海道に帰ってきた私をバカにしないで「大変だったね」と受け止めてくれた友達。仕事どうこうよりも私の体を心配してくれた上司。どんな私でも大切に思ってくれるんだな。

健康。これをあまりにもないがしろにしていた。私の体、大事な資産。これを守れるのは私だけだ。

地元の大切さ。どんな自分でも受け止めてくれて、おかえりといってくれる場所。

仕事が一番大事。くらいに思っていた私。でもぶっ壊れて私を救ってくれたのは仕事じゃないものたちだった。

ぶっ壊れて、本当に大切なものに気づけたし、本当に大切なものを大切にしようと考えを改められました。


体を壊さないと気づけなかった私は本当に大バカ者なのだけど。笑

2019年は、大切なものを大切にしていきたい。欲張りすぎず、捨てる勇気も持つ。選びとっていきたい。これらに関しては、エッセンシャル思考という本がどんぴしゃなので(今読んでる)、今年はこの思考を身につけるぞ。





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