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思考を奪われることから開放されたい

ドリッパーに端を追ったペーパーを敷き、お湯を沸かす。
その間に冷凍庫から豆を出し、コーヒーミルで挽く。
カップとサーバーをお湯で温め、コーヒーケトルにお湯を注ぐ。
挽いた豆をドリッパーに入れ、コーヒーミルはカメラ用のブロアーをぷしゅぷしゅして、残っているコーヒーの粉を飛ばし簡単にお手入れ。
お湯を少し注ぎ30秒蒸らしてから、500円玉くらいの円を描くようにケトルからお湯を注ぐ。

ドリップコーヒーはなかなかに手間がかかる。
その分美味しいのだけれど。

夫にメンタルをぼこぼこにされた後、しばらく食欲もなくお菓子も食べれなくなり、大好きだったコーヒーは飲むと胃が激しく痛み、体重がみるみる落ちていった。
そんな中、自分が飲めなくなっても毎日夫にドリップコーヒーを淹れている自分がなんだか悔しくて情けなくて、コーヒーを淹れるたびにさらに気持ちが沈んでいった。

かかりつけの内科で薬を処方してもらい、胃の調子はよくなり、食欲も戻ったけれど、コーヒーを飲んだときのあの痛みがトラウマとなり、コーヒーってやっぱり胃に負担をかけているんだなと気づいた私は、コーヒーの量を控え、他の飲み物をとるようになった。
そんな中、夫のためだけに淹れ続けるコーヒーが虚しくなっていたのと、家事は手伝わないのだから、せめて自分で飲むコーヒーくらい、自分で淹れてもらおうと思った。

コーヒー豆が切れたタイミングで、
「これからは自分が飲みたい時に自分で淹れてもらっていいですか」
と最後のコーヒーを渡しながら言った。

夫は「う、うん」とすっきりしない返事をひとつ。
この言葉を言う時、めちゃめちゃ緊張したし勇気がいった。
夫も、私がこんなこと言うのは初めてだから驚いたのかもしれない。
こんな切れの悪い返事をきいたことがなかった。

コーヒー豆が切れるとすぐに買いに行っていた夫が全然豆を買いに行かないので、飲みたいけど自分で淹れるのは面倒なのか、と思っていた。
しかし、ついに夫が豆を買いに出かけた。
自分で豆を密閉容器に移し替えて冷凍庫に入れていた。
いつもは袋に入ったまま、テーブルの上にドンと置き、しばらくしてから私が詰め替えていた。
やっと自分で淹れる決意をしたのだなと思った。

しかし、あれから数日経っても、コーヒーを淹れる気配がない。
私が淹れることを期待している?
何のために買ってきたの?圧をかけるため??
夫が考えていることは何もわからない。

毎日夫のためにコーヒーを淹れる。
このモヤモヤから開放されたいために勇気を出したのに、結局また、冷凍庫の中にひっそり佇んでいるコーヒー豆に、心を掻き乱されていることに気づく。
ああもう難しいことは考えるのやめよう。
私はもう淹れませんと伝えたんだ。あとは夫に任せよう。

そもそも、豆から挽くドリップコーヒーの味を教えてくれたのは夫だった。
付き合い始めた頃、夫の家に遊びに行くと毎回淹れてくれた。
とても美味しかった。
夫はコーヒーにこだわりがあるらしく、豆はその場で焙煎してもらうお店でしか買わないし、豆は冷凍保存し、飲む直前にミルで挽く。
手間がかかるけれど、やはり美味しい。

結婚してからは二人で一緒に淹れるようになり、夫がミルで豆を挽き、私がお湯を沸かしドリップする。
休日だけ、そうして少し手間をかけて美味しいコーヒーを淹れて飲んでいた。
コロナで夫がリモート勤務になってから、一日中家にいるので、毎日夕方にドリップコーヒーを飲むようになった。夫は仕事中なので、必然的に私が淹れることになった。その頃は「お仕事お疲れ様」の気持ちも込めて淹れていた。
ただ、休日も夫はコーヒーを淹れることをしなくなり、いつの間にか常に私一人で淹れるようになっていった。

定年退職後も、それは変わらなかった。

それでもつい最近までは、夫に美味しいコーヒーを飲んでもらいたいと純粋に思っていたし、まだ夫への愛情があったのだと思う。

ああ、もうこの人は何を言っても無駄だし、そもそも話し合いにすらならないし、自分のことが大好きで、家族には興味がないんだとわかったときから、気持ちがすーっと引いた。
そちらがそうならこちらもそうさせてもらおう、と思った。

でも結局、すぐ側に夫がいる限り、どうしたって思考を持っていかれる。
本当は別れるなり別居するなりした方がいいのだろうと思うけれど、子どもがいるとそう簡単に動けるものでもない。

私の父のように完全悪な存在だったら、とっとと離婚しているだろう。
とにかく今は、私が笑顔でご機嫌で、家のことをしながら穏やかに過ごすことが子どもたちにとって一番なのはわかっている。
しかしそれは、私が夫への不満を全て飲み込み我慢する上でしか成り立たない。

結局、ここからは逃れられないのだなぁ。
せめて、私も夫のように、自分だけのために、お金と時間を使う機会を作ってみようと思っている。

↓その後の話


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